孤児からの依頼5
自分がしたことを自覚したティムを見て、ユッタはそれでよしと判断したらしい。
ユッタは次に、ハラルドに向き直った。
「次はあなたが謝る番よ、ハラルド」
ハラルドはじろりと暗い穴のような目をしてユッタを見上げた。
こちらは一筋縄ではいかないようだった。
「何を謝らせようとしているんですか、先生? 殴ったのが悪いとでも言うつもりですか? だったら僕はどうやってこいつがベラベラと僕の秘密をしゃべろうとするのを止めればよかったんですか? そのまましゃべらせておいて、あとから謝罪でもしてもらえって? それで、僕の未来が丸つぶれになっても仕方ないってことですか?」
「そうは言わないわ、だけど――」
「もしもこれで僕がこの町でも仕事ができなくなったら、先生が生涯僕を助け続けてくれるんですか? それともティムに生涯僕のお守りでもさせてくれますか?」
ハラルドが死んだ魚のような目で言うと「する! おれがおまえを養ってやる!」とティムが鼻水を垂らしながら言い出して、ハラルドは殺意の滲む目でティムを見やった。
「そんな人生、死んでもごめんだよ。僕は僕自身の力で生きていきたいんだ。おまえにめちゃくちゃにされたけどな」
十五歳なので、さすがにハラルドは弁が立つ。
ユッタが言葉をなくしてしまったのを見て、カレンは口を開いた。
「ま、話を聞いた限り、ハラルドは謝らなくて良いんじゃないですか? 殴らなかったらティムは何でもかんでもしゃべってただろうし」
「冒険者街の人たちはいちいち物騒でいけないわ……」
ユッタは頭を抱えた。彼女は古くから王都で暮らす居住区街の出身だ。
平民の中でもいいところのお嬢様なのである。
カレンの前世もユッタと大体似たような倫理観の持ち主ではあるが、冒険者街に暮らしていると暴力反対などと言えなくなってくる。
この世界にはポーションがあるので、喧嘩ぐらいなら手の施しようがない怪我を負うということがほとんどない。
当たり所が悪くても、すぐにポーションを飲ませれば助からないことはない。
なのでたとえば、虫の居所が悪い力の有り余った冒険者を二人フラフラさせておくよりは、殴り合いの喧嘩でもして発散してもらった方が誰にとってもありがたいのだ。
喧嘩してすっきりすれば、わだかまりもなくなって仲良くなることも多い。
「ほら、二人ともポーションをあげるから飲みな」
「……」
カレンが小瓶を差し出しても、二人は微動だにしなかった。
こちらは仲良くなる気配がまったくない。
カレンは頑固な二人をそれぞれ眺めたあと、肩を竦めた。
「飲むんなら雇ってあげようかと思ったけど、わたしの言うことが聞けない子は雇えないかな」
「えっ、飲む! わっ!」
目を丸くしたティムが言っている間に、ハラルドはカレンの手からポーションをもぎ取るようにして飲んだ。
ティムはわたわたしながらカレンの手からポーションを受け取り飲み始める。
飲み始めたばかりのティムの横で、即座に飲み干したハラルドはカレンを挑発的な目つきで見上げて言った。
「僕の魔力量が少ないことを今知ったのに、僕を雇うと言うんですか?」
「わたしが任せたいような仕事は魔力とか関係ないからね」
たとえ魔力があったところで、代わりにポーションを作らせるつもりはさらさらない。
孤児院の子たちにも指摘されたとおり、留守番はいた方がいい。
今回待ちぼうけさせたのが孤児だったから問題にはならなかったが、待たせるのが貴族になったら心臓に悪い。
エーレルトの令嬢たちにも王都でポーションを売ると言った手前、いずれ依頼が舞い込む可能性は大いにある。
「主に頼みたいのは留守番だよ。あとはお買い物とか、お掃除とか? 主に雑用」
「おれ、留守番得意!」
「……計算ができるので、買い物はお任せください。掃除もできます。雑用でも何でもお任せください」
「他には素材の整理整頓とかね。わたし、ハラルドでも食べられそうな食材は一通りわかるから、ついでに教えてあげるよ」
「……ッ!」
ハラルドが息を呑んで目を丸くした。
それを見て、カレンは微笑んだ。
「やっぱりそれが目当てだったんだね」
「……すみません。錬金術師なら多くの素材をご存じで、理解しているから、そこで働けば知識が増えると思ったんです」
「謝らなくていいよ。そりゃあ切実だよね」
「おれは何を教えてもらえんの?」
「ティムはちょっとは遠慮しようか」
さっきの今だが、ティムは目を真っ赤にして鼻水を垂らしつつ、すでにケロリとした顔をしている。
そんなティムを横目にハラルドは嫌そうな顔をした。
「カレン様、魔力の必要のない仕事ばかりなのでしたら、すべて僕一人でこなせると思います。ティムまで雇う必要はないかと」
「おいっ、意地の悪いことを言うなよ! 一緒にがんばろうぜ~」
「うっとうしいから触るな!」
ハラルドに威嚇されてもまったくめげる様子のないティムを見て、次にハラルドを見やって、カレンは言った。
「わたし、ティムのことは知っているんだよね。ティムは抜けてるところはあるけど、信用できる子だって、わたしは知ってる。でも、君のことは知らないんだよ、ハラルド」
「……僕のことは信用できない、という意味ですね」
「ま、会ったばかりだし、こればっかりは仕方ないよ。だから二人一緒なら雇おうかなって思ってるよ」
ハラルドは不服そうだが納得したようで黙り込んだ。
「カレンはおれのことを信用してくれてるんだな。へへ!」
「ま、おバカだとも思ってるけどね」
「おいっ!!」
「二人とも、補い合ってわたしを助けてくれたら嬉しいな」
カレンの言葉にティムとハラルドは揃ってうなずいた。
「カレンったら……本当にいいのですか? あなたの元で働きたい人は他にも大勢いるでしょうに」
「わたしのとこで働きたい人なんてそんなにいますかね?」
ユッタの言葉にカレンは首を傾げた。
処置なしとばかりにユッタは首を振った。
「こちらとしては、うちの子たちを雇ってもらえるのはとてもありがたいことだから、これ以上小言を言うのはよしておきましょう」
サラはカレンをうかがうように見上げた。
「カレン様、人を雇うという大事なことを簡単に決めてしまい、よろしいのですか?」
「誰かを雇わなければならないなら、知ってる子と、しがみついてでもわたしのところで働きたい理由がある子の二人がよくない? 孤児院の子たちには、これまでもお小遣いをあげて色々と頼んできたし、その延長線だと思えばね」
「カレン様がそれでよいのなら、よいですが……当家から人を紹介することもできましたし、私が住み込みで働くこともできるのですよ?」
「ちゃんとした仕事があるわけじゃないし、それは申し訳ないよ」
「……何にせよ、カレン様のお側に人を置くのは私も賛成です」
サラは溜息のように言ったあと、少年たちに向き直った。
そのときには、サラの顔には氷のような無表情が貼りついていた。
「あなた方は、カレン様に雇っていただく以上は誠心誠意お仕えすることです。カレン様はエーレルト伯爵家がお身内として遇する稀少な錬金術師です。顧客には大勢の貴族が名を連ね、大勢の方がカレン様のポーションを購入する順番が回ってくるのを待っています。そのような方にお仕えするのですから、万一にも粗相があれば命にかかわると承知しておきなさい。よろしいですね?」
「サラ、言い過ぎだって」
「ですが事実です、カレン様」
サラから発せられる圧力に固まった二人を前に、サラは再び口を開いた。
「私もまた孤児でしたが、エーレルト伯爵家に拾われました。あなた方が得たこの機会も同じく、望外の幸運です。命をかけてお仕えして当然のことだと、肝に銘じるのですよ」
命をかけて、のところでカレンは慌てたが、サラに視線の圧で押されて横やりを入れられなかった。
ティムとハラルドは真剣な顔でうなずいた。
それにしても、サラの話は、エーレルト伯爵家にやってきてからの話しか聞いたことがなかったが、孤児だったらしい。
ジークに見出されたとは聞いていたけれど、孤児だったサラとジークがどうやったら出会うことになるのか、カレンには想像もつかなかった。
「カレン様が危険な時には、命をなげうってでもお助けするのですよ。カレン様が無茶をなさった時にお止めする……ことはあなた方の身分ではできないでしょうから、もしカレン様が命をかけた研究をして、お命が危ぶまれる事態になった際は、片方は外に助けを呼びに行き、もう片方はカレン様の救命に努めるように」
「さすがに命はかけてないよ~」
「あんな研究を続けていたらいつか死んでしまいます。監視の目ができたことですから、カレン様を見張ってもらうこととしましょう」
「大丈夫な範囲でやってるんだけどなぁ」
とはいえ、サラがティムとハラルドに緊急事態についての指示を飛ばすのを、カレンはありがたく眺めていた。