錬金工房へお引っ越し
馬車を数時間後に手配して、カレンは家路を辿った。
また家を留守にしていて久しぶりに帰ってきたので、近所をうろついていればご近所さんたちにも声をかけられるだろう。
だから、その時にでもみんなに引っ越しすると伝えよう……と思いつつ歩いていくカレンだったが、何故か誰にも話しかけられない。
「あれ?」
ここはカレンの地元のはずである。
それなのに、いつもなら気さくに声をかけてくれるおじちゃんおばちゃんにもスルーされる。
ユリウスといたカレンを違う世界の住人だと思ったのだろうか?
だが、ご近所さんからCランクの冒険者が出ても、昔からの顔なじみなら馴れ馴れしく接する遠慮のない厚かましさこそこのあたりの人たちの特徴である。情に厚いとも言う。
「また変な噂が流れてるのかなぁ」
やだなあとボヤきつつ、カレンは自宅に戻ってきた。
カレンが鍵をあけていると、ちょうど出かけるのか家から出てきた隣のおばさんが目を丸くした。
「あら、まさかあなた、カレンちゃん……?」
「へ? はい、そうですよ?」
「随分雰囲気が変わったわねえ。一瞬、どこのお嬢さんなのかと思っちゃったわ」
「えーっ、またまたぁ」
「本当よぉ。道ばたで会ったらわからなかったわよ」
顔丸出しなのにとカレンはきょとんと目を丸くしつつも、思い当たる節がないでもなかった。
エーレルト伯爵家の領主館にいる間ずっと、サラからマナー講習を受けてきた。エーレルト伯爵家の方々に比べれば優雅さのかけらもないものの、少しは品が身についたのかもしれない。
「実はわたし、引っ越すことにしたんです。ほら、わたしって錬金術師なので、ついに錬金工房を持つことになりまして!」
「あら、おめでとう。うちの旦那に手伝わせましょうか?」
喜んでお願いしようとしたカレンだったが、背後から影が差して口を噤んだ。
「私が手伝うので、気づかいは無用だよ」
「あらまあ」
現れたユリウスにおばさんは目をまん丸にすると、そそくさと家の中に逃げていった。
ユリウスに引っ越しの手伝いをさせるイメージはまったく湧かないが、付き合っていることになったのだから、これくらいは甘えていいのかもしれない。
ユリウスに荷物をまとめるのを手伝ってもらい、馬車が来たら荷物を運び出し、馬車に積んでもらった。
ほとんどは錬金術の道具や素材、エーレルト伯爵家で用意してもらったドレスなんかの贅沢品だ。
家具は元から備え付けのものを使う予定なので、元の家のものは持ち出さない。
いずれ弟が帰ってきたときに困るので。
なので大きな荷物はそれほど多くなく、ユリウスに手伝ってもらうとあっという間に終わってしまった。
新居に運び込まれた荷物を満足げに眺めたあと、カレンはユリウスに向き直った。
「ユリウス様、手伝っていただきありがとうございます。よかったらお茶でもいかがですか?」
「ありがたくいただこう」
カレンはユリウスの顔を確認して、お茶を決めた。
疲れているように見えるので、疲労回復のお茶がいいだろう。
カレンがお茶を出すと、それを一口飲んだユリウスが言った。
「君は私のこの顔を気に入ってくれているね?」
「さっきユリウス様のお顔を見たのはどんなお茶をお出ししたら喜ばれるかを考えていただけですよ!?」
「私のことを考えてくれてありがとう。だが、そういう意味ではなく――君が当初依頼の達成報酬として私を望んだ時から君が好いていたのは私の顔や、声望や、身に帯びた多少の権力や、剣の腕であるというのは間違っていないだろう? だから私を手元に置きたいと考えて、交際を受け入れてくれたのだよね?」
カレンは目を泳がせた。
カレンはそういうことにしたいと思ってはいるが、改めて聞くとあんまりな理由である。
錬金術師としてのカレンを取り込もうとするエーレルトのユリウスに惚れたりしたら、カレンだけが悲惨だ。
だからこそ、好きだから交際をはじめたのだとは思いたくない。
けれど、スペックだけを好んでいるのだろうと指摘されると反論したくなる。
「わ、わたしはユリウス様のことが好きですよ?」
「憧れてくれてはいるだろうね。そして、好きでもいてくれているのだろう。だがそれは、私の内面とはまったく関わりのない、ごく表面的なものに対する感情ではないかな?」
そう言われてしまえば、カレンはユリウスのことをどれだけ知っているのだろうか。
ユリウスの内面を好きになったのかと問われれば、言葉が出てこない。
混乱するカレンの前で、ユリウスは穏やかな顔つきで言った。
「咎めているわけではないよ、カレン。お互いに、お互いの持つ能力や権力を求めあってはじめた関係だ。私は私の持ち物を使って君を誘惑しようと考え、君はそれに応えてくれただけだ。だが……最近はそれ以上を望んでしまう」
「そ、それ以上、ですか」
どういう意味か、とごくりと息を呑むカレンの前で、ユリウスは静かに、カレンが入れたお茶を見つめていた。
「私はこれまで本当の自分を知られることを恐れてきた。必ずや疎んじられ、嫌われ、憎まれることになると確信していたからだ」
カレンは怪訝な顔つきになる。
ヘルフリートやアリーセ、ジークたちがユリウスを嫌う姿なんて想像がつかない。
それなのに、ユリウスは心底そう信じているらしかった。
どうも色めいた話ではないらしいとカレンは身構えるのをやめて、ユリウスの向かいの椅子に腰かけた。
「だが、カレンなら私の本当の顔を知っても恐れることはない気がして――確かめてみたいという気持ちになってしまう」
「確かめてみたらいいんじゃありませんか?」
それがユリウスの心の傷を癒やすような気がして、カレンは言った。
思い出すのは魔力酔いを起こしていたときのユリウスだ。
あの時もユリウスはカレンが恐れるに違いないと確信しているようだった。
別にそんなことはなかったのに。
むしろ、ワイルドさが増していていつもと別のかっこよさがあるな、と思うくらいだった。
ユリウスを恐がる自分がまったく想像が付かない。
そんなカレンに、ユリウスは微笑んだ。
「恐れないだけでなく、私はこんな私を君に好きになってほしいとまで思っている。だが、私を好きになったら君の脳が溶けてしまうのではないのかな? それなのに私は、君に受け入れてもらうための努力をしてもよいものだろうか?」
「……溶けないように努力しますのでお気づかいなく」
思わずカレンが片耳を抑えると、耳朶のピアスに手のひらが触れた。
カレンはユリウスの右耳にある水色の石を見つめながら言った。
「その代わり、わたしもユリウス様がわたしを好きになるように、努力してみてもいいですか? わたしだけ好きになるだなんて、不公平ですし」
なんて言い訳しつつも、カレンがユリウスに好かれてみたいだけである。
ユリウスの言う通り、カレンたちは打算的な関係だ。
カレンが好きになっても、ユリウスから気持ちが返ってくることはないと、カレンは確信している。
ただユリウスの気持ちが変わることがあるとしたら、カレンはもっと前に進むことができるかもしれない。
カレンの言葉にユリウスは微笑んだ。
「宣言通りにジークを癒やしてくれたり、魔力に酔う私に恐れることもなく近づいてなだめたり、新年祭に私のために肖像画を描いてくれたり――かい? カレンの努力はもう十分な気がするよ」
新年祭の肖像画を引き合いに出されたあたり、これは断られたということでは……? とカレンはがっくりうなだれた。
ちなみに、カレンが描いた肖像画は画家となったイリーネの絵第一弾が完成し次第引きずり降ろされたそうで、その後行方不明である。
ユリウスは何故か自分の言葉に驚いたように唇を押さえていた。
かと思うと、やがて吹き出すように笑った。
「ははは、そうか、十分なのか。気づいていなかったな……今の今まで」
「ユリウス様?」
「不服そうな顔をしているね、カレン? 君は気づいていないのだね。だったらまだ、気づかないままでいてほしい」
「何のお話をしてるんですか?」
自分が何に気づいていないのか、考えを巡らせようとしたカレンの思考を遮るようにユリウスが顔を近づけてくる。
カッと赤くなるカレンの顔を見て、ユリウスは笑みを深めた。
自分の顔面の圧で女が動揺する姿がよほど面白いらしく、その金色の瞳が神々しいほどきらきらに輝いていた。
「考えてはいけないよ、カレン。私の努力が実るまで、そのまま何にも気づかないでくれ」
「言われずとも……お話の前後の文脈もすべて吹き飛びましたよ……」
「私が何をするにせよ、錬金術師であるカレンの大望の邪魔にならないようには気をつけよう」
「それはありがたいご配慮ですね」
ユリウスが何をする気にせよ、カレンが錬金術師として生きることは応援してくれるらしい。
エーレルトにとって有益な錬金術師になってもらいたいのは変わらないのだろう。
カレンがユリウスに恋をしているにせよしていないにせよ、ユリウスにとってはどうでもいいことなのだろうし、そこさえ守ってくれるならカレンにとってもひと安心だ。
一息吐いて自分もお茶をすするカレンの顔を、ユリウスはカレンが気づいて慌てふためくまで見守り続けていた。
これにて第三章はおしまいです。
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