王女の呼び出し
「よく来たな、カレン」
「お久しぶりでございます、殿下」
ポーションを渡す際にまみえることはあれども、ヴァルトリーデと二人きりになるのは本当に久しぶりのことである。
長椅子に優美に腰かけるヴァルトリーデは相変わらず、美の女神のごとくだ。
この女神に、これから沙汰を下されることとなる。
緊張するカレンを見て、ヴァルトリーデはくすりと笑った。
「そなたは私の秘密を打ち明けられたと思っているだろう?」
「えっ……?」
「だがな、実は違うのだよ」
そう言って立ち上がると、ヴァルトリーデはカレンに歩み寄ってくる。
ヴァルトリーデは背が高く、彼女がカレンを見下ろすと、黄金にうねる髪がカレンの顔の周りを覆うカーテンのように垂れかかった。
「そなたはまだ本当の私を知らない」
「本当の、殿下……?」
カレンがごくりと息を呑むと、ヴァルトリーデは厚ぼったい蠱惑的な唇を開いた。
「魔物は恐い。――だが痩せた途端にチヤホヤされるのが心地よすぎて、もう戻れん」
「殿下?」
風向きが変わった。
風見鶏なら百八十度逆を向いた後に逆立ちしていることだろう。
「エーレルトの令嬢たちに感謝された言葉が忘れられんのだ。私はやはり王女として義務を果たせるようになりたい。というより、少しは人の役に立ちたい。ベッドの上から動くのも大義で何から何まで世話をされる生活に戻りたくない」
「殿下、殿下」
あまりにも明け透けに打ち明けられすぎている気がして、カレンは制止のためにヴァルトリーデを呼んだものの、ヴァルトリーデは止まらない。
「だがしかし、魔物は恐い。やはり戦いたくないのだ……カレン」
ヴァルトリーデががっしりとカレンの両肩を掴んだ。
そこでようやく、その目がすわっていることにカレンは気がついた。
美しさに紛れて気づけていなかった。
「幼き頃にチヤホヤされた記憶がすっかり蘇ってしまったのはそなたの責任でもある。私は痩せたくないと言ったのに。そなたは私の願いに応じると言ったのに。私がこうなったのはそなたのせいでもある。そうであろう? ゆえに頼むのだ。私を見捨てないでくれ、とな」
「殿下、落ち着いてください」
「私は至極落ち着いている」
ヴァルトリーデの手がカレンの頬を滑る。
美女に顔を近づけられて、カレンはドギマギしながらその顔を見つめ返した。
「そなたが自身の意志を通す力を持っていること、この身でも新年祭の模様からも理解した」
カレンの手を取り、ヴァルトリーデが自分の頬に導いていく。
すべすべの頬に触れさせられて、カレンは妙な気分になってきた。
「ゆえに私はそなたに縋ることに決めたのだ」
ヴァルトリーデはキリリとした表情で言う。
言っていることがだいぶ情けないおかげで美女と触れ合う状況にもかかわらず、カレンの妙な緊張は吹き飛んだ。
「王女の身分で平民のそなたに命じればそなたには断る方法はないとわかっているが、あえて言おう。助けてくれ、と」
この王女様だって、黙っていれば高潔なお姫様なのだ。
こうして血筋の祝福の副作用から逃れた以上は戦う者になることを期待されるのだろうし、それだけの潜在能力を持つ強者でもある。
だからこそ期待され、だからこそ苦しんでいる。
苦しむ人がいて、助けを求められたなら、助けたいと思ってしまうものだ。
「どのようにお助けすればいいでしょう?」
「私が結婚できるように協力してもらいたい……政略結婚ではなく、私にとって都合がよい結婚がよい!!」
「承知いたしました」
「そなたの働きに期待しているからな? 重い重い期待ゆえな??」
ヴァルトリーデいわくの、これが本物のヴァルトリーデの姿らしい。
カレンは取りすがってくるヴァルトリーデにうなずくと、用意しておいた鞄を机に置いた。
「こちらは、もしも殿下のお怒りを買ってしまった場合に許しを乞うために用意をしたものです」
そう言ってカレンが開いた鞄の中には、クリスタルの瓶に入った様々な形の化粧品が並んでいた。
「殿下のために用意した、化粧品の数々です」
「これは解毒のお茶だな。だが、これは……白粉、か?」
「シルクスパイダーの絹糸で作った白粉です」
「毒白粉に代わる白粉をつくったのか」
ヴァルトリーデの驚きの表情に、カレンはうなずいた。
毒白粉の流行を止めて以来、考えていたことである。
前世、絹の白粉を使ったことがあるのを思いだし、エーレルトの冒険者に依頼を出し、シルクスパイダーの絹糸を取ってきてもらったのだ。
「殿下の美を保つお助けし、そのお美しさでより良い結婚相手を得られるよう、お助けしたいと思います」
「これはクリーム、これは香油か……そしてこれは、石鹸か」
鞄の中の化粧品をひとつひとつ確認すると、ヴァルトリーデは微笑んだ。
「期待通りかつ、それ以上の助けを得られるようで安堵したぞ、カレン。ゆえに、心しておいてほしい」
そう言うと、ヴァルトリーデはくわっと緑の目を見開いた。
「私の秘密が露見したらユリウスを全身全霊をもって籠絡する!!」
「殿下を幸せな結婚に導く忠実なしもべのカレンです!! よろしくお願いいたします!!」
「うむ。今後は私のことはヴァルトリーデと呼ぶがよい」
「光栄です……」
カレンは王女の思わぬポンコツ具合にぐったりしながら言葉を返した。
もしかしたら、とんでもないことに巻き込まれてしまったのかもしれないが、喜んで巻き込まれておこう。
王女の手綱を握っておけば、ユリウスに近づけさせずに済む。
「これが寛大で心優しい、気高く誇り高い、聡明な王女様ですかぁ……」
ユリウスの言である。
カレンの言葉にヴァルトリーデは苦悶の表情で頭をおさえた。
「ウウッ! ただ私は痩せたくなかっただけなのに! 自らの身も省みず魔封じの魔道具を譲る心優しき王女になってしまったのだ! 何の義務も果たせないので気が引けて、誰に対しても鷹揚に接していただけなのに! エーレルトのお荷物となっている自分が嫌で、エーレルトの令嬢たちのためにできることがあればやろうと思っただけなのに!!」
苦悩するヴァルトリーデ。
この美貌の女性が王女の身分から降りて平民になったところで幸せになれるとも思えない。
他の人が何と言おうと、カレンはヴァルトリーデを気の毒に思ってしまうのだ。
この世界では常識外れであろうとも。
「無論、ただでとは言わん。まあ、私は王宮にいた頃のコネクションはすべて失ってしまったし、政治力はないし、予算も雀の涙だがな」
言いながら、ヴァルトリーデはカレンに封書を差し出した。
「そなたには私の名をやろう」
「名? って何ですか?」
言いながら封書を受け取ったカレンは、宛名を見て目を丸くした。
「錬金術ギルド宛の……推薦状? えっ!? 殿下!?」
「ヴァルトリーデ、な」
ヴァルトリーデはにっこりと笑って言った。
「Eランクの錬金術師がDランクに上がるには、推薦状が必要になるのだろう?」
「でも、推薦状ってギルドや騎士団にしか出せないのでは……?」
「そんなことはない。調べたが、継続的な納品実績とその品質を保証する信用ある組織からの推薦状が必要になるだけだ。一貴族では難しくとも、第一王女宮なら信用は事足りよう」
「継続的な納品実績とは……!」
「これから作れば良かろう?」
ヴァルトリーデはにやりと笑った。
「そなたのますますの活躍に期待しているぞ、カレン」
「ご期待に添えるよう、鋭意努力いたします……ありがとうございます、ヴァルトリーデ様」
カレンは推薦状を抱きしめて礼を取る。
この推薦状は、カレンへの期待が形を成したものだ。
噛みしめるように推薦状を抱くカレンを見下ろして、ヴァルトリーデは満足げにうなずいた。