市場デート2
「ここだよ、カレン」
「今日はやっていないと看板に描かれていますけれど……」
「ああ、今日は私が貸し切っているからね」
通りの一角にある、見るからに老舗で高級そうなたたずまいの宝石店を貸し切っているというユリウスに、カレンは身構えた。
「一体何のために……?」
「実は欲しい魔石があるのだが、選びかねていてね。カレンに選ぶのを手伝ってほしいと思ったのだよ」
「魔石、ですか。もしかして、わたしにお手伝いできることがありますか?」
「そう。カレンにしか手伝ってもらえないことがある」
てっきり何かプレゼントされるのではないかと勘違いしたカレンはほっとしたり羞恥に身もだえたりと忙しかった。
だが、ユリウスの役に立つのはやぶさかではない。
「錬金術師として何かお力になれることがあるんでしょうか?」
「私が必要としているのは錬金術師としての力というより、カレンの存在だね」
そう言って、ユリウスは店の中に入った。
カレンは首を傾げつつそれに続いた。
「いらっしゃいませ、ユリウス様。準備は整っておりますよ」
「ありがとう、店主」
「して、そちらの方の瞳ですな?」
「ああ」
白髪交じりの灰色の髪をした店主の老人がカレンに近づいて、まじまじとカレンを見つめた。
「ふむ、なるほどなるほど」
ひとしきりカレンをじろじろと眺めたあと、店主は机の上に置いてあった巨大な宝石箱の蓋を開けた。
宝石箱の中身を見て、カレンは首を傾げた。
「全部水色の宝石……?」
「ユリウス様のお連れ様の瞳に一番よく似た色は、こちらでしょう。海というより、美しく澄んだ朝方の空のような水色でございますね」
「店主もそう思うかい。私も彼女の瞳の色は空のようだと見る度に思うのだよ」
そう言って、店主が手袋をした手で慎重に箱のベルベットの上から取り上げた水色の石は、確かにカレンの瞳の色とよく似ていた。
「ユリウス様?」
戸惑うカレンに、ユリウスは目を細めて微笑んだ。
「手伝ってくれてありがとう、カレン。どうしても君の瞳と同じ色の宝石が欲しくてね。君の瞳の色ははっきり覚えたつもりだったが、記憶だけを頼りにするには自信が持てず、どうしても君の助けが必要だったのだ」
「こちらを加工すればよろしいのですね、ユリウス様。ピアスとしての加工を承っておりますが、ご着用されるのは――」
「私だ」
「で、ございましたね。かしこまりました」
ユリウスの注文にうなずくと、店主はその透きとおる水色の石を別の小さな宝石箱に丁重に収めた。
「ユリウス様、わたしの聞き間違いだったら笑っていただきたいのですが、わたしの瞳の色の石を、ピアスにして身につけると、そうおっしゃいましたか?」
「そう言ったよ、カレン」
「それではまるで、ユリウス様がわたしに片想いしているようではないですか」
片想いの相手の瞳の色の持ち物を身につける。
主に女の子がやるアプローチだ。
男がやっているのも見たことはあるものの、かなりロマンチックな風習ではある。
「実際にそうだろう?」
ユリウスのきらきらしい微笑みを見て、そういうことになっているのだった、とカレンもまた思い出した。
ユリウスはジークの快気祝いでカレンに振られて以来、片想いをし続けているふりをしている。
それがふりだということぐらい、誰もがわかっている。
わかっているが、知らないふりをしている。
カレンを籠絡して取り込むことに価値があると、多くの人が認めてくれているからだ。
それはある意味、カレンの仕事を認めてくれたということで、誇らしかったはずなのに――カレンは妙なもどかしさを覚えた。
ユリウスは店主が選んだ水色の魔石を納めた宝石箱を手に取ると、耳元に添えた。
「どうだろう、カレン。私に君の色は似合うかな?」
「――」
金に水色。
カレンは自分の色を身につけるユリウスをまじまじと見つめた。
「……似合うかどうかで言えば、似合いますけど。そもそもユリウス様に似合わない色があるとは思えません」
「だったら、何よりもこの色が似合う男になろう」
ユリウスの微笑みに、カレンはごくりと息を呑む。
心臓の鼓動が早鐘のように鳴っているものの、顔が熱くなるとか、頭がぼうっとするだとか、脳が溶けそうだとかいうのとは違っていた。
頭の芯は熱いものの、思考はむしろ冷たく冴えている。
この男にこれからもずっと、この水色の石を身につけさせておきたい。
カレンのこの感情は、純然たる欲だった。
この欲望を叶えるために自分がどうするべきなのか、カレンはめまぐるしく思考を回転させた。
そんなカレンに、ユリウスは微笑みを浮かべたまま別の箱を差し出した。
「カレン、Eランク昇級おめでとう。これは私からの贈り物だよ」
カレンは無言で長細い箱を受け取った。
中に入っていたのはユリウスの瞳の色の石のついたネックレスだった。
この宝石店に寄ったのは、カレンに贈り物をするためだというカレンの恥ずかしい予想はあながち外れていなかったらしい。
「……ピアスではなく、ネックレスなんですね」
「ピアスではおそろいになってしまうだろう? 付き合っても婚約してもいないのに、そろいの宝飾品を贈るのは君の負担になってしまうかと思ってね。これは毎日付けてほしいものだから」
「毎日?」
確かに、毎日身につけるのにも負担のない、小さな小さな石だった。
ピアスにもできそうなくらい――。
「片方が魔石に魔力をこめると、もう片方の魔石が熱を発する。これはそういう魔道具なのだよ。君が危機に陥った時にこの魔石に魔力をこめて、私を呼んでほしいのだ」
カレンは手の中のネックレスをまじまじと見つめた。
ただのネックレスよりも魔道具の方がよほど高価である。
「このネックレスが魔道具ということですが、魔法が込められているのは魔石の部分ですか? それとも、台座の金具の部分ですか?」
「魔石の部分だよ。だから、私が身につける方の石にはこれから魔法の加工を施してもらうのだ。なので、今は魔力をこめても魔道具として機能しないので、しばらく危ない目には遭わないでおくれ」
カレンは受け取ったネックレスを見下ろしていた。
くらくらするような抗いがたい欲求に支配されつつあった。
「私に君を守らせてくれないかい? カレン」
懇願するように言うユリウスに、カレンの心臓がうるさく胸を叩く。
「昇級の贈り物と言いつつ、私は君に要求をしてばかりだね」
申し訳なさげに眉をひそめるユリウスに、カレンはごくりと息を呑んだ。
ユリウスに自分色の石を毎日身につけていてもらいたいし、カレンもそうしたい。
ネックレスではなく、おそろいのピアスを身につけたいと、カレンはそう思ってしまった。
「カレン、君が私のために絵を描いてくれたこと、ブラーム伯爵の前に立ち塞がってくれたことが、私はとても嬉しかったよ。それは本当だが、君に危険な目に遭ってほしくないとも思ってしまった」
「えっ?」
ユリウスの意外な言葉に、カレンは息を呑んで我に返った。
「実はご迷惑だった、ということでしょうか?」
「まさか、そんなはずはない。カレンの行動はエーレルト伯爵家にとって非常に心強い支援となった。ヘルフリート兄上の助けとなった。エーレルトの冒険者たちの支持を受け、後のジークの治世にも良い影響をもたらすだろう。これほどありがたいことはない。だが……もうやらないで欲しいと、そう思ってしまった」
「エーレルトのためになったのなら、良いのでは……? ユリウス様のためにならなかったということですか?」
「そうだね、私のためにはならなかった」
困惑するカレンを見下ろし、ユリウスは苦笑した。
「君が心配でね」
何かの比喩だろうかとカレンは首を傾げたが、ユリウスの言わんとすることが何なのか、結局わからなかった。
「だが私は、君の邪魔をしたくはない。私は、己の力で選んだ道を行く君を助ける人間になりたいのだ……それなのに、時折君を止めてしまいたくなる」
ユリウスがカレンの頬に触れかけて、思い直したように手を離した。
「君がエーレルトのために犯してくれた危険を、エーレルトのためにただありがたく享受して喜び、君を讃えるべきなのだ。だが、そうできずにいる愚かな私に、君が窮地に陥ったときに助けるための手段を与えてほしい」
ユリウスが、ユリウスに助けを求めるための魔道具をカレンに贈った。
それが、ユリウス自身のためであるかのようにユリウスは言う。
カレンに気づかわせないための紳士的な物言いにしては妙に切実で、カレンは不思議な気持ちで受け取った贈り物を見下ろした。