カレンの作戦
「まずは、アー、ユリウス殿? を描いていると錬金術師殿が主張しているその絵を片付けてくれたまえ。ヴィンフリート様の絵に被せるなど、不敬なことだ」
「何が不敬なんですか?」
カレンは素知らぬそぶりで首を傾げた。
すると、ホルストは呆れかえったとばかりに首を振り、溜息を吐いてみせる。
「君は王都から来たので知らないだろうが、ヴィンフリート様はエーレルトでもっとも敬愛されるお方ゆえ、その位置に肖像画が飾られているのだよ。それを別の物で遮るなどエーレルトに対する侮辱に等しい」
「エーレルト伯爵がわたしの要望を叶えてくださるというから、飾ってほしいとお願いしたのに。次期エーレルト伯爵家の後継者であるジーク様をお救いしたわたしの功績は、その程度だということですか?」
「他の場所なら良いだろう。平民のEランクの錬金術師の君にとってはそれでも過分ではないかな?」
Eランクという、比較的低ランクであることを強調される。
領民たちの空気がホルストに流れたのを感じる。
功績があるカレンの要望は通らなければならない、という論では戦えなさそうだった。
これぐらいはカレンも予想できていたことである。
カレンは論調を変えた。
「ヴィンフリート様って確か、エーレルトのダンジョンが崩壊しかけた時にエーレルトを守るためにダンジョンに乗り込み、命をかけて大崩壊を抑えたことで敬愛されている人、ですよね?」
「その通りだ。知っているのにどうしてこのような真似をしたのかな?」
スウ、と冷たく目を細めるホルストに、カレンは能天気に笑顔を浮かべた。
「ダンジョンを崩壊させかけたけれど命がけで抑え込んだ方が敬愛されるのはわかりますけど、未然にダンジョンを攻略して崩壊の兆しすら遠ざけたユリウス様は、もっともっと敬愛されてしかるべきですよね!」
これは、この世界の一般的な考え方だ。
強者絶対の理論で言えば、間違いなくユリウスが上位者である。
カレンの目から見ると、ヘルフリートやユリウスは、人間関係の狭い枠組みに囚われて、搦手で攻められているように見えた。
学校や会社にいると、そこでの人間関係や独自ルールが絶対に思えてくる、あの感じだ。
カレンという部外者の目から見れば、その独自ルールには穴がある。
だからカレンは、外側からユリウスたちを縛る枠組みをほんの少しでも壊して帰ることにした。
ヘルフリートに相談したら吹き出しつつのゴーサインをいただき、めちゃくちゃをやる許可を得た。
カレンの目標は、新年祭の会場に一番大きなユリウスの絵を飾ることだ。
ユリウスへの贈り物、ということで、ユリウスには事前に知らせずのサプライズである。
一応、カレンの目論見では喜んでもらえるはずなのである。
何しろ、毎年新年祭にヴィンフリートの肖像画を飾らざるを得ない状況を苦々しく思っていると言ったのはユリウスだったのだ。
だが、自身の絵の仕上がりぶりを見ると、ユリウスの顔を見るのが恐い。
意気がくじけてしまいかねないので、今はユリウスの反応を見ないよう、カレンは明後日の方角を見やった。
正直、肖像画をひとつ飾ったところでどうなるだろうとも思った。
だがこうしてホルストが止めにかかるということは、カレンの行動は硬直したエーレルトの状況にさざなみを立てることぐらいはできているのだろう。
ユリウスをエーレルトの英雄にするためなら、カレンは王都からやってきたゴリゴリの強者絶対論者を演じてみせよう。
王都によくいるタイプの人種なので、王都を知る人ほど違和感はないだろう。
王都出身のカレンがエーレルト領に王都仕込みの強者の論理を叩きつける。
エーレルト伯爵家の人々は恩があるので、カレンを止めることなどできないのだ。
ホルストは渋面を浮かべつつも、怒りというよりは困惑の表情を浮かべていた。
「ユリウス殿は確かに今年の春エーレルトのダンジョンを攻略した英雄ではある。それを否定するつもりは、ないのだがねえ」
はあ、とまた溜息を吐く。
まるでカレンが何もわかっていないということをこの場にいる人々に知らしめるかのように。
そして、玄関ホールに居並ぶ領民たちを見やって言う。
「しかし、ユリウス殿がダンジョンを攻略できたのは、エーレルトの冒険者たちが最下層までの魔物を倒し続けてきたからだ。ユリウス殿は確かに最下層の魔物を討伐せしめたかもしれないが、しかしそれは、今日までの冒険者たちの努力があってのことではないか?」
ホルストは、ユリウスがエーレルトの冒険者たちの成果を横取りしただけではないかと指摘する。
その指摘に、領民たちが同意している気配があって、カレンは息を呑んだ。
ユリウスが純粋に英雄視されない背景に、そんな考え方があるとは思いもしなかった。
「攻略後、魔物の出現数は下がり、そのために仕事を失い路頭に迷う冒険者が大勢いる。彼らこそが平素からエーレルトのダンジョンに潜りエーレルト領の治安を守ってくれた守護者たちだ。にもかかわらず、蔑ろにされてもいいと言うのかね?」
そうは言わない。カレンがそんなことを言うはずがない。
「確かにユリウス殿は英雄だが、私は彼ら冒険者もまたエーレルトの英雄だと考えている。私は彼らにとっても喜ばしい新年の祭にしたいという思いがある。君も平民であるならば、ユリウス殿が成した成果の光の面だけに囚われず、彼らの気持ちも汲んでやってはくれないかな?」
そう言って、ホルストは玄関ホールの領民たちを見渡し、まるで自分は味方だと言わんばかりにうなずいてみせた。
ここにいる領民たちの中には冒険者が多いらしい。
ホルストの演説に感じ入ったように溜息をつき、目元を拭う仕草をする者もいる。
そして、彼らはカレンを見上げた。
エーレルトの民たちの無言の圧力に、カレンは息を飲んだ。
この場は間違いなくホルストのホームで、カレンはアウェイの部外者だった。
もしかしたらヘルフリートやユリウスにとってさえ、ここはアウェイなのかもしれない。
ヘルフリートが、視界の端で椅子から腰を浮かせかけていた。
カレンの無謀な計画が頓挫するならするでもいいと、困った時にはこちらに投げるようにと言ってくれたヘルフリートだ。
圧倒されるカレンを助けようとしてくれているらしい。
だがカレンは、ヘルフリートに軽く首を横に振った。
ヘルフリートがならば、といった様子で椅子に座り直す。
あらためて、カレンはホルストと領民を見比べた。
ホルストはエーレルトの領民に寄り添い、彼らを味方に付けていた。
ホルストの誘導で、カレンをほとんど敵視していると言ってもいい視線を向けてくる領民を前に、カレンは目を丸くして息を呑んだ。
「……すごい」
カレンは思わず呟いた。
それは、強者がたとえ活躍して成果を出したからといって、弱者を蔑ろにしていいわけではないという理論だった。
カレンが求める理想の世界を、エーレルトの人々に飲みこませていた。
この世界では決して主流の考え方ではないだろうに。
これはホルストがエーレルトで作り上げた、世論という成果だった。
この成果を台無しにはしたくない、とカレンは思ってしまった。