立場逆転
「こんなみすぼらしいカッコをした子、よく見つけたわねえ、ライオス」
「カレンはいつもこういう見た目だからな」
「これに隣に立たれていたの? あなたも苦労したのね」
「心配するな。隣に立たせたことなどない」
近づいてきたのは、二人で連れ立つライオスとマリアンだった。
ライオスはラフなシャツの普段着姿で、マリアンはおしゃれなワンピースを身につけている。
どう見てもデート中の姿にカレンは愕然とした。
ライオスは、これまでカレンと一度だってデートに行ったことなんてない。婚約中、カレンは何度もデートしたいと言ったのに。
どうしてこんなものを見せつけられないといけないのか。
「わたしに何か用?」
「ふん。相変わらず可愛げがないな。少しは俺に媚びを売ったらどうだ?」
「はあ?」
「おまえにいい話を持ってきてやったんだから、ありがたく思え」
ライオスはそれなりのイケメンで、マリアンも巷では美女で通っている。
エーレルト伯爵家で本物を見てきたカレンの目には薄らぼやけている二人も、こんな商店街で並んでいるとやたらと目立つ。
「お、あそこにいるのはカレンじゃないかい?」
「やっと家から出てきたのねえ」
「仕事で留守にしていたんじゃないのか?」
こんな世界なので、プライベートなんてあったものじゃない。
あっという間にご近所中の皆様に取り囲まれて、いい話なんて聞く気もないのにカレンは逃げ場を失った。
「カレン、おまえを俺の末席の妻にしてやろう」
ライオスの言葉に、カレンは耳鳴りがしてきた。
「お義母さんがあなたのことを気にするから、仕方なく許可してあげることにしたのよ、カレン。でも、ライオスに気安く触ったりしないでちょうだいね」
マリアンがにっこりと笑う。
その肩を抱いて、ライオスがせせら笑う。
「第二夫人、第三夫人だなんて贅沢を言うなよ? 本当ならおまえなんぞ、雑役人として雇うつもりだったんだからな」
「カレンってたまにいいことを思いつくから、何かの役に立つかもしれないわ。末席なら妻にしてもいいわよって、私がライオスに言ってあげたのよ。私に感謝してよね? カレン」
カレンから石鹸のレシピを盗んだときのように、他にも何かを奪えるかもしれないと思ったらしい。
それで、マリアンはカレンをライオスの末席の妻に推薦したという。
雑役人として雇おうとしていたというくだりもよくわからないし、カレンは頭が痛くなってきた。
「そんな話、受けるわけないじゃん」
「何を言ってるの!? カレンちゃん!!」
悲鳴じみた声をあげたのは、カレンのすぐ側にいた近所のおばちゃんだった。
「何を馬鹿なことを言ってるの! こんなありがたいお話、すぐに受けなさい!! 弟にも見捨てられて、あなたにはもう後がないのよ!?」
肩を掴まれ揺さぶられる。
カレンを見つめるその目には、ただただ思いやりの色があった。
でも、弟は冒険者として働いて不在がちなだけで、見捨てられたわけじゃない。
もう、半年は会っていないけれども。
「そうだぞ、カレン! 何を意固地になってるんだ!」
「末席とはいえ騎士の妻よ? 私が代わってほしいくらいだわ!」
「贅沢を言うんじゃない! 誰だ! カレンをこんな我が儘な娘に育てたのは!」
「Fランクのくせに騎士に逆らうんじゃない!!」
ただカレンを想ってくれている人とは別に、Fランクのカレンを蔑む人々の声が入り混じる。
「騎士との結婚を拒むなんて、後ろ暗いことでもあるんだろう! 詐欺でも働いたんじゃないのか!?」
ひと際心外な怒号にカレンがドキッとしたとき、おばちゃんが叫んだ。
「それは違うわよ!」
「カレンちゃんはカレンちゃんなりに一生懸命なだけじゃ! わしのために腰痛に効くといってカレンちゃんなりの湿布を作ってくれたんじゃ! カレンちゃんに貼ってもらえばどんなポーションより効く気がするんじゃ!」
「俺たちが何か効く気がすると言っちまったせいで、カレンが信じちまっただけなんだ! そういう言い方はないんじゃないか!」
庇われているようで貶されている。
自分たちが褒めてしまったために、カレンが自分のオリジナルポーションに力があると勘違いしたと思われている。
カレンが湿布をあげたおじいちゃんも、カレンの薬が効いているとは思っていないようだ。プラシーボだと思っているようである。
「くっ……! わたしがみんなの人気者なばっかりに……!」
やはりカレンはみんなのアイドルで間違っていないのかもしれない。
そのせいで、正確な薬の効果が伝わっていないようである。
苦悩するカレンの周囲に、急に影が落ちた。
「求婚を受けているのかい? カレン」
「え――」
涼やかで美しい声のした方を振り返ると、そこには目映い金の髪に金の目をした長身の男の人が立っていた。
カレンは水色の目をまん丸に見開いた。
そういえばいつの間にか、周囲の人々は水を打ったように静まり返っていて、カレンとユリウスの周りだけがぽかんと空いていた。
「ユリウス様……!」
「私が君をかき口説いているところだというのに、その私につれなくしておいて、まさか元婚約者の求婚を受けたりはしないだろうね?」
そう言ってユリウスはカレンの手を取ると、その指先に口づける。
かき口説くだの、つれなくするだの、意味不明な言葉が連なるが、おそらくこの場を治めるための方便だろう。
カレンは沸騰しそうな頭でそう考えた。
考えて自分を保たないと、脳が溶けそうだった。
「私よりその男の方がいいとは言わないだろう?」
「もちろんです!」
カレンはきっぱりとうなずいた。
誰がどう見てもあらゆる点で、ライオスよりもユリウスの方が優れている。
自明の理である。
なのに、カレンの断言に視界の端でライオスが不快そうに顔を歪める。
カレンは当然のことを言っただけなのに、なんでそんな顔ができるのか。
自分にユリウスより勝る部分があると考えているなら、思い上がりすぎである。
「どういうことよ、カレン!? その方って、まさか――!?」
マリアンが泡を食う姿なんてはじめて見た。
カレンは胸がすっとして、節度ある距離を保っていたユリウスに少し近づいた。マリアンに見せつけるためである。
カレンの意図を汲んだかのようにユリウスがカレンの肩を抱いて引き寄せた。
特大のサービスだ。
心臓には悪いが、マリアンには効果抜群で、わなわなと震える姿を見られた。
人生ではじめてマリアンに勝った瞬間である。
カレンは心臓の負担を犠牲に勝利を掴んだ。
「私はユリウス・エーレルト。エーレルト伯爵の弟だ。仕事の関係でカレンと出会い、心を惹かれてしまった。彼女の心を得るために時間をかけて努力しているところなんだ。かつて婚約者であったとはいえ、一度彼女を捨てた者が、横合いから嘴を挟むような真似はやめてもらいたい」
オリハルコン製の助け船だ。
大船に乗るとはこういう気持ちを言うのだろう。
「何、を――」
ライオスが何かを言いさしたものの、その言葉は口の中で消えていった。
先程カレンに突き刺さっていた周囲の人たちの眼差しが、今度はライオスに向いているから。
剣術大会に優勝し、エーレルト伯爵領のダンジョンを攻略した英雄の言葉に刃向かうのかと、ライオスを無言で責めている。
ライオスは傲岸不遜だから、周りの人間のことなんて気にせず何かを言ってくるかと思ったものの、結局そのまま口をつぐんだ。
「では行こうか、カレン」
「はい!」
ユリウスに腕を差し出される。
カレンは意気揚々とそのエスコートを受け入れた。