女神の梯子
「ユリウス様、対魔物の陣が張ってあるのはあちらですが――」
「用があるのだ。しばし待て」
「はっ」
事情を知らない騎士たちに不思議な顔で見守られつつ、カレンとユリウスは一方向へ向かう。
カレンが指差す方角に、カレンを抱き上げたユリウスが向かう。
「カレン、君には何が感じられているのだい?」
「多分、魔力だと思う」
「魔力?」
「よくわからないんだけど……あっちに何か、すごく気になるモノがある。魔物はアレに向かっていってるんじゃないかな?」
腕に抱いたカレンの瞳の中に渦を巻く魔力の流れを見て、ユリウスは目を細めた。
「なるほど。ブラックドラゴンが君に何かを見つけさせるために、自らの命を使って君に階梯を昇らせているのかもしれない」
「それって、魔物がわたしの階梯の昇り方を決めたってこと?」
「私はそのように感じる時がある。だが、神官の前では言わない方がいい」
カレンが不穏なものを感じて眉を顰めると、ユリウスはカレンを安心させるように微笑んだ。
「女神の采配に魔物が干渉しているかもしれないなど、神官たちにとっては決して受け入れられないことなのだ。彼らにとって魔物は女神の試練に使われるだけの獣だからね。彼らは言語を介し対話が成立するだけの知性がある魔物が存在する、という話にもいい顔をしない。単なる事実なのだけれどね」
カレンは口をぎゅっと噤んだ。
神殿を敵に回すつもりはないので、ペガサスやブラックドラゴンと取引や交渉をしたことがあるという話は余所ではしない方がよさそうである。
「血筋の祝福など、討伐された魔物の憎悪すら感じさせるというのに――あくまでそれも、女神の祝福だという建前になっているのだ」
ユリウスが自嘲の笑みを浮かべる。
「血筋に伝わるこのおぞましい力が魔物の憎悪に塗れていないのであれば、何なのか」
「魔物は自分を倒した人を憎んだりはしていないと思うけど?」
カレンはユリウスの歪んだ微笑みに気づかず、普通に事実を指摘する口調で言った。
「魔物って、何故か死にたがっているみたい。それもただ死にたいわけじゃなくて、きちんと死にたいらしいの。変だよね? でも魔物って、そういう生き物なんだって思ったらなんとなく納得がいくんだよね。だって、魔物からは人を憎んでるって感じはしない。人殺しを面白がるってふうでもない。それなのに、お腹がいっぱいでも襲ってくる……彼らが人に襲いかかってくるのは死にたくて、倒されたいからなんだなあって。それが彼らにとってきちんと死ぬこと、なんだって――」
語るカレンの顔には笑みが浮かぶ。
野生の獣とは違う、飢えた肉食獣とも違う、何かが違うのに人に襲いかかる恐ろしい生き物。
その生き物についての理解が深まることが、とにかく面白くて仕方ない。
カレンの楽しげな表情を見下ろしながら、ユリウスは訊ねた。
「もし魔物が憎しみを抱いていないとして、どうして強大な魔物は末代にまで続くような祝福を残したりするのだろう?」
「自分を倒してくれてありがとう! っていう気持ちなんじゃないかな?」
まるで魔物の気持ちになってみせたかのように感謝に輝く目をして言うカレンに、ユリウスはふふっと笑みを零した。
「カレンがそう言うのならそうなのだろう」
「あっ、けっこう適当に言ってるし、あんまり信じないでね」
これまでユリウスは何者かに憎まれているのだと確信していた。
だから、苦しんでいるのだと。その苦しみから逃れるためには一分の隙もない、必死の努力が必要なのだ、と――だが、カレンがそう言うのであればユリウスは誰にも憎まれてはいないのだ。
たとえそれが事実であろうがなかろうが信じることを決めたユリウスの腕の中で、ひとしきり慌てた後でカレンは反省の色を浮かべた。
「Bランク錬金術師なんだし、これからはあんまり適当なことを言わないようにしないとな……あっ」
ユリウスはカレンが何かに気づいた様子で声をあげると同時に、足を止めた。
「この辺りかい? カレン」
「うん」
知的好奇心に駆られたカレンがユリウスの腕から降りたがる。
ユリウスは名残を惜しむようにゆっくりとカレンを腕から下ろした。
天幕がいくつも立ち並んでいる。
魔物が押し寄せてきて、大崩壊かもしれないからと避難する時に捨て置かれた天幕たちである。
まばらに人が戻ってきている天幕もあった。
天幕の前に見張りを立たせていたりもした。
その天幕のうちの一つに向かってカレンは歩いていった。
カレンが向かった天幕の前ではエーレルトの騎士が見張りをしていた。
「ユリウス様に……カレン様。どうされましたか?」
「中に入れてください」
「しかし、ここは――」
「エーレルト伯爵家の用のためだ。入れて構わない」
カレンの侵入を阻もうとした騎士が、ユリウスの言葉に怪訝な面持ちをしながらも道を譲る。
中に入るカレンに続いてユリウスも入り、顔をしかめた。
「……死体置き場か。カレン、大丈夫かい?」
「大丈夫。寒いおかげで、腐ってるわけでもないし……」
どこか心ここにあらずな調子で答えつつ、カレンはフラフラと奥に進んでいく。
狩猟祭に巻き込まれて死んだ平民たちの亡骸が並んでいる。
そのうちの一つの前で立ち止まると、カレンはしゃがみこんでその死体をじっと見つめる。
恐らく、平民の商人か何かだろう。
裕福な装いをしているが――よく見ると手が装いに不釣り合いに荒れている。
やがて、カレンはその死体の腰に巻かれたポーチを漁った。
カレンはポーチの中から赤いメダルと手のひらサイズの白い卵を取り出した。
その真っ白な卵がうっすらと発光していることを除けば、ほとんど前世の鶏の卵のようだった。
「そのメダルはヒヒイロカネ合金のメダルか。見せてくれるかい?」
カレンはうなずいて赤いメダルをユリウスに渡した。
「――鎚と剣。コート子爵家の紋章だ」
「コート子爵家?」
「カレンと共にダンジョンに潜った第三部隊の部隊長をしている男の家の紋章だよ」
「アルバン様の? ああ、なるほど。濡れ衣を着せるための証拠なんだ」
そういえば、幾度となく濡れ衣を着せられそうになっていると言っていた。
カレンは納得すると、メダルへの興味を失った。
すべての興味は卵の方に向かっていた。





