ダンジョン九階層到達
カレンが会話できる程度にまで振動を抑えるという小技は、当然速度を犠牲にするようで――結局、最速を求める今、会話の必要がない場所では騎乗竜ルミーのトップスピードで走らせることになった。
カレンが悲鳴を上げたり吐き気を堪えて口を噤んでいたり、すべてを諦めて気絶寸前になっていたりしているうちに、気づくとカレンは雪山の尾根の上に到達していた。
そして、目の前には黒い二本の柱がある。
十階層へ繋がるダンジョンの門である。
ここに至るまで、たった一日と少し。
昨日、昼過ぎに六階層を出立してから強行軍で騎乗竜のルミーを走り続けさせ、行く手を阻む魔物をリヒトが即殺した結果だ。
ダンジョンの門の前で、カレンはぐったりと横たわった。
指一本動かす気になれないカレンの横で、リヒトが火を焚こす。
「……リヒト様たちぐらいのランクになると、こんな速度で攻略するんですね」
「いや?」
いくらか気力を取り戻しはじめたカレンの言葉をリヒトは否定した。
「もっとゆっくり潜るんですか? 確かに、それが安全ですよね。ダンジョンって、何が起こるかわからないし」
それを考えれば、カレンたちの潜り方はとてつもなく危険だろう。
だが、リヒトはそんなカレンの考え方も否定した。
「逆だよ、逆。もっと速く潜る。特に最初の十階層なんて、一気にな。そうすりゃ十階層までにいるような大抵の魔物は追いつけないから、たとえどんな魔物がいるにしろ、むしろ安全なんだよ」
「……まさか、リヒト様ってルミーちゃんよりも速く走れるんですか?」
「そりゃそうだろ? 騎乗竜はレッサードラゴンだ。そのランクはEランクだぜ? 人が飼い慣らせるぐらい弱いって意味だ。だが、騎乗竜に選ばれるレッサードラゴンはランクの割に足が速い。速いヤツだとCランクの魔物と同程度の速さを出す――だが、俺やユリウスはCランクの魔物よりも強い」
「じゃあ、リヒト様に担いでもらった方が早かった、ってことですか?」
「俺たちの最速に普通の人間の体じゃ耐えられないから、騎乗竜で正解さ。騎乗竜の速さが人間がギリギリ耐えられる速さだって言われるくらいだからな」
「そうなんですか……」
カレンは脱力した。
ここは雪山の尾根で、わずかに歩ける道は背骨のように細く、左右は急な崖になっている。
少し平たい場所にはびっしりと分厚い雪が降り積もっていた。
だが、ダンジョンの門のある開けた場所周辺だけは、ぽっかりと雪が積もっていない。
ダンジョンの門の近くには魔物もほとんど近づいてこないので、野営にはぴったりだった。
カレンは岩肌にモコモコのマントにくるまって横たわり、空を見上げていた。
ダンジョンの中なのに、漆黒の夜空には満点の星が輝いている。
前世の星の運行に詳しい人なら、こうして星を見るだけで何かを理解するのかもしれない。
あいにくカレンはオリオン座くらいしか知らないが、少なくともオリオン座は見えなかった。
「そんなに速く潜れてるはずなのに、ユリウス様はどうしてまだ出てこないんだろう……」
「案外、道草を食っているだけかもしれないぜ」
「……そうかもしれませんね」
カレンの独り言を拾ったリヒトは、実際にはそう思っていないからここまでの道のりを急いだのだ。
そしてカレンもまた、道草なんてまったく思っていないが、そうであったらいいのにと心から思う。
これは二人の願いだった。
十階層。何が待ち受けているかわからないから、カレンとリヒトは両者共にダンジョンの門の前での野営を選んだ。
一刻を争う状況だからこそ、万全の備えをしなければならない。
「カレン、火は熾したぜ。起きられるか?」
「……はい、休んだので大丈夫です。火を熾していただいてありがとうございます」
ぐったりしていたカレンが起き上がると、リヒトは注文を始めた。
「下の階層に降るほど気温が下がっている。他のエーレルト系列のダンジョンの特徴と同じだ。体を温めるポーションはもっとあってもいい」
「作ります」
「今のところ、必要なのはそれぐらいだ」
リヒトの言葉に、カレンはこっそり安堵した。
何もしていないのに、カレンは疲れ果ててヘトヘトだった。
「回復ポーションは君のお手製が残っている。魔力回復ポーションは手持ちの在庫がある。それと、今夜の夕食に魔力は使うなよ。明日に備えて温存しておけ。明日にはユリウスのもとに辿り着く」
「わかりました」
必要なものは現地調達してその場で作る。
これがカレンが自ら申し出た役目だ。
たとえどれほど疲れていようと仕事はこなさなければならない。
リヒトの言葉にうなずきつつ、カレンは手袋に手をかけた。
長時間騎乗竜にしがみついていたために手が強ばっていて、中々脱げない。
なんとか手袋を半ば脱ぎかけて、カレンは眉をひそめた。
ジークがくれた水色の手袋の下の手が真っ赤なしもやけになっていた。
たった一日と少しのことなのに、関節ごとに皮膚はひび割れ、あかぎれになっている。
爪の根元もぱっくりと剥がれて血が滲んでいる上に、爪が一部剥がれかけていた。
ダンジョンの門を潜る度に次第に増していく寒気のせいで、手の感覚がないのか痛いのかもよくわからなかったから、こんなことになっているとは思っていなかった。
カレンはこくりと息を呑む。
もしかしたらこの後、ポーションを使わないと死ぬ大怪我を負う可能性がある。
これしきの怪我でポーションを使ってクールタイムを発生させるわけにはいかないので、カレンは手袋を外すのをやめた。
魔法の保護がかかっているはずの手袋をしてさえこれなら、手袋をしていなかったらどうなっていただろう。
「どうした? カレン」
「何でもありません」
ただしがみついていただけで何もしていないのに、勝手に満身創痍な自分にカレンは苦笑しながらリヒトに答えた。
魔力の満ちた試練の空間に存在するだけで、その場に相応しくない者は削られてしまうものらしい。
カレンは手袋をしたまま錬金釜を火にかけた。
まずは夕食から作っていく。
魔力をこめないように気をつけつつ、簡単に薬草固パンを湯がいた。
そこに道中採取したなけなしの食材、カボチャのかけらやダイコンを刻んで加えた。
ブーツも魔法がかかっているから凍傷にはならないはずだ。
けれど、随分前から足の指の感覚はない。
もしかしたら、魔法がかかっているとはいえダンジョンの十階層に挑むには足りない装備だったのかもしれない。
だが、今更それを言っても仕方ないので平気な顔を保っておく。
無言で夕食を終えた後、カレンはリヒトが挙げたポーションを一つ一つ作っていく。
最後に、カレンは体を温めるポーションの作成を始めた。
雪を溶かしてお湯を沸かすと、カレンは手袋をしたままの手で不器用に布袋を開き、乾燥したショウガのスライスを錬金釜に入れていく。
エーレルト領の冬が寒いのは最初からわかっていたので、最初から体を温める食材として、ジンジャーミンスを持ち込んでいた。
それに、狩猟祭で遭難したら舐めようと思って持ってきた栄養価の高い蜂蜜もある。
蜂蜜をたっぷり入れて、道中、採取したレモンの輪切りも投入する。
お茶の入れ方というより、これはポーションの作り方だった。
世界樹の柄杓で魔力をこめて混ぜ合わせた後、カレンは錬金釜の中身を鑑定した。
蜂蜜レモンのジンジャーティー
体を温める
差し出されたカップを受け取りジンジャーティーをたっぷり注いでリヒトに渡す。
リヒトは一口飲んで唸った。
「君のポーションの問題点は美味すぎるところだな。意味もなく二杯は飲みたくなる」
リヒトに渡したあと、カレンも自分のカップに湯気を上げるジンジャーティーを入れ、一口熱い液体を喉の奥に流し込んでほっと白い息を吐いた。
ショウガの味と甘酸っぱさ口いっぱいに広がった次の瞬間、途端に体中がポカポカしていくのを感じつつ、カレンは訊ねた。
「補助ポーションがなくても、リヒト様ならこのダンジョンを攻略できますか?」
「できるぜ。できるが、それなりに体は痛むだろうな」
リヒトの答えはほとんどカレンの予想通りで、カレンはうつむいた。
「ユリウス様……こういうポーションを持ってきてますでしょうか」
「当たり前だ。ダンジョンを攻略すると決めていたら、当然備えておくものだろう?」
ダンジョンに潜る予定のなかった騎士団でさえいくらかの備えがあった。
カレンはうなだれたまま呟くように言う。
「ユリウス様みたいに魔力の多い人って、ほとんど体を損なわないはずなのに……わたしが初めて会った時、ユリウス様、肌が荒れてました。体に魔力が満ちてるから、めったなことじゃ荒れないはずなのに」
「……王都ダンジョンの攻略に手こずっていたからじゃないかい?」
「そうだといいんですけど」
ダンジョンに潜ることを好みながらもそんな自分を嫌うユリウスが、果たしてダンジョンに潜る自分を守るための備えをどれだけするのか。
もしかしたら、身を守るに足りない装備とポーションで、無茶な潜り方をしていたのかもしれない。
「君の予想だと、ユリウスが無謀にも備えもせずにダンジョンに潜っているかもしれないのか? 俺とエーレルトのダンジョンを攻略した時にはそんなことはなかったが――それは、俺たちがいたからか」
リヒトは苦々しい顔つきになる。
「もしそうだったら、なめた根性を鍛えあげ直してやる」
これまで、ユリウスならカレン自作のポーションよりいいものをたくさん用意できるだろうと思っていた。
だから、ダンジョンに潜るというユリウスにポーションを渡すとしても、カレンしか作れないようなポーションに限った話で、一から十までポーションを作って渡したことはない。
渡せばよかったと思った。
両手一杯にカレンのポーションを持たせて、身動きできなくしてやればよかった。
「早くユリウス様を迎えに行きたい」
「……ポーションを片付けたらさっさと寝て、体力を回復しておくんだな」
リヒトはカレンの呟きに反応せず言うと、手早く身支度を調えて焚火の側で横になる。
カレンは錬金釜の体を温めるポーションを瓶詰めし終え、背嚢の中に詰めると、コロンとリヒトと焚火を挟んで反対側に転がって、マントにくるまり丸くなった。





