巻き込む
「騎士団長様はヘルフリート様と一緒にいるものと思っていました」
どうしてこんなところにいるのか。
カレンの言外の問いに、ゴットフリートは答えた。
「エーレルト伯爵のもとには元からの現伯爵派の騎士たちが侍っているのだ。私は前伯爵派の騎士たちを連れてここにいる」
そう言うゴットフリートの背後には、見慣れない騎士たちの姿がある。
王都のエーレルト伯爵邸の顔見知りの騎士たちが現伯爵派なら、彼らは前伯爵派――ホルスト派だった人たちなのだろう。
つまり、騎士団員でありながらヘルフリートに信頼されておらず役目を与えられていない人たちだ。
「……わたしに何かご用ですか?」
「オティーリエ嬢の提案を断ったそうだな?」
「彼女とお知り合いなんですか?」
「妻の親戚筋でな」
エーレルト領の貴族が領内で結婚相手を見つけようとすると、大体親戚同士になるのだろう。
「これは私の頼みを聞くつもりはない、という意思の表明と受け取ってよいのだろうか? 君の周辺を取り巻くのはユリウス様の味方だけだ。そんな君にとって有益だろう情報を得るつもりはない、と?」
確かに、カレンに案内人を付けたのはアリーセで、リヒトもまたユリウスの味方だ。
ユリウスにとって不利益になる情報をカレンに耳打ちする人なんていないだろう。
だからといって、カレンの気持ちは変わらない。
それを聞きに来たのだとしたら、カレンが提案を拒んだ時、一体どんな反応を返してくるか。
カレンはごくりと息を呑みつつ答えた。
「騎士団長様からご提案を受けた取引の件でしたら、もう前提条件が破綻してしまいました」
「破綻?」
「例の情報でしたら、すでに聞いてしまいました。だからその取引は成立していません」
目を丸くするゴットフリートに、カレンの後ろから近づいてきたリヒトが言った。
「事実ですよ、騎士団長殿。ユリウスは秘密を打ち明けたから、彼女に俺を紹介したのです。これまで彼女に紹介してもらえなかったのは大方、俺がユリウスの許可も得ずに秘密をバラすようなやつだとでも思ってたからかな」
ハハ、とリヒトが乾いた笑いを浮かべる。
カレンは目を剥いた。
「リヒト様!? わたし、ユリウス様の秘密って言わずに言葉を濁してたのに……!」
「盗聴防止の魔道具を使ってるから安心しな」
そう言ってリヒトが手のひらを見せる。
ドーム型乳白色の魔石が黒い台座に嵌められていた。
カレンが周囲をよく見ると、ドームと同じ形と色をした薄い透明な膜が周囲に広がっていた。
この中の音は外には届かないようになっているらしい。
ゴットフリートは「驚いたな」と呟いた。
「あのようなおぞましい秘密をユリウス様が自ら口にするとは思わなんだ」
「おぞましいのはユリウス様をそういう状況に追い込んだ大人たちであって、ユリウス様じゃありませんので!」
「これについてはカレンの言う通りだな。ユリウスは気にしすぎなんだ」
「ユリウス様のせいではなくとも、起きた事実は変わらないだろう?」
ゴットフリートは不思議そうな顔をする。
それが、普通の貴族の考え方だとでもいうのだろうか。
反感を覚えつつも睨みつけないよう理性を総動員させるカレンに、ゴットフリートは言った。
「父親にダンジョンの十階層に放り込まれた十にも満たない子どもが生き延びるために一体何をしたのかを想像するだけで、私はおぞましくて吐き気がこみ上げてくるが――」
「ちょっっ、待ってください」
「何だ?」
首を傾げるゴットフリートを押しとどめるように手のひらを向けた格好で、カレンは愕然として言った。
「それ……初耳、なんですけど……」
「はあ!? ユリウスは君に秘密を打ち明けたと言っていたが!?」
「秘密は打ち明けられましたけど!? でも、十階層に放り込まれたとか、そんなの、聞いてない……」
カレンはあることに気づき、ぞっとして鳥肌が立った。
「まさか、ユリウス様の、あの無軌道な戦い方って……」
「見捨てられた子どもがダンジョンから生きて出るために、命をかけて身につけた戦い方、だな。そのようなおぞましい戦い方は騎士団に相応しくないため、ユリウス様の申し出には感謝はするが、あの方の戦い方を騎士団員に学ばせるつもりはなかったのだ」
孤児の子が、ダンジョンに潜って自己流の戦い方を身につけることはままあることだ。
だからカレンは、ユリウスの戦い方を見ても、洗練された剣術と違うと思うだけだった。
だが、孤児でもないユリウスがどうしてそんな戦い方を身につけたのか――。
「ユリウス様の秘密を私から聞いたからには、当初の私の要求を呑んでくれてもよいのではないか? 前伯爵派の者たちを助けるために、協力してもらいたいのだが――」
「……秘密じゃないですよ、これ」
「何の話だ?」
ゴットフリートは首を傾げる。
カレンはユリウスとの会話を思い出して歯がみした。
「ユリウス様にとっては、これ、秘密じゃないです……だってユリウス様、わたしにはもう何の秘密もないって……すべて話したって言っていました……あれは、嘘じゃありません」
カレンはこの場にいないユリウスを睨みつけながら、ギリギリと歯を食いしばった。
「あの男……! これぐらいのことはわたしに話す価値もないと思って、話さなかった……!!」
「もしやあの男って、ユリウスのことかい?」
リヒトの言葉を無視して、カレンは頭を抱えてぶるぶると震えた。
ユリウスにとっての懸念は、カレンに生い立ちを知られることだった。
女性の尊厳を穢す話が含まれるから、カレンが嫌悪感を持つ可能性があるとでも思っていたのだろう。
そして恐らく、ダンジョンに捨てられた幼いユリウスが生き延びるために戦ったことについては、カレンに拒まれるとは思わなかったのだ。
確かに、嫌悪感を覚える要素がどこにもない。
冒険者は必要なら虫だって食べる。
強大すぎる魔物に襲われて食われても、内側から食い破って生き残った冒険者だっている。
お上品な貴族には受け付けなくとも、冒険者の娘として姉として生きてきたカレンにとっては大した話ではなかった。
問題は、ユリウスがその過去を、取るに足らない出来事だと思っていること。
だから秘密などないと言ったのだ。
それはユリウスにとって秘密にするほどのことでもなかったから。
どうせなら、カレンが心を痛めるだろうと考えて秘密にしてくれていた方がマシだった。
「わたしがどれだけ大事に思っているかも知らないで……!!」
カレンは頭を抱えてピアスに盛大に魔力をこめた。
遠く離れていると魔力の伝導率が悪いらしいので、思いっきり込めておく。
「ふむ。もしも私が君に伝えた情報に価値があると思ったのなら、巻き込まれてくれるか?」
「はあ?」
爵位持ちの貴族の騎士団長相手にメンチを切るカレン。
それを不問に付してか、むしろ不遜な態度が駄目押しとなってか、ゴットフリートは言った。
「まあ、君が了承せずとも巻き込みに来たのだが。後で詫びはする」
「おい――!」
リヒトが盗聴防止の魔道具を停止させた瞬間、天幕側の森の浅い部分で爆発音が響いた。
「魔物だ! 森の奥から魔物の群れが現れたぞ――!!」
「群れ!? まさか大崩壊!?」
カレンはぎょっとしてゴットフリートを見上げる。
「あなたの仕業ですか?」
「とんでもない。むしろ、あれを我々の仕業にさせられぬように君に助けを求めている。逃げるぞ、錬金術師殿。総員、逃げ足用意!!」
ゴットフリートが控えさせていた騎士団員に指示を出す。
地響きが迫ってきているのがわかり、カレンは天幕から三秒で貴重品を持ち出した。
「あちらに逃げるぞ!」
リヒトの指示に従い、カレン、ペトラ、ロジーネ、ウルテとセプルも後に続く。
その後ろにゴットフリートと騎士団員も勝手に続く。
走りながらカレンの隣までやってくると、ゴットフリートは言った。
「何者かが元伯爵派の者たちに濡れ衣を着せようとしていてな。現場にいると巻き込まれかねないので、現場から離れなくてはならないのだ。ということで、我々の無実の証人となってもらいたく、共に逃げてもらってもいいだろうか?」
「事後承諾すぎますよ!?」
とはいえ魔物が迫っているのにこちらに来るなとも言えない。
「何か仕掛けてくるとすれば新年祭だと思ったのだがなあ」
カレンが必死に走っている横で、鍛えあげられた肉体を持つ騎士団長はのんびりと走りながら言う。
この行軍の速度は一番足の遅い、カレンの足に合わせているらしかった。
なので、カレンは言い返すこともできずに死に物狂いで走り続けた。