オティーリエの理由
令嬢たちが信じられないとばかりにざわめいて周囲の注目を集めはじめたので、カレンたちはカレンの天幕に移動した。
カレンの天幕内にいるのはカレンとユリウス、ペトラとロジーネ、オティーリエの五人。
天幕の外にはウルテとセプルが立っている。
オティーリエにとって完全なアウェイとなった天幕の中、オティーリエの説明を聞いてカレンはようやく正確な末席の妻というものの意味を把握した。
「なるほど、貴族の場合の年季労働者……いや、無期労働者、ですか」
つまり、魔法契約で縛られる年季労働者がこの世界における平民の奴隷なら、魔法契約で縛られる末席の妻とは貴族の奴隷にあたるらしい。
カレンはうんざりと溜息を吐いた。
かつてのマリアンとライオスは、カレンをなんてものにしようとしてくれていたのか。
そしてそんなものにでもならなければ大崩壊が起きた時に救われないFランクの錬金術師だったカレンは、どれほど地位の低い存在だったのか。
――Fランクの錬金術師にすらなれないこの世界の少なくはない数の人々が、どのような思いで今もこの世界を生きているのか。
「わたくしが末席の妻の座を望んだことで、カレン様のお気を悪くさせてしまったこと、まずは謝罪させてくださいませ」
そう言って、オティーリエは席を立つと優雅に礼を取った。
説明によれば、オティーリエはこんなふうに謝罪する必要など少しもないはずなのに、カレンの溜息を聞いて誤解したらしい。
「頭を上げて座ってください、オティーリエ様」
「かしこまりました、カレン様」
オティーリエは素直にカレンの言葉に応じて席に戻った。
名ばかりとはいえ妻なので、実家との縁は切れ、出ていくこともできない。
自由を失い、ただ名目上の夫とその妻に従うだけの、末席の存在。
貴族でありながら貴族としての尊厳をぎりぎりまで落としつつ、それでもなお貴族であり続けようとする存在だという。
困窮していない状況で末席の妻になることを申し出た場合、それは夫、引いてはその家への深い忠誠を意味するそうだ。
特にオティーリエのようにある程度高位の家の貴族で、しかも魔法を使える戦力となるような人物が申し出た場合は、その献身に報いるために快く迎え入れるのが普通だと言う。
何故ならそれは、自分の生殺与奪権を相手に握らせる契約だから――。
「それで、どうして末席の妻とか年季労働者になろうとしたのか、もう一度聞かせてもらえますか?」
「わたくしの家族と領地、そこで暮らす領民たちを保護してほしいのです。そしてもし叶うのであれば悪意のない友人たちのことも助けていただきたいと思っております」
「そもそも、何に困ってるんですか? 確かにヘルフリート様はホルスト派の皆様を冷遇されてはいると思いますけど、領地に影響を及ぼすほどだったでしょうか?」
ユリウスやカレンの助けを求めるとは、一体どういう状況なのか。
ヘルフリートは確かにホルスト派だった人間を排除していっている。
屋敷内からだけではなく、騎士団や役職からも排除しているようだった。
ホルスト派、前伯爵派だった人々を冷遇していると言っていい。
だが、身の回りから排除しようとしているだけで、領地に手を出そうとはしていなかったはずだ。
今後も、領地や罪もない領民が困るようなことはしないだろう。
カレンの知るヘルフリートはそういう人である。
「領地を没収されそうになっているんですか? それとも、エーレルト領内の地位やエーレルト伯爵家での役職を守りたいというお話ですか?」
騎士団長のゴットフリートには冷遇される前伯爵派を助けてほしいとは言われたものの、ただちにユリウスの奴隷になったりカレンの奴隷になったりしなくてはならないと思うほどの酷遇ではないはずだ。
カレンの問いに、オティーリエは首を横に振った。
「派閥争いに敗れたのですからエーレルト領内での地位が下がることは致し方ないことですし、役職を外されることは当然のことです。また、伯爵様はわたくしたちの家から領地を没収されようとはしていません」
「では、あなたはどんな窮地から助けてほしいんですか?」
「それは……」
そこまではよどみなく話していたオティーリエが一瞬口ごもる。
「……ホルストの罪に巻き込まれないよう、わたくしの忠誠の在処を今のうちに示しておきたいのです」
「ホルストの協力者だと疑われないように、ですか」
「はい。わたくしたちは無実ですわ。ですが、それを信じていただくための証拠がないのです。ですから、今のうちに証明したいのです」
カレンはカレンの後ろに立ってここまで静かに見守っていたユリウスを見上げた。
「ユリウス様はどう思いますか?」
「カレンの好きなようにしてくれて構わないよ。私の妻とすること以外であれば」
ユリウスはにっこりと微笑んだ。
直前までオティーリエに向けていた眼差しは冷めていたし、どうでもよさそうな態度である。
その態度を見ればカレンも誤解のしようがなかった。
むしろ、意外な冷たさに戸惑いつつ訊ねた。
「……助けたい、とは思わないんですか?」
「本当に彼女がホルストの企てと無関係なのかは怪しい、とは思っているね。むしろ関係があるからこそダンジョンの異変をヴァルトリーデ王女殿下と共に解決したカレンの庇護下に入ろうとしているのではないかと疑いを持たざるを得ない」
どうでもよいどころか、ユリウスはオティーリエを助けることに難色を示していた。
それに、カレンもユリウスに同意するところがあった。
「確かに、他の令嬢たちにはオティーリエ様ほどの危機感があるようには見えませんでした。それなのにオティーリエ様からは切迫感を感じますね」
「関係がないことを証明するのは非常に難しく、カレンが身内に引き込んだあとにホルストの企てとの関係が明らかになれば、カレンにも累が及びかねない」
「確かに、そうなんですよねえ」
「魔法契約で嘘が吐けないようにして、ご質問いただければ――」
「君が無関係でも君の家族や親戚、使用人や親しい友人たちが無関係とは限らないだろう?」
ユリウスはオティーリエの反論を淡々と封じ、カレンを見下ろした。
「それでも、カレンが望むのであれば構わないが、どうするかい?」
どうするもこうするも、今のところカレンにはオティーリエを助けたいという動機がまったくない。
末席の妻も年季労働者も、カレンにとっては無用の長物。むしろ迷惑ですらある。
なので、このままならオティーリエの申し出を断ることになるだろう。
「ペトラ様とロジーネ様はどう思いますか?」
「私もカレンと同じ感想ね。何かやっちゃったから誰よりも先に下手に出て助けを求めてきてるんじゃないの?」
「私もペトラ様と同意見です、カレンさん。そもそも、ホルストのような男に一体何ができるでしょう?」
カレンはロジーネの言葉に引っかかりを覚えて首を傾げた。
しかし、カレンが引っかかったロジーネの言葉に、ペトラはすぐさまうなずいた。
「そうよね? あの男が罪を犯したとは言っても、大した罪を犯せるような人物じゃないわよね」
「ええ。そんな男の罪に巻き込まれたくないからとカレンさんの助けを乞うなど、怪しいと思いますわ。オティーリエ様には他に何か別の目論見があるのではありませんか?」
ホルストたちは反逆罪に問われるだろう。
あまり刑罰に詳しくないカレンの目から見ても、事の経緯を思えばそれは当然のことに思える。
それなのに、ペトラとロジーネは異様な会話を紡いでいく。
カレンがぞっと鳥肌を立てた時、オティーリエは静かに言った。
「カレン様、これが理由ですわ」
これ、と言って指し示されたペトラとロジーネが反感を前面に押し出して抗議しようとするのをカレンは制して、オティーリエに話の続きをうながした。
9月5日、本日発売!
『錬金術師カレンはもう妥協しません1』をよろしくお願いいたします!!
夜、帰宅したら素敵なキャララフをXにupさせていただく予定です。お楽しみに!!





