持ち運び用万能薬
「ねーちゃん、孤児院はどうだった?」
「トール」
カレンは例によってカレンのために用意された錬金工房代わりの厨房の一角で、錬金釜ではなく、その隣の普通の鍋を覗き込んでいた顔をあげた。
エーレルトの領都ダンジョンを攻略するために情報収集に出ていたトールが、戻ってきていたらしい。
「わたしは予定通り寄付できたよ。色々困ってるみたいで、孤児院長の神官がユリウス様にエーレルトの支援を頼んでて、ユリウス様はそれを受け入れてたから、これからよくなってはいくんだと思う」
オーガストはユリウスたちエーレルトは魔力の少ない人々に対して隔意があるに違いないと感じていたようだった。
ユリウスもヘルフリートもアリーセも、そんな人物ではないのに。
だから驚いてはいたものの、支援要請を受け入れたユリウスにほっとした様子だった。
「だけど、魔力が少ないやつへの差別はどうにもならないよな」
「まあねえ」
「それをホルストとやらと約束があるからって、ねーちゃんが必要以上に気にするのは、違うからな? ねーちゃんは約束のためにエーレルト伯爵家に働きかけて、伯爵はこれに応えて予算を増やした。これで十分。終わりの話だ」
トールに釘を刺され、カレンは苦笑した。
「気にはしちゃうけど、すべてをどうにかするのがわたしの義務だ、とは思ってないよ」
「それならいいんだけどさあ。ところで、ねーちゃん何作ってんの?」
「ポーションだよ」
「万能薬の匂いはするけど……なんか違わね?」
そう言って、トールが見下ろすのはトレーに入れられた固形のカレールーである。
「万能薬の固形ルーを作ってみてるんだよ」
「るー?」
きょとんとするトールに、カレンは言い直した。
「持ち運びしやすい万能薬を作っているんだよ。わたしの作る万能薬って、瓶に入れて持ち歩くって感じじゃないからね」
「ほとんど食いもんだもんな」
「だから、もっと使いやすい形にして持っていってもらおうと思って」
「……もしかして、オレのため?」
「エーレルトの領都ダンジョン、攻略するんでしょ?」
カレンが見ていた鍋の中にあるのは、その固形ルーを割ってお湯に溶かしたものだ。
お湯が沸騰したあと、火を止めて固形のルーを入れて溶かしたところだ。
「このお鍋のカレーを鑑定して、万能薬の効果が残っていたら成功ってこと」
「マジ? 成功しててくれ……!」
祈るトールの前でカレンは鑑定鏡を掲げた。
みじん切り野菜カレー
万能薬(小)
「ねーちゃん! 成功じゃん!!」
「ここまでは何度か成功してるの。問題は、わたし以外の人がカレールーをお湯に溶かしてもそれが万能薬になるかってこと! はい、次はトールがやってみて」
「え? オレ!?」
「もしかしたらトールなら成功するかもね。わたしから無魔力素材について、色々聞いて育ってるし」
「失敗ってつまり、ねーちゃんがせっかく作ってくれた万能薬を台無しにするってことかよ!?」
「頑張れ頑張れ。どうせダンジョンに入ったら自分でやらなきゃいけないんだから」
「え~」
トールは不満げに唇を尖らせつつも、カレンに言われた通りに新しい鍋を引っぱり出してくる。
「お湯を沸騰させたら火を止めて、そこにカレーのルーを割り入れて溶かしてね」
「ねーちゃんの説明の仕方がポーションの作り方じゃなくて、完全に料理なんだって」
「料理と同じようなもんだよ。体にいい素材を、どんなふうに体にいいのか理解しながら入れていく。料理として味のバランスを壊さないようにね。味のバランスを整えたまま、体にいい効果を積み重ねていくと、複数の効果が統合されて万能薬になる。女神様がそうしてくれるんだよ」
「う~。オレが今万能薬をぶっ壊してんのかもって思ったらおっかね~」
ぶつくさ言いつつ、カレンの説明通りにお湯が沸騰するのを待ってから火を止めて、カレーのルーを割り入れていく。
ぐるぐるかき混ぜて溶けてくるとトールが言った。
「ねーちゃん、溶けたみたいだけど、次はどうしたらいい?」
「トールたち、自前の鑑定鏡って持ってる?」
「持ってるよ。ねーちゃんの鑑定鏡よりもランクは低いけど」
「それで鑑定してみようか」
「これ、置いてって大丈夫なのか? ずっとかき混ぜ続けてないといけないとか!」
「ないない。いや、何時間も放置したらわかんないけどね?」
「すぐ戻る!」
トールは慌ただしく厨房を出ていったあと、すぐに戻ってきた。
後ろにパーティーを引き連れて。
「エーレルトダンジョン攻略に万能薬を持っていけるかどうかの瀬戸際だって聞いたわ! 万能薬って美容にもいいのよね!?」
「あの美味い飯をダンジョンでも食えるとはありがたい話だ」
「万能薬を化粧水や美味い飯と同じ扱いすんなよな……」
クリスが疲れた顔をしてワンダとオードに突っ込みを入れる。
「あーあ。リーダーに作ってもらうんじゃなあ。カレンさんみたいな女の子に作ってもらうから美味しいのに」
「じゃ、おまえは万能薬なしな」
「リーダーが言うと毒に侵されても麻痺で体が動かなくなっても万能薬をもらえなさそうで恐いんだけど!?」
「……」
「否定して!!」
軽口に重い罰が降って半泣きになるルイスに、クリスが青い顔で胃をさする。
トールとルイスのじゃれあいはカレンの目には可愛らしいやりとりに映るのだが、クリスにとっては胃の痛いやりとりであるらしい。
「まあ、ポーションとしては壊れちゃっても普通に美味しい料理として食べられますから。食欲がない時にでも、ちょっと味が微妙なものでも、カレーに入れたらなんだかんだ食べられますからね」
「ああ……食欲がなくても食えるってのはありがたいな……」
一番年上に見えるし見た目の上では立派な大人なのに、下っ端らしい風情をかもしつつクリスは苦笑いする。
ワンダが手にした鞄の中から引っぱり出した一番典型的な形をした鑑定鏡、つまりは虫眼鏡型の鑑定鏡を取り出した。
カレンの鑑定鏡とよく似ているものの、模様が少ないように見える。
「……万能薬(小)のポーションと出た! ねーちゃん!!」
「それならダンジョンに持っていけるね」
「これ、いくら?」
「お金を払おうとしても無駄でーす。まだ値段は決まってませーん」
「小万能薬の値段は知ってるし! Bランクの冒険者は金なんていくらでも持ってるんだからな! 家で食う料理はともかく、冒険者として使うポーションの対価なんだ! 絶対に払うからな!!」
猛然と財布を取り出すトールにカレンはこっそりほくそ笑む。
この固形のカレールーを作るには、一度、中万能薬を作ってから、そこに小麦粉を入れて練っていく。
固めるための小麦粉を入れると万能薬のランクは下がって小万能薬になってしまうものの、固形のルーが完成する。
元は中万能薬だなんて知ったらトールは中万能薬価格を払いたくてたまらなくなるだろう。
だが、トールがそれを知ることはないのである。
「くーっくっくっく」
「うぐっ……ねーちゃんが悪い笑い方をしてる時にはなんかあんだよな……くっそ……わかんねえ!」
トールはカレンの悪い笑みの理由を看破することができず、頭を抱え続けていた。