社会のひずみ3
「改めて、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「エーレルトの子どもたちについては、我々エーレルト伯爵家にも責任があるだろう。カレンに怪我もないし、気にしなくて構わない」
「ユリウス様にそう言っていただけて安心いたしました」
ユリウスの言葉にほっとした表情を見せる院長は、先程ユリウスに子どもたちを脅しつけるよう依頼した。
ユリウスの顔見知りらしい。
院長はカレンに向き直ると、改めて神官の礼を取る。
「改めて、私は孤児院の院長を任されている神官のオーガストと申します」
「はじめまして。わたしは錬金術師のカレンです。本日は寄付をするため、ユリウス様に案内をしてもらいました」
「お初にお目にかかります。カレン殿のご高名はかねがねお伺いしております」
「恐縮です」
神官というと、平民のカレンからすれば立派な人物という印象だ。
魔力量がCランク以上ないといけない上に、常にそれ以上のランクに上がろうと修行をし続ける。
その目的は女神に近づくこと。冒険者に似ているようで、彼らの修行の中身は無私の公への奉公である。
己のあらゆる欲望を叶えるために命をかける冒険者とは対極の存在でもある。
神殿への敬虔な気持ちはそれほどないものの、彼らの志自体は尊敬に値する。
そんな人からご高名だなんて言葉が出てきて、カレンは照れつつすすめられたソファに座った。
執務室にあった割れた花瓶は片付けられていて、カレンたちがソファに腰を掛けるとお茶と茶菓子がサッと出てきた。
カレンが遠慮なくお茶をいただいていると、やがてオーガストは切り出した。
「すべて、最近巷に流れる不穏な噂のせいなのです」
「不穏な噂、ですか」
「魔力量が少ない子はいずれこの世を憎んで犯罪を犯す、と……そういった話が広がり、家から犯罪者を出すわけにはいかないと、大きい子まで捨てる家が増えたのです」
カレンはお茶菓子をかじりつつ苦い顔をした。
それはまんまホルストがやったことであり、否定はできない。
ダンジョンの異変は、アースフィル王国各地の魔力の少ない不遇の貴族たちが集まって起こした事件だった。
「やってもいない未来の悪事を責められるより、実際に悪さをしてそれが原因で責められる方がマシ……って、そういう意味だったんですね」
テレサの言葉を思い出してカレンが言うと、院長は溜息と共にうなずいた。
「テレサの家も、冒険者として女神の寵を失うわけにはいかないと、テレサを捨てたそうです。もうすぐに成人なのに、それよりも前に捨てることで女神への恭順を示すのだと……」
「まーた冒険者の間に迷信が流行っているようですね」
冒険者は迷信深く、たまに世迷い言に血道をあげることがある。
笑える迷信もあれば、こういう闇深い迷信に囚われる人もいる。
「このような状況ですから、彼らは絶望し、悪の道に追い込まれているのです。このままではいずれより暗い場所に引きずり込まれてしまいかねません。あの子たちが悪いわけではないというのに……」
「暗い場所、ですか」
カレンの脳裏に思い浮かんだのは階段を降りていくホルスト。
そして捕まっていた暗夜の子どもたちの錬金術師の少女が語った奇妙な教え。
冒険者の間で流行る馬鹿げた迷信とは違い、彼らの教えには一定の理があるように思える。
その事実が不気味で、カレンはぶるりと身震いした。
「これに関して、エーレルトにご相談しようとしていた件があるのですが……」
そう言いさして、オーガストはカレンをチラりと見やった。
カレンがいたら話しにくいことらしい。
「彼女は私の婚約者だ。新年祭で婚約の発表を控えた状態にある。エーレルトには彼女に隠すことは何もない。気づいたことがあれば教えてほしい」
「ユリウス様がそうおっしゃるのであれば――実は、『暗夜の子どもたち』が各地で子どもを誘拐しているようなのです」
「何だと?」
「しかも、魔力の少ない子どもたちばかりをです。今、居場所を失い追い出された子どもたちが次々と失踪しています。当孤児院の子どもたちだけでも守るため、私の伝手で神官を派遣してもらっていますが……正直、このままでは守り切れるか、どうか」
「何故神官見習いや信徒ではなく神官が子どもたちの世話をしているのかと思ったが、そのようなことが起きていたのか……」
ユリウスは唖然として言う。
カレンはうっかり納得してしまった。
こんな世の中では、魔力が少ない方が偉く、魔力が多い人間は化け物であるという暗夜の教えを救いに思うなという方が無茶である。
各地で暗夜の子どもたちが勢力を伸ばしているのは疑いようもない。
一瞬、かの組織が子どもたちを誘拐することが果たして、子どもたちにとって悪いことなのかどうかすらわからなくなる。
だが、声を対価に無魔力素材の毒ポーションを作れるようになってしまった少女を思い出し――子どもをあんなふうに道具にする組織はあってはいけないのだと、カレンは気を取り直した。
「神殿の中にすら、魔力が少ない子は女神に愛されていないのだから、捨て置けばいいと言う者がいる始末です」
「女神の教えに帰依する者たちですら、か……」
「教えに帰依し、私たち神官というものが常に階梯を昇ることを最上のこととしているからこそ、生まれながらに階梯の低きにある子どもたちへの蔑視が芽生えるようです」
オーガストは遠くから聞こえてくる子どもの声に目を細めたあと、ユリウスを見すえた。
「子どもたちには何の罪もなく、等しく愛すべき女神の子どもたちです。ユリウス様方エーレルト伯爵家の方にとっては魔力の少ない者へ忸怩たる思いもおありでしょうが、どうか無垢なる子どもたちにご支援を賜れますよう、伏してお願い申し上げます」
オーガストはそう言って、深く頭を下げた。
彼はホルストが支配していたエーレルトを知っているのだろう。
もしかしたらホルストがこの地で大きな顔をしていられたのは、魔力で人を判断せず子どもたちのために頭を下げるこの高潔な人物が、エーレルト領都の神殿で重要な地位を占めていたからですらあるかもしれないと、カレンはふと思った。