到着
「ん~、空気が冷たいっ」
ユリウスに手を取られて馬車から降りたカレンは、温かいモコモココートに身を包み、ジークからもらった手袋をした手を上げて伸びをした。
長く馬車に揺られていたので体がバキバキなのである。
それでも、エーレルト領の最西端にある領都は王都から北東に五日という近距離なので、移動は比較的楽な方だろう。
ヴァルトリーデたちが向かったイルムリンデの領地は普通の馬車だと片道一ヶ月かかるという。
エーレルト領はたった五日の距離なのに、北にあるブルイェール山脈に近づくからか、王都で過ごす冬より寒くなる。
山頂の凍てついた風がエーレルトに吹き下ろしているのかもしれない。
「頬が赤くなっているね、カレン」
「ユリウス様も、鼻の頭が少し赤くなってますね」
そして、ピアスがキンキンに冷えて耳が千切れそうである。
カレンがそっとピアスに魔力をこめると、ユリウスが目を瞠った。
「カレン?」
「耳が温かくなりましたか?」
ユリウスは瞠目したかと思うと、微笑んだ。
次の瞬間、カレンの耳元がじわりと温かくなる。
「……はじめて魔力をこめたよ」
ユリウスがささやくように言うのに合わせて、カレンも声をひそめた。
「これぐらい、気楽に魔力をこめ合いませんか?」
「お互いの耳を温めるためにかい?」
ユリウスがくすりと笑った。
そんなユリウスを見上げてカレンは目を細めた。
ダンジョンでユリウスが行方不明になった時、ユリウスは魔力が枯渇状態で、とてもピアスに魔力をこめられるような状態ではなかった。
だけど、たとえ魔力がありあまっていたとしても、ユリウスがカレンに助けを求めてくれた気がしない。
だからいずれ、ユリウスがカレンに助けを求めるためにピアスに魔力をこめられるよう――その練習になるように。
「そうです。寒いので……たまに思いだしたらでいいので、わたしの耳を温めるために魔力をこめてくださいね」
「わかった」
その必要はないのに、まるで内緒話のように声をひそめてする小さな約束に微笑み合うと、カレンたちは屋敷に向かった。
「いらっしゃいませ、カレン様。おかえりなさいませ、ユリウス様。皆様も、ようこそお越しくださいました」
そう言うのは屋敷から出迎えに出てきたフォルカーだった。
フォルカーはエーレルト伯爵家の王都の執事だ。
確か、昨年は王都の屋敷に留まっていたはずである。
「今年はフォルカーさんもこちらにいらしてるんですね」
「エーレルト伯爵家の領都屋敷ではこの度人員を整理しまして、使用人の数が著しく少なくなっているのです。そのため、今年は私もこちらに参りました」
「……なるほどです」
カレンはピンときた。
昨年のエーレルト領では、ホルスト・ブラームの影響力が隅々まで行き渡っていた。きっと、使用人たちも例外ではない。
ホルストが罪を犯したことにより、前伯爵ヴィンフリート派の影響力が弱まった。
これを機に、ヘルフリートは人員を入れ替えることにしたのだろう。
幸か不幸かダンジョンでの企みに参加していた貴族はホルストだけではない。
そのため、エーレルト領としては犯罪者を輩出した負い目がありつつも、他の領地と同じように王家との利害関係の調整により厳罰を免れたという話だ。
特定の領が悪いわけではなく――悪いのは貴族だというのに魔力を持って生まれてこなかった弱者たち。
今回の事件は、そういう論調になってしまっている。
だから、悪事に荷担していなくとも魔力を持たない、あるいは少ない貴族たちは、それぞれの領地で居心地の悪い思いをしているだろう。
すでにひどい待遇を受けている可能性もある。
カレンはこれを止めるとホルストに約束した。
だが――今のところ、カレンはこれを止めるための方法を探し出せていない。
カレンの予想では、魔力がないという状態を理解できている者にしか作れないポーションがこの世には存在している。
そのポーションが有用であればあるほど、魔力を持たずに生まれてくる人々への風当たりが弱まるだろう。
ただ、それを証明する方法が確立できていない。
「ホントにおれの仲間たちまで泊めてもらっていいのか?」
「もちろんですとも。カレン様の弟君と、そのパーティーメンバーの皆様ですからエーレルトをあげて歓待せよと旦那様から申しつかっております。そうでなくともBランクの冒険者パーティーの皆様に訪ねていただいたことはありがたく、もてなしをさせていただけますと幸いです」
トールの問いにフォルカーは言う。
カレンと同じように馬車から降りたあと伸びをしたり屈伸をしたりと体を動かしていたトールのパーティーメンバーたちが追いついてくる。
「ワンダさん! と……」
「ワシはオードじゃ」
黒髪に黒い髭をたっぷりと生やした巨大な斧を背負うドワーフである。
ドワーフの例に漏れず小柄で、顔のほとんどを覆う髭のために年齢不詳だが、魔道具店のウルゴよりも若そうな雰囲気がある。
「僕はルイスだよ。カレンさん、いつもと違う服装の君も可愛らし――まだ何もしてないのになんで蹴るんだよ、リーダー!?」
軟派な口調で色目を使ってきたのは茶髪に青い目をした比較的甘いマスクの男である。
トールに下段蹴りをお見舞いされて、脛を抱えて涙目になっている。
身軽な装備に弓を背負っているので、弓術士だろう。
「俺はクリスだ。このパーティーの一番の下っ端はおっさんに見えて俺なんで、何かあれば俺を使いっ走りにしてくれよな」
本人が言うとおり、白髪まじりのグレーの髪をしたおっさんである。
くたびれたような見た目をしていて、疲れた表情を浮かべている。
背丈はユリウスと同じぐらいで、ユリウスよりもがっしりとした体型だった。
Bランク冒険者でおっさんの見た目をしているということは、実態はおじいさんかもしれない。
長剣と盾を持っている。
「私はワンダ。魔法使いよ。しばらくお邪魔させてもらうわね」
彼らの中でトールは一番若いだろう。
それなのに、トールが彼らのリーダーだという。
何度見ても不思議な光景だと、カレンは目をパチパチとまたたいた。
ワンダ以外とは会釈くらいしかしたことがない。
彼らはカレンのサポーターが決まるまでカレンの側にいようとしたトールの我が儘に付き合って、つい最近まで王都で待機させられていた。
しかも、エーレルト領までついてきてくれたのである。
とはいえ、トールたちの目的はカレンではない。
「エーレルトのダンジョン、探索しても構わねーんだよな?」
「こちらからお願いしたいくらいでございます。ダンジョンの休眠期もすでに終わり、ダンジョンの最下層は二十階層より深くなったものと考えられております」
「最下層は三十階層、だな?」
「おそらくは」
「今のオレたちにちょうどよさそうだよな」
トールが仲間たちを振り返ってニッと笑う。
三十階層の攻略。
それが、Bランクの冒険者がAランクに上がる条件である。
トールだけでなく、ワンダやオード、ルイスにクリスも不敵な笑みを浮かべていた。
間違いなく危険な道のりだろうに、そこに不安の色はない。
むしろ、楽しみにしているようだった。
トールは昔からダンジョンを恐がらない。
そのせいで同世代どころか冒険者の中でも浮いているように見えたが、トール以外のパーティーメンバーたちも似たり寄ったりであるらしい。
屋敷に入っていく彼らの背中を見送って、カレンは目を細めた。
「……トールにも、やっと理解しあえるお友達ができたんだね」
「いやいやいや、そんな可愛い話かよ?」
「セプルの言う通り、ありゃあおっかない異常者共の集いだよ」
呆れた顔をしているセプルとウルテ。
サポーターとしてカレンについてきてくれているのだ。
二人からしてみても、トールたちの姿は異様であるらしい。
弟を異常者呼ばわりされた姉として、カレンは渋い顔をしつつ言った。
「まあね、わたしたちは低階層でポーションの素材をちまちま集めるぐらいにしておこう」
「そうしてくれ。もうすぐ親父になるからな。俺がいるからっていつもより深層に潜れると思わないでくれるとありがたい」
「あんた、サポーターの仕事をナメてんのかい?」
「カレンちゃんに何かありゃ死ぬ気で守るけどよ! せめて一回! 一回だけ我が子を抱くまでは危ない橋は渡りたくねえ!!」
「わかったわかった」
元より、ナタリアからも二人を冒険者として運用しないようにと言われている。
二人はあくまで、錬金術師のサポーターである。
「ではカレン、また後で」
「はいっ、ユリウス様。また後ほど」
荷物を置きに行くユリウスと別れ、カレンもまた部屋に向かうこととなった。
メイドが一人、カレンに声をかけてくる。
「カレン様、お部屋にご案内しますね。サポーターのお二方の部屋も用意しておりますので、ついてきてください」
「あっサラ! 久しぶり~! カレー揚げパンはもう食べた?」
「エーレルトの者はみな食べましたよ。私がパン屋で買って参りましたので。大変美味でしたし、好評でした。特にジーク様がお気に召されたようで、すでに何回か購入を命じられています」
「ふふふ。そうなんだ? 次期エーレルト伯爵が気に入ったって知ったら、みんなひっくり返るだろうな~」
パン屋を営む平民の友人一家のびっくり顔を思い浮かべ、カレンは肩を震わせる。
そんなカレンにサラは微笑み、カレンの荷物を持つと歩き出した。