ささやかな望み
カレンが案内されたのは王宮の本殿の一室だった。
ガラス張りの窓際に用意された席に案内され、椅子に座らされたカレンの向かい側には王妃が座った。
王妃ディーヒルド。ヴァルトリーデとそっくりの黄金の滝のような金髪に、赤いつり目のきつそうな面立ちの女性だった。
見た目には三十代半ばくらいに見えるものの、確か長男である第一王子の年齢が三十代のはずなので、三十代はありえない。
カレンが蛇のように鋭い眼差しに身を縮こまらせていた。
王妃がヴァルトリーデを嫌っていたとしても、カレンをいきなり殺したりすることはないだろう。
だとしたら、一体何の目的でカレンを連れてきたのか。
侍女の手でお茶が用意されていく。
その香りにカレンは目を瞠った。
「カモミール……?」
「錬金術師カレン。そなたの論文を読ませてもらったが、実に興味深い。特に最新のレシピ集は面白いな。実際に料理人に作らせてみたが、中々美味なものばかりであった」
「ご、ご利用いただき光栄です」
「この茶はそなたがはじめて執筆した論文の通りに入れさせてみた。無論、熱を下げるポーションにはならなかったが……味の方はどうであろうか?」
問われて、カレンは口を付けずにいたティーカップを手にとって飲んでみた。
「……美味しいです」
「ポーションになると、味に変化が現れるのであろうか?」
「いえ、そんなことはありません」
「ではこのカモミールティーは魔法効果がないということ以外はそなたが作るポーションと変わらない、ということか?」
「はい、変わらないと思います」
自身の専門分野の質問に、カレンは答えながらお茶を飲む余裕が戻ってきた。
ディーヒルドは「ほう、変わらないのか」と不思議そうにティーカップを覗き込む。
その愛嬌のある仕草はどこかヴァルトリーデと似ていた。
「ふむ。国家錬金術師にも作らせてみたのだが、素材はわかっていて、その効能についても記されているというのに、レシピ通りに作ってもポーションにはならないという。それゆえに、この解熱ポーションの論文を出した当初はそなたの論文は認められなかったと聞いている」
「そうですね」
今も認められているかは怪しかった。
誰が作ってもポーションになるように、暗号ででも書いておかないと論文としては成立していないことになってしまう。
暗号の読解方法はギルド員にすら伝えないので、そもそも読めないのだから確かめようもないのだが、そういう決まりになっている。
だが、このハーブティーのポーションについては、カレンが思いつくだけのことは暗号なしに全部書き出している。
なので暗号で書きようもない。書くべきこともないのに適当な暗号を書いて誤魔化す気もカレンにはない。
ハラルドいわく、錬金術師の間で当たり前になっているとある知識に間違いがあり、カレンの知識が正しいために、カレンだけに作れるポーションが生まれるのだろうということだった。
どの知識のことだかカレンが気づいた瞬間、女神の制限が入りそうで、カレンはあまり考えないようにしている。
逆に言えば女神の制限が入るまでは、カレンはその知識をいくらでも周りの人に伝えられるということだ。
ディーヒルドが手にしていたティーカップを机に置き、顎を引いた。
「そなたほどの実力のある錬金術師の功績を認めず、我が国の錬金術ギルドがすまないことをした」
王妃が自分に向かって頭を下げているのだ、という事実に気がつくのに、カレンはしばらくの時間を要した。
「え、ええっ!? いえ、頭を上げてください! わたしがきちんとした論文を書けていないだけですので、お気になさらず!」
「寛大な言葉に感謝する、錬金術師カレン。だが、そなたの錬金術師としての実力を軽視したのは事実だ。その事実はそなたがアースフィル王国を捨てて他国の錬金術ギルドに移籍する理由になり得よう」
「だとしても、それがギルドを移籍する理由にはなりません」
カレンの師匠であるユルヤナはどうだか知らないが、カレンは違う。
「しかし護国の力を持ちそれを発揮しようとする者の前途を阻んだのは事実よ。望みがあれば言うがいい。そなたを不当に扱った者たちに代わり、アースフィル王国の王妃としてそなたに報いよう」
カレンは王妃を見る目を改めた。
自分の意に沿わない娘を疎んじて遠ざけているだけの、恐ろしい母親ではないのだ。
しかしある意味では、ヴァルトリーデに聞いていた通りの人物だった。
護国のためにならない娘を恥と考え切り捨てる苛烈な人物。
若い頃は自ら騎士団を率いてダンジョンに潜り、十階層の制圧経験を持っている。
十階層を越えれば冒険者でも上級者として敬われる世界で、逃げも隠れもせずに命を張って戦ってきた人物である。
そういう人物であるからこそ、護国の力になるとなれば、平民相手に頭を下げて謝罪をすることすら躊躇わないのだろう。
そして、血の繋がった娘でさえ甘やかさない姿は冒険者の目には公平に映るだろう。
実は王妃には冒険者人気がある。
引退した冒険者や、古参の冒険者人気が高く、居酒屋では王妃の英雄譚は人気だった。
カレンも王妃にはいい印象を抱いていた。
それもうなずける姿だった。
頭を下げてもなお威厳に満ち、カレンに贖罪を申し出ながらも誇り高い。
冒険者に支えられるこの国の王妃として、きっと立派で高潔な存在なのだろう。
アースフィル王国の国民としては、こういう人物が冠をいただいてくれていることを喜ばしく思うべきなのだろう。
だが――カレンとヴァルトリーデの関係を少なからず知っているだろうに、ついぞヴァルトリーデの話題が一つも出てこない王妃を前に、カレンは静かに目を伏せた。
「ではひとつ、お願いしてみたいことがあります」
「どのような望みでも叶えるとは約束できないが、言ってみよ」
「お許しをいただいて、わたしはヴァルトリーデ様を友人と思わせていただいております」
王妃の表情は何一つ変わらなかったが、周囲に控える侍女や女官たちの空気が変わったのを感じた。
「身分違いも甚だしいとは承知しておりますが、それでも友人と思う方の幸せを願わずにはいられません。誰にも非難されることも、蔑まれることもなく、穏やかに生きていてほしいと願っております。ーー私がそのように思っていることを、王妃陛下に知っておいていただくことはできますでしょうか?」
ヴァルトリーデを悪く言うな、とは言わない。言う権利もない。
だがもしもカレンを国にとって重要な人物として尊重し、もてなすつもりでいるのなら、その友人を悪し様に罵り不快な思いをさせるのは意図に反するだろう。
もちろん、カレンをもてなすつもりも尊重するつもりもないのなら、好きにすればいいだけだ。
――いくつもの視線が銃口のようにひたりとカレンに向けられる。
冒険者に威圧されるのとは別の種類の圧迫感に、カレンは生唾を呑み込んだ。
そう間を置くことなく王妃は答えた。
「よかろう。そなたの望みを叶えよう。その望みを口にした時点でそなたの望みは叶ったようなものだがな」
「……恐れ入ります」
カレンは口の中がカラカラに乾くのを感じつつ言った。
王妃が何を思ったのかまったく伝わってこない、平坦な答えだった。
周囲の人々の様子を見るに、この望みは王妃の気分を害したのかもしれない。
だが、王妃が気分を害したとしても、カレンにはそれはわからなかったし、王妃にはカレンを咎めようとする様子もなかった。
王妃は立ち上がった。
「ついて参れ」
それに逆らうという選択肢はもちろんない。
カレンは針の筵に座らされた気分のまま、致し方なくそのあとについていった。