王宮で遭遇
いつものように王女宮にやってきたカレンはいつもと変わりない姿のヴァルトリーデを見て首を傾げた。
「万能薬で治ったのか、ヴァイスに魔力をあげているから症状が押さえられているのか、どっちなのかわかりませんね」
「うきゅ?」
ヴァルトリーデは放っておくと、体から湧き出る魔力が暴走して、老廃物のように体に溜まって風船のように体が膨らんで太ってしまうという、ある種の血筋の祝福に悩まされていた。
カレンが作る解毒のポーションがあれば、その魔力を排出することができる。
そのため、カレンは定期的に解毒のポーションを作りヴァルトリーデに納品していた。
だが、ダンジョン調査の最中、カレンが作った万能薬カレーをヴァルトリーデは幾度となく口にしている。
カレンはその時に食べた万能薬の力でヴァルトリーデの魔力は解毒のポーションを飲まずとも安定したのではないか、と予想していた。
だが、状況が状況だったのであえて解毒のポーションを断つということもせず、ダンジョンを出たら確認しようと思っていたのである。
一応、すでに解毒のポーションを断って一週間は経過しているものの、ヴァルトリーデの様子に異常は見られない。
万能薬で血筋の祝福が癒やされたのか、はたまたヴァイスのおかげなのか。
「ヴァイスに魔力をやらぬのは可哀想ゆえ、確かめられぬな」
「うきゅ~!」
ダンジョンでヴァルトリーデが従魔にしたペガサスの赤ちゃん、ヴァイス。
ヴァルトリーデの膝の上でコロコロしていたかと思うと、小さな翼でパタパタと飛んできて、今度はカレンに抱きついてくる。
体積の割にかなり軽い。
カレンはうきゅうきゅ言っているペガサスを抱っこであやしつつ、持ってきた荷物を指し示す。
「とりあえず解毒のポーションはドロテア様とイルムリンデ様に預けておきますので、何かあったらお手紙をくださいね」
「そなたともお別れか……」
「お別れって、わたしはエーレルト領に、ヴァルトリーデ様はイルムリンデ様の領地に行くだけでしょ?」
「だが、カレンもついてきてくれると思っていたのだ……」
ヴァルトリーデがしょんぼりするのを見て、ヴァイスがカレンの膝をペシペシ叩く。
全然痛くないが、どうやらヴァイスはカレンを叱っているらしい。
「ヴァルトリーデ様はイルムリンデ様ともっと仲良くなりたいからご実家に遊びに行くんだよ。そこに一番仲のいいわたしがいちゃ、お邪魔ってもんよ」
「うきゅ~?」
「仲良く……なれるだろうか……」
カレンがヴァイスと話していると、ヴァルトリーデはもじもじしながら言う。
もっと自分の侍女たちのことを知りたくなったからと、狩猟祭のシーズンに合わせてまずはイルムリンデの領地に行くことにしたのだそうだ。
「私が見かけ倒しの王女だと知っても、イルムリンデもドロテアも、友人でいてくれるであろうか……?」
ヴァルトリーデは不安げに緑の瞳を揺らしながら言う。
カレンはダンジョン内でのイルムリンデたちの姿を思い出し、くすりと笑った。
「わたしは大丈夫だと思いますよ?」
「やはりカレンもついてきてはくれないか……!?」
「すみませんが大事な予定がありますので」
「私と予定とどちらが大事なのだ!?」
「予定です!」
カレンがきっぱりと言い放つと、ヴァルトリーデはきゅっと顔を顔をしかめた。
「私がイルムリンデの領地に向かうのは王都の王位継承争いから距離を置くためというのもあるのだが!? かなり微妙で危険な立場に置かれている私が心配ではないのか??」
「何か起きたら呼んでいただければ騎乗竜で駆けつけますよ」
馬以外にもこの世界には乗り物にされている魔物がいる。
スレイプニルや騎乗竜と言われる巨大なトカゲのような見た目の魔物が、人間に従魔にされている。
スレイプニルは従魔にするのが難しい魔物でほとんど目にすることはないものの、騎乗竜はわりと荷馬車を牽かせているところを見る。
この騎乗竜に乗ると馬よりも格段に速いらしいが、その乗り心地は最悪と聞く。
もしも友人であるヴァルトリーデの身に困難が降りかかるのであれば、その乗り心地最悪な騎乗竜に乗って悪路を進んででも助けにいく覚悟はある。
だが、しかしだ。
「ヴァルトリーデ様――本当に大事な予定なんです」
「くぅ……!」
「エーレルトの新年祭で、わたしとユリウス様の婚約を発表するんです! わたしとユリウス様の婚約を発表しッ、エーレルトで生まれ育ちユリウス様に淡い憧れを抱いてきたすべての女たちの前でわたしこそがユリウス様の婚約者であると宣言し、一切の望みを捨てさせること!! これ以上に大事な予定は存在いたしません!!」
第二第三のテレーゼ――ダンジョンで出会ったあのエーレルト貴族出身の冒険者の女のようなの、まだまだ全然いるに違いない、と半ばカレンは確信している。
「これでこそカレン……!!」
「うきゅ……!」
がっくりとうなだれるヴァルトリーデとその真似をするヴァイス。
カレンがヴァイスの口許に持ってきたおやつのクッキーを近づけると、すぐに真似をやめて美味しそうに食べ始める。
しばし和んだあと、カレンはヴァルトリーデの宮殿を後にした。
王宮内での移動には、イルムリンデかドロテアが案内につく。
この日はドロテアで――帰り道、広いは広いが決して広すぎない廊下で向かい側からやってきた身分の高そうな女性とその一団を避ける方法はなかった。
ドロテアが緊張した面持ちで壁際に寄って立ち、頭を下げて静止する。
カレンもならって同じようにした。
たまたま鉢合っただけならそのまま通り過ぎてくれただろう。
だが、その一団はカレンたちの前で足を止めた。
「錬金術師カレン、ついて参れ。そなたは着いてくるな」
「ヴァルトリーデ殿下よりカレン様を送り届けるようにご命令を受けておりますので――」
「着いてくるな、と言っている」
食い下がろうとしたドロテアに王妃は再度命じた。
苛立ちも怒りもない、平坦な声音だが、従わねばならないと感じさせる威厳がある。
「いつからこの王宮で私の命よりヴァルトリーデの命が重くなった?」
目を合わせたら終わりだと思い、カレンはこの女性の顔を見ていない。
だが、ヴァルトリーデを呼び捨てにするアリーセよりも上の世代の年齢の偉そうな女性というと、カレンは一人しか思い浮かばなかった。
「王妃陛下をご不快にさせてしまったこと、お詫びいたします」
ドロテアが謝罪する。
王妃と言った――ヴァルトリーデを捨てた、実の母親だ。
ヴァルトリーデは父王には愛されているが、それ以外の家族からは嫌われているという。
特に、実の母である王妃には真っ先に見捨てられたと言っていた。
情けない娘を蔑む母である王妃にとって、その側をウロチョロするカレンとは果たしてどんな存在なのだろうか。
嫌われているのだろうな、と予想しつつもである。
もしかしたら娘の血筋の祝福を癒やした錬金術師であるカレンに心のどこかで感謝している可能性も――と考えたところで、王妃が冷ややかに言った。
「ペガサスを従えたとて、王妃たる私より偉くなったつもりでいるのか? 己をシビラ王になぞらえて、あの娘は王位を狙ってでもいるのか?」
「ヴァルトリーデ殿下は決して王妃陛下に逆らおうなどとは考えておりません」
「ハッ。そうであろうよ」
王妃はドロテアの弁解の言葉を嘲笑った。
「第一王女であるあの娘に王位を奪う気概があればまだ、アースフィル王国の行く末は安泰であっただろうがな。あの情けない娘では無理であろう。しばらく見ぬ間に変わってみせたゆえペガサスを従えたのかと一縷の望みを抱いた私が愚かだった」
カレンはヴァルトリーデの言う、家族に嫌われているという言葉をどこか話半分に聞いていたところがある。
兄弟姉妹と仲が悪い、というのはわかる。
だが、実母との間柄が険悪だというのがあまりピンと来ていなかった。
実母である王妃もまた、戦えないヴァルトリーデを守るために遠ざけようとしているだけではないか。
迫真の演技で憎んでいるように見えるだけではないか、と考えていたカレンは、今その考えを改めた。
「護国の剣どころか盾になる覚悟もない、何の役にも立たぬ木偶を産んだのがこの胎とは嘆かわしいことだ。情けない」
王妃は吐き捨てるように言うと歩き出す。
その後ろ侍女と女官がぞろぞろとついていく。
誰もカレンを振り返らなかったが、恐らくカレンもついていかないといけないやつだった。
だよね? とカレンが情けない顔でドロテアに確かめると、ドロテアは青ざめた顔で深々とうなずいた。