新しいメニュー2
「このカレーっていう料理はね、匂いが強いから、全然食べられない人もいるみたいなの。フィーネが食べられるみたいでよかったよ」
「こんな料理があったなんて知らなかったなぁ」
万能薬の効き目は誰であっても変わらないだろう。
でも、カレン以外の人が作るカレーというものについて説明しておく。
「あとでレシピを教えてあげるね。カレーには妊婦さんが食べない方がいい香辛料が含まれてることがあるから、これ以外のカレーを食べる時には気をつけてね。教えるレシピは大丈夫なやつ! あっでも、レシピは売る予定だから、販売までは公開しないでね」
「売る予定のレシピを教えてくれるの?」
「わたしからのお祝いだよ。結婚のお祝いでもあるし、妊娠のお祝いでもあるね」
「ひとまとめかよ~。まあ、中回復ポーションをいきなり渡そうとされるよりずっといいか」
ほっと胸を撫で下ろして小心者のリーヌスにカレンは笑った。
後になって自分たちが食べさせられたものが万能薬だと判明した時の顔が見物である。
カレンがその顔を見ることはないだろうから、まぶたの裏で想像だけしておく。
「レシピの再公開は禁止だけど、作って売る分にはいいよ! カレー揚げパンが店頭に並ぶのを楽しみにしてるからね!!」
「カレンはそれが目的だろ」
「でもね、カレンが食べたいって言うパンって、本当に美味しいの。それによく売れるんだよ。だからうちはありがたいくらいなんだよ」
「まー、今フィーネが食べられる揚げパンも、元はカレンが考えてくれたって話だもんな」
「うん。このカレー揚げパン? もきっとわたしたちを助けてくれるねぇ」
「ふふん、そうかもね」
カレンは得意げに言った。
フィーネのつわりは万能薬カレーで収まったようなので、もう助けたあとだが、フィーネたちがそれを知るのは後日のことである。
カレンはその日を思い、笑みを翳らせた。
「……これで、ここに来るのは最後になると思う」
「やっぱり、そうかぁ」
フィーネが納得の声をあげる。
「わたしが体調悪いってリーヌスが手紙に書いたのに、気づかい屋のカレンが来るって言うんだもん。ポーションは持ってきても受け取らないよって念押ししたのに来るって言うんだから、もう今しか来られないんだな、って気づいちゃった。お別れしに来たんだなって」
何食わぬ顔で万能薬を食べさせようというカレンの作戦もあったものの、半分くらいは図星で、カレンは弁解した。
「ランクが隔たったからもう友だちと思えなくなったわけじゃないんだよ?」
慌てるカレンにフィーネはくすりと微笑んだ。
「だったらいいなあ、と思ってたんだ。何か理由があるんだね?」
「わたしが作るポーション、貴族が欲しがるぐらいのものになっちゃったんだ」
「すごいね、カレン」
「……わたしを脅してポーションを作らせるために人質になる平民を家族ごと攫ってもみ消しても、お釣りがくる――そう思う人が出てもおかしくないポーションなの」
「あ……」
フィーネが思わず、といった様子で自身のお腹を守るように手を当てた。
カレンが雇ったサポーターであるウルテとアーロン、セプルの家族は、カレンの錬金工房の隣のアパートに引っ越してきた。
エーレルト伯爵家が買い上げたアパートで、魔道具や騎士たちの警備も入れてくれている。
だけど、フィーネたちを、カレンの平民の友人すべてを守れるほど、エーレルトの手もカレンの手も長くない。
「ちょっと敵に回したら危ない組織を敵にも回してる。正直、王妃様にも側妃様にも嫌われてると思う」
「カレンは大丈夫なのか?」
どうしてそんなことになっているのかは聞かずに、リーヌスはただカレンの心配をしてくれる。
カレンは目を細めて微笑み、うなずいた。
「わたしは大丈夫。わたしはね……だから、ごめん。ここに来るのは今日で最後。二人とは平民学校からの仲良しの友だちなんだって口にするのも、最後にする」
暗夜の子に会い、カレンは自分の考えの甘さを知った。
この世界には自分では想像もできないほどの闇がある。
闇でも切り裂いて進んでみせる、と、カレンは個人的には思っている。
けれど、友人を巻き込めない。
うるっと目を潤ませたカレンの頭を、大きな手のひらがくしゃくしゃと撫でた。
「美味いカレー揚げパンとやらを作ってあげるからね、カレンちゃん」
「新しい油に変えたからね。とっても美味しく揚がるよ。楽しみにしててね」
フィーネの両親の言葉に、カレンはボタボタ涙をこぼしながらこくこくうなずく。
そんなカレンに、フィーネとリーヌスが寄り添った。
油の中にそっと投じられたカレーパンの種がじゅうじゅう音を立てながら狐色に揚がっていく。
フィーネ父はカレーパンをひっくり返し、じっと見守っていたかと思うとサッとパンを網にあげ、油を切ると皿に載せて泣いているカレンの前に置いた。
「カレンちゃん、これでどうだろう? 味見してくれると嬉しいな」
「いただきます」
カレンは熱々のカレー揚げパンを拾い上げた。
ザクッと音を立ててまずは一口。その一口で、みっちり詰まったカレー餡に届いた。
熱で肉の脂が溶けてやわらかくなった餡の旨味と、パンの美味しさ。
油で揚がった衣のザクザクとした食感を楽しみつつ、カレンは続いて二口、三口食べた。
「ん~~~~!」
涙を流しながらほっぺをパンパンにするカレンに、フィーネとリーヌスはごくりと唾を飲んだ。
「お父さん、わたしも食べたい。わたしの分も揚げてっ」
「お、お義父さん、おれの分もいいですか?」
「カレンちゃん、美味しそうに食べるもんねえ。僕も食べたいから僕の分も揚げるとして、君はどうする?」
「アタシの分は二つ……いや三つ揚げてもらおうかね」
「あっ、お母さんのそれいいね。じゃあわたしも三つ!」
リーヌスは義理の父に追加を頼むのは気が引けたようで、モゴモゴ言っていた。
「美味し~っ!」
父親に揚げてもらったカレー揚げパンを渡されたフィーネは、一口食べて声をあげた。
「わたしっ、これならっ、いくらでも食べれそう!」
「こいつは常設メニューに決定してもいいくらいだねえ。原価にもよるけど」
二口でカレー揚げパンを一個平らげたフィーネ母に、カレンは目元を赤くしつつ前のめりで言った。
「香辛料の価格が高いので、ダンジョンで採取できるようにあとで香辛料に使われている素材についてみっちり教えます!! 実はね、教材にしようと思って粉にする前のやつを持ってきてるんですよ」
「カレン、作ってもらいたがりすぎだろ……でもわかる。めちゃくちゃ美味いなあ、これ」
「ふむ。もっと美味しくできる余地がある気がするね?」
「本当ですか!? でしたら創意工夫の上常設のほど、よろしくお願いします!!」
フィーネ父の言葉に目をカレンは目を輝かせる。
そんなカレンの姿に、リーヌスもフィーネも温かな笑いを零した。
「仕方ないなあ。じゃあ、おれがダンジョンで香辛料とやらを採取してくるよ」
「じゃあ、わたしはカレーを作るね!」
今はまだBランク錬金術師に昇級したことも、そのきっかけとなった万能薬のことも公表していない。
だが、いずれフィーネたちは自分が食べているものが何だったのかを知るだろう。
とはいえ鑑定して確認していないから、このカレーが万能薬だったかどうかは永遠にわからないわけである。
真相は、腹の中……。
「あっ、お腹の子が動いたっ」
「お腹の子も美味しかったならいいなあ」
「カレン、触ってみる?」
「いいの?」
「もちろんだよぉ、カレンだもん」
フィーネがカレンの手を取って、自分のお腹に導いていく。
カレンがフィーネのお腹に手を当てた途端、お腹の中からかすかな振動が感じられた。
「お母さんのお友達にご挨拶できて、偉いねえ」
フィーネも感じたらしく、服の上からお腹を優しく撫でる。
カレンもそっと撫でさせてもらった。
フィーネはお腹に触れるカレンの手に手を重ねた。
「しゃべれなくても、お友達だって言えなくても……カレンのために、これからも美味しいパンを作るからね」
カレンはまたうるっとしつつ微笑んだ。
「ありがとう。弟子のハラルドに買いにきてもらうから、よろしくねっ!」
カレンの言葉に、フィーネたちは笑顔でうなずいてくれた。