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「カレンが本当に来てくれるなんてなあ」
「来るって言ったんだから来るよ。すっぽかしたりしないよ!」
カレンが友人宅であるフィーネの実家であるパン屋を訪れると、いつも出迎えてくれるフィーネではなくリーヌスが出てきて失礼なことを言う。
同窓会以来、手紙を返送し不義理を詫びて、改めて会う予定を決めての今である。
「フィーネはどうしたの?」
「つわりで、部屋から動けなくてなぁ」
「揚げ物しか食べられないんだっけ? 可哀想にねえ」
「それにしてもカレン、大荷物だな?」
リーヌスは大きな布の包みを抱えるカレンを見て首を傾げた。
カレンはにやりと笑った。
「お土産兼、リクエストだよ!」
「リクエスト?」
「カレンちゃん、また作ってほしいパンがあるのかい?」
「おばさん! お久しぶりです!」
リーヌスの後ろから恰幅のいい女性が笑顔で出てきて、カレンは荷物を抱えてお辞儀した。
「久しぶりだね。カレンちゃんが食べたいっていうパンはよく売れるからね、作ってほしいものがあるならどんどん言っておくれよ。それに、随分前にカレンちゃんが作ってほしいって言ってくれた揚げパンがありがたくてね。フィーネは今、それしか食べられないんだよ」
「今日は実は、フィーネが食べられるんじゃないかって思うものを作ってきたんですよ」
「おや、そいつは更にありがたいねえ」
カレンはパン屋の裏の勝手口から家の中に上がり込むと、裏から厨房に入り、机の上で匂いを隠すためにお鍋に巻いていた布をめくった。
「へええ。これは結構独特な香りだねえ……フィーネは食えるかね?」
フィーネの母親に問われたのはリーヌスで、リーヌスはあわあわしながら答えた。
「えっと、わからないです。香りの強いものは食べられるものと食べられないものが、極端みたいで」
「そうだね。アタシの時もそうだったような気がするね。カレンちゃん、味見をしてもいいかい?」
「どうぞどうぞ」
カレンは鍋の蓋を開いた。すると、強い香りがふわっとあたりに漂った。
「食欲を刺激する香りだねえ。うん、味もいい。これは美味いね」
スプーンですくって味見をするフィーネ母に、カレンは力強くうなずいた。
「これ、カレーって言うんです。カレーをパンに入れて、ザックザクの衣を付けて、油でカラッと揚げてほしいんです!!」
「カレン、フィーネへのお土産とか言って、カレンが食いたいだけだろ?」
「あ、バレた?」
リーヌスの指摘にカレンは舌を出した。
「家でも作れるよ? 作れるけどね、プロのパン屋さんに作ってもらうのが一番美味しいの!!」
カレンの心からの本気の言葉に、リーヌスは呆れ顔である。
「大荷物を抱えてくるから、てっきりポーションでも持ってきたのかと思って焦ったよ。つい手紙にフィーネの体調を書いたけど、カレンがお見舞いのポーションを持ってきちゃったらどうするんだって、フィーネに叱られてさぁ」
ほっとした顔をするリーヌスに、カレンは何食わぬ顔だ。
当然のようにこのカレーは万能薬である。
だが平民であるリーヌスたちはカレンが万能薬を作れることも、それがカレーという料理の形をしていることも知らないでいる。
フィーネ母がさっそく発酵済みの揚げパンの生地を伸ばし、その上にヘラですくったカレーを乗せ、器用にくるりと包んでいく。
パン生地で包んでもらうために、水分を飛ばして片栗粉を入れた固めのカレーの餡である。
タマネギとニンジンのみじん切りと、牛系の魔物の挽肉にカレースパイス。
良い香りがしないわけがない。
店頭に立っていたフィーネ父も客がさばけたからか香りに気づいたのか厨房に戻ってきた。
「刺激的な香りだねえ」
「パン粉を作っておくれ。カレンちゃんのご所望だよ」
「はいはい~」
おっとりとうなずいて、フィーネ父はフィーネ母に言われるがままにパン粉を作っていく。
二人とも、まさか自分たちが万能薬を扱っているとは夢にも思わない様子である。
「じゃあ、カレンはフィーネの部屋で待つか?」
「ここでカレー揚げパンの完成を見届けるよ」
仮にも万能薬である。錬金術師として念のため、目を離さないでおきたかったのだが、リーヌスは疑わしげな眼差しになる。
「カレンなりに、フィーネが食べられるものを用意しようとしてくれたんだもんな……パンの完成、気になって当然、か……?」
フィーネとリーヌスに会いに来たのではなくパンを作ってもらいにきただけではないか? と言いたげな視線に晒されつつ、カレンは生地に包まれパン粉を付けられたカレーパンの種の二次発酵を見守った。
「ねぇ、なんだかすっごくいい匂いがするんだけどぉ……?」
「あっ、フィーネ! 起き上がっても大丈夫なの?」
フィーネが二階から降りてきて厨房を覗き込む。
カレンは椅子を立って席を譲った。
「うん。わたしが寝てる二階まで美味しそうな香りが上がってきてね、ちょっと元気になっちゃった」
万能薬には香りだけでも効果があるのだろうか。
カレンはふむふむと頷きつつ、椅子に座ったフィーネのために鍋に残ったカレーをスプーンですくった。
「味見してみる?」
「これなぁに?」
「カレーだよ。美味しいんだよ。だからね、おばさんにお願いして、パンに入れて揚げてもらおうとしてるとこ! フィーネも食べられそう?」
「あ~、この味、この香りならいっぱい食べられちゃいそう」
万能薬を一口口にしたフィーネの顔色が、うっすらとよくなっていく。
目をぱちぱちとまたたいたフィーネは、不思議そうに膨らみかけのお腹に手を当てた。
「……なんだか、気持ち悪さが治まったみたい。それに、すっごくお腹が空いてきちゃったかも」
カレンはにやりと笑った。
万能薬だと言ったら決して食べてもらえなかったろう。
「それはよかった。一緒にカレー揚げパンの試食といこうよ!」
「……うん」
フィーネは何度もお腹をさすりながら、不思議そうな顔をしていた。