暗闇の中の子
カレンは薄暗い取り調べ室のような部屋に案内された。
案内人は椅子を引いてカレンを座らせると、机の上に香時計を置いた。
「面会時間は四半刻でございます。囚人を連れてくる看守こちらの香時計に火を付けますので、こちらが消えるまでを目安としてください」
三十分がカレンに与えられた時間らしい。
案内人の言葉にカレンはうなずいた。
「今、囚人を連れて看守が参りますのでしばしお待ちくださいませ――努々囚人の言葉にお心を惑わせることがありませんように。Bランクの錬金術師様とはいえ、暗夜の子の毒気にはくれぐれもご注意くださいませ」
ここは特殊雑役人斡旋所。
アースフィル王都の西門の近くにある、巨大で堅牢な建物である。
特殊という名がついているだけあって、後ろ暗い事情がある人間を雑役人として働かせるための斡旋所だった。
特殊雑役人たちはこの建物の中に拘禁されていて、雇用されれば出ることができる。
雇う場合には必ず特殊雑役人に、命をかけた魔法契約を課す。
借金をして返せない人間や、犯罪を犯した人間が行きつく場所。
当然、ここにいる人間を雇ってやらせる仕事がまともであるはずがない。
Fランクの雑役人ですらやりたがらないような仕事をやらされるのだ。
犯罪者をただ閉じ込めておけるだけの無駄な場所などこの世界にはないから、犯罪者を処刑せず生かしておく場合には、その命は有効活用されている。
借金の債務者は立て替えてもらった借金の分働けば出られるし、軽犯罪者なども、十分に贖罪を果たしたとみなされた人は解放されることもある。
お金やコネ、恩赦で出られることもあるそうだ。
――この施設に、カレンが会ってみたい人物がいた。
だからナタリアにお願いして、Bランク錬金術師の権限でここにいる。
当の人物はまだ特殊雑役人としてすら表に出ることは叶わず、囚人として暗い地下牢に閉じ込められているという。
「お待たせいたしました」
しばらくして、部屋に入ってきた看守と看守が縄でつないでつれてきた人物を見て、カレンは目を丸くした。
カレンの前に引き出されたのは縄で両手を戒められたふわふわとした白髪の少女だった。
「え……? この子が?」
「子どものなりだからと、油断されませんように。二百六十五番、壁際に立ち、この方の質問に嘘偽りなく答えなさい。聞かれたことにのみ答え、余計なことは口にしないように。いいですね?」
二百六十五番、と呼ばれた少女の手の甲に刻まれた赤い紋章が淡く光る。
これで命をかけた契約をもって、少女はカレンに嘘を吐けなくなった。
「各地に存在する『暗夜の子どもたち』と名乗る組織のアジトのうちの一部を冒険者たちが襲撃した際に捕らえた、組織が養成していた錬金術師です。現地の冒険者はこの少女が確かに毒物を錬金しているところを確認の上、捕獲しています」
「暗夜の錬金術師なのは間違いないんですね」
看守とカレンの会話を、少女は目をくりくりさせながら見ていた。
カレンがへらりと笑うと、少女もにっこりと笑う。
その愛想のよさに逆にぎょっとするカレンに、少女は口をはくはくと動かした。
何か言いたげだが言えないらしい。
そういえば、先程看守に余計なことは口にしないように、と命じられていたから、カレンが質問しないとしゃべれないのだろう。
カレンは咳払いをして気を取り直した。
「えーっと、わたし、錬金術師のカレンだよ。あなたに聞きたいことがあってここにきたの。暗夜の子どもたち、という組織で錬金術師として無魔力素材の毒ポーションを作っていたあなたに、どうしたら無魔力素材でポーションを作れるようになれるのか、教えてほしい」
「あなたも毒を作りたいのね? じゃあっ、あたしがセンセイをしてあげる!」
少女から弾むような声で返事が返ってきて、カレンはぎょっとした。
どう見ても十歳ぐらいの少女から出てきた声が、まるでしわがれた老婆のような声だったからだ。
カレンの反応を見て、少女は悲しげな顔をして縄で縛られた両手で喉を掴んだ。
「この声、へんだよね。でも、だから、ポーションが作れるんだよ?」
「……だから、作れる? どういう意味?」
「毒の葉っぱを毎日毎日食べてたら、こうなっちゃった。あたしの担当してた毒、ふちがギザギザしてるから、ギザちゃんって呼んでたの。ギザちゃんのことを理解するために、色んなことをした。それで、ギザちゃんを食べてるうちに、声がこうなった。でもね、そうなったら、ギザちゃんでポーションが作れるようになったの。あたしのポーションを飲んだら、喉が焼かれて声が出なくなっちゃうんだって。すごいでしょ?」
悲しげな表情はどこへやら、少女はすぐにどこか誇らしげに言う。
きっと組織の人間は、少女が毒を作れるようになることを褒めたのだろう。
「……他のポーションは作れる? たとえば、薬草を使う回復ポーションとか」
「それって、たくさんの魔力が必要なポーションだよね? そういうポーションを作れちゃう人は、ギザちゃんでポーションを作れるようにはなれないの。つまり、あたしには才能があるってこと」
少女は薄い胸を張る。
カレンは頭を抱えた。無魔力素材の毒を体で理解するためには、その毒に耐えられないぐらい、魔力の少ない人間でなければならない。
たとえば、ハラルドのように。
魔力が多い人間は、毒を食べても無力化してしまうから、その毒を理解することができない。
「才能がない子は危険な仕事をさせられるのよ。あたしたちが作った毒を、悪い人に飲ませる仕事をしないといけないの。危険な仕事だから、戻ってこない子もたくさんいるの。でも、仕方ないの。才能がない子たちだから」
多分、少女の言う才能がない子というのは、無魔力素材の毒に耐えられてしまうぐらい魔力が多い子たちのことだろう。
暗夜の子どもたちという組織では、表と違って魔力が少ない子ほど才能がある存在として扱われているのかもしれない。
「でもあたしには才能があるから、いつかセンセイたちが助けにきてくれるわ」
カレンはくらくらしながら少女を捕らえる縄を持つ看守を見やった。
「――この子の魔力量は?」
「Fランクです」
本来、錬金術師になれるような魔力量ではない。
だけど、彼女は錬金術で毒だけを作れるようになった――おそらく、その喉と引き換えにだ。
女神は努力を認めてくれる。
この少女が体を毒に蝕まれながら命をかけた努力もまた、見捨てなかったのだろう。
その努力が善か悪かは、女神には関係がない。
そしてこんなやり方、カレンには決して再現できない。誰にもやらせられない。
「つまり、頑張ったから女神様が認めてくれて、階梯を昇れたってことなんだね」
カレンは苦い笑みを浮かべながら少女に同調して、話を終わらせようとした。
だが、少女は不思議そうに目を丸くした。
「えっ? 違うよ。階梯を昇ったりしたら、才能がなくなっちゃう」
才能がなくなる。つまり、魔力が増えることをそう言っている。
一体どれほど幼い時から組織で教育を受けてきたのか、世の中の常識とまるで反対のことを言う。
「だけど、ポーションをつくれるようになったってことは、階梯を昇ったんでしょう?」
「階梯は、降りないといけないんだよ?」
少女はきょとりと当たり前の常識を語るかのように言う。
カレンの背筋にぞっと悪寒が走り、ホルストが階段を降りていくビジョンが脳裏を過った。
「女神様に認められたら、階梯を降りられるの。階梯を降りたら、願いを叶えてもらえるんだよ」
「階梯を降りたら? 階梯を昇ったらじゃないの?」
「おねえさん、何にも知らないんだね」
少女は呆れた顔をして言った。
「階梯を昇ったりしたら、化け物になっちゃうんだよ。死んだら魔核以外には何にも残らない、魔物になっちゃうの」
カレンは目を瞠った。
かつてカレンも、死後に肉体の残らない死に方を魔物のようだと口にしたことがある。
「だから人が人のままで死ぬためには、階梯を降りていかないといけないの」
「――もしかして、階段を降りた先には女神様がいるの?」
「もちろん!」
少女は大きくうなずいた。
「茨の森の先で、女神様はあたしたちが来るのを待っているのよ。それをたくさんの人に教えてあげて、魔物にならないように助けてあげるの。もう魔物になっちゃった人は、退治するの。それがあたしたち暗夜の子どもたちの仕事なのよ!」
少女がそう教えてくれたところで、香時計はすべて燃え尽きた。
途端に少女は強制的に口を噤まされ、連行された。
「暗夜の子を名乗る犯罪者たちはあのようにおかしなことを口走り、人心を乱します。錬金術師様も、Bランクとはいえお気持ちを強くお持ちください」
「はい……ご心配いただきありがとうございます」
案内人が面会室に戻ってきて、机に向かってうなだれるカレンの肩をさすった。
もしもカレンが自力で無魔力素材のポーションを作れる錬金術師を育成できないようなら、暗夜の子と呼ばれる組織の錬金術師を特殊雑役人として雇ってでも、自分以外の誰かがポーションを作れる環境を整えようと思っていた。
だが、カレンはそのやり方を諦めることにした。
少女の認識がこの世界の常識とあまりに隔たりすぎていて、カレンの手に負えそうもなかった。