顔合わせ4
「カレン、少し歩かないかい?」
「望むところです」
「うん?」
夕食を終えてもなお未だ気負った状態のカレンの返事を受けて多少首を傾げつつも、ユリウスは目を細めた。
「今夜の空色のドレス、とてもよく似合っているね。君は私が何を見ても美しいと思うだろうと言ったが……確かにそういうところもあるかもしれないが、私は君には空色が何よりも似合う色だと思っている。心から美しいと感じているのだよ、カレン」
「そ、そうですか。なんとなく、そんな気はしていました」
以前、ユリウスはカレンのドレスに空色の布を選んだことがある。
ジークの快気祝いのパーティーのために用意された、水色のドレス。
今も大事にクローゼットに保管してある。
あの時には似合うと言われてもお世辞の一種、あるいはカレンへのからかいだろうと思っていたが、そうではなかったとしたらいつからユリウスはカレンを想っていたのだろう。
カレンは不思議な心地で隣を歩くユリウスを見上げた。
ユリウスはカレンの熱い視線を受けて時折はにかむように微笑みながらカレンを庭園にエスコートした。
夜の庭園はライトアップされていた。
ガラス細工の花びらの装飾で飾られた魔道具ランプが、幻想的に庭園を照らし出している。
ユリウスはあらかじめ美しく飾られた庭園の様子を知っていたのか、カレンをどこかへ案内しようとしていたので、黙ってカレンはそれについていった。
到着したのは建物からは木々が障害物となって見えなくなる東屋で、周囲は満開の花ばかりが植えられて、光る花の浮く輝く池を臨むことができた。
季節外れの花もあった。きっと魔法で咲かせているのだろう。
春夏秋冬の花が同時に狂い咲く光景はダンジョンの外ではより幻想的で、現実離れした光景にカレンは目を細めた。
「綺麗ですね」
「カレンにそう思ってもらえたならよかったよ」
ユリウスがほっとしたように言う。アリーセの手配かと思ったら、この庭園はユリウスが整えたものらしい。
カレンは東屋から一望できるすべてを記憶に刻もうと、東屋を一周した。
ユリウスがちょこちょこそれについてくるのを見て、カレンは笑った。
「アハハ……!」
声をあげて笑ったあと、カレンは肩に入っていた力を抜いていった。
「よし」
カレンは軽く気合いを入れると、笑顔でユリウスに向き直った。
そして、ユリウスの前で跪いた。
「カレン? どうしたんだい?」
「わたしと婚約してください、ユリウス様」
片膝をついた格好で、カレンはドレスのスリットに隠したポケットから小さな箱を取り出して開いた。
ユリウスは金色の目を大きく見開き、カレンと差し出された箱の中身を交互に見比べた。
箱に入っているのは金の輝きを放つ指輪だ。
「この指輪は、わたしからユリウス様に贈る結婚の約束の証です。結婚はまだできないけど、いずれ必ず結婚しようという、誓いの形です」
ユリウスが戸惑うのも無理はない。
この世界には結婚に際して指輪を贈り合うという習慣はないのだ。
だが、カレンにとっては前世からいずれ叶えたかった夢の一つ。
「もしもわたしと婚約してくれるなら、この指輪を受け取ってください」
この指輪がカレンからユリウスへの特別な贈り物であるということは伝わっただろう。
ユリウスはカレンの手ごと指輪の小箱を掴むと、片膝をついていたカレンを引っ張り上げた。
金色の目を輝かせて、ユリウスは言う。
「もちろん受け取るとも、カレン」
「では、ユリウス様の左手の薬指に付けさせてください」
カレンが手を差し出すと、ユリウスは素直に左手を明け渡した。
小箱から金に輝く飴色の指輪を取り出すと、カレンはユリウスの左手の薬指に指輪をそっと通した。
「わあっ、ぴったり! さすがはウルゴさん!」
「カレン、この指輪はまさか……オリハルコンではないか?」
「奮発しました」
カレンは胸を張った。いわゆる給料の三ヶ月分よりも遙かに高額だったが、金を出しただけの甲斐あって、一生ものの指輪ができた。
ダンジョン調査隊の報酬として得た金銭をほぼすべて吐き出して、ウルゴの魔道具店であつらえてもらった代物で、当然魔道具でもある。
「魔力を蓄える魔道具でもあります。ユリウス様が魔力酔いしたくない時には、このオリハルコンの指輪に魔力を溜め込んでください。あっでも、わたしが側にいる時には心置きなく酔っ払っていただいてもいいんですよ?」
にやりと笑いながら、カレンはもう一つの小箱を取り出した。
「もう一つおそろいの指輪があるので、これはユリウス様がわたしの左手の薬指に付けてください!」
ユリウスは狐につままれたような顔をしながら、カレンの左手の薬指にも同じように指輪を付けさせた。
指輪を嵌めてもらう最中、カレンだけが頬をゆるゆるに緩めてにやついていた。
「うふふっ。これでユリウス様はわたしのもの」
「指輪にはそういう意味があるのかい? 平民の慣習だろうか?」
「いーえ。これはわたしだけのおまじないです! ふふふふふ」
カレンは止めどなくあふれる笑いを零しながら、自身の左手の薬指を夢見る目で見つめた。
庭園を明るく照らすランプの輝きを受けて、カレンの指輪もきらきらと輝く。
跳ねるような浮かれた足取りで庭園中の光を薬指に集めようとするカレンを見て、ユリウスもまた自身の左手を掲げ、薬指の指輪に集まる輝きに目を細めた。
「……トール、何してるの?」
「オレは無実だ。だけど、女の子みたいな顔をしてやがるから悪いことをしたような気にもなって、誠意を表すために縄を受けてる」
ヘルフリートの執務室を訪ねると、何故か縄で縛られたトールが意味不明なことを言う。
文脈からして、『女の子みたいな顔をしている』という人物はジークのことだろう。
少し目を離した隙に、ふざけ合うほどジークと仲良くなったらしい。
「カレン、君からもトールを説得してくれ。客人にこのような状態でいさせるのはあまりに心苦しい」
トールは自らの意思で囚われているらしく、神妙な面持ちで縛られている。
その姿にヘルフリートは頭を抱えていた。
「トール、ヘルフリート様を困らせないの」
「はーい」
カレンのひと声でトールは縄を簡単に緩ませた。
姉には素直なトールの姿にがっくりとうなだれるヘルフリートに向かって、カレンは緊張した面持ちで呼びかけた。
「そんなことよりヘルフリート様! 今、お時間よろしいでしょうか!」
「君が私に用があるというのは珍しいな」
ヘルフリートは顔をあげ、軽く目を瞠ると言った。
「どのような用件だろうか?」
「わたしとユリウス様との婚約を、どうかお許しいただけないでしょうか!」
「カレン!?」
頭を下げたカレンに、ヘルフリートよりもユリウスが驚愕の表情を浮かべた。
「構わないぞ」
「あ、兄上?」
あっさりと許可を出したヘルフリートにも、ユリウスは目を丸くした。
「何を驚いている? おまえたちの交際は元よりエーレルト伯爵家の当主として望んでいたものだ。カレンは優秀な錬金術師だからな」
「ちょうど、オレたちもその話をしていたところだったんだぜ。両家の未来の話ってやつをな」
「私の方はまったく集中できなかったがな」
ヘルフリートとトールが、それぞれユリウスとカレンの親族として何やら話をしていたらしい。
「カレンが嫁いでくるのでも、ユリウスが婿に入るのでも、エーレルトとしては構わない」
「オレもどっちでもいいぜ。ねーちゃんの希望に合わせる」
「それ、迷うよね~! どっちにしても素敵な未来が待ち受けていること請け合いだけど!!」
トントン拍子に話を進めていくヘルフリートとトール、カレンに目を回していたユリウスだったが、やがてぽつりと言った。
「私はカレンの婿となりたい」
「ユリウス様?」
「……私は、カレンのものになりたい」
薬指の指輪を握りしめて言うユリウスに、カレンは穏やかな微笑みを浮かべて目を細めた。
「じゃあ、いずれわたしのお婿さんになってくださいね」
「明日にでも婿に取ればよいのではないか?」
ヘルフリートが真顔で軽く言う。カレンはビシッとポーズを決めた。
「わたしの錬金術道はここからです! ここでユリウス様と結婚して、頭パッパラパーになるわけにはいかないんです!!」
「ああ。ねーちゃん結婚したら、しばらく錬金術どころじゃなくなりそうだよな」
「脳が溶ける、というやつか」
トールとヘルフリートがそろって哀れみの微笑を浮かべた。
何と言われようともここだけは譲れぬ一線である、とカレンは頑なに腕を組んだ。
そんなカレンの横合いから、ユリウスが顔を覗き込む。
「私は今すぐにでも結婚したいよ、カレン」
「うぐぅっ……! 甘い誘惑がぁ……!!」
身もだえるカレンにユリウスは吹き出しそうになりつつ付け加えた。
「――君の目指す場所に共に行きたいから、今は我慢するけれどね」
「わたしも我慢しますぅ……!」
半泣きで言うカレンを見て、ユリウスは堪えきれずに声をあげて笑った。
ヘルフリートも吹きだして、トールも腹を抱えて笑い出した。
さんざん笑われたカレンは寝る前にサラに泣きついてやると膨れていた。