万能薬の依頼2
「元気になったならスープだけじゃなんだし、パンも食べる? サラダもあるよ!」
「あ……まだ固形物を食べられる気がしませんので、お構いなく」
「追加料金がいらないならあたしはもらう」
ウルテはぐいっと涙を拭うと大きな音でお腹を鳴らした。
「泣いたら腹が減って仕方ないんだよ!」
「万能薬以外はただの料理だし、気楽に食べてね」
鑑定していないのでポーションになっている料理もあるかもしれないものの、カレンにとって他愛ないことなので、特に言わずに手を叩いた。
「わたしも一緒に食べようっと。ハラルド!」
カレンの合図で、ハラルドが台所に用意していた料理を運んできた。
「このパンはね、友だちのパン屋さんのパンなんだよ。とっても美味しいの!」
「本当に普通の食事ってわけかい……一緒に食ったら万能薬の効果がなくなるんじゃ?」
「どうだろうねー」
「どうだろうね、って」
「元々、味が好きで作ったら万能薬になっちゃっただけだし、ウルテさんたちに渡す分以外は夕飯として作っただけだから、効果が消えても別にいいんだ」
カレンはウルテの向かい側に腰かけてハラルドが運んできたスープカレーの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「はあ、お腹減ってきちゃった。この匂いを嗅いだら、絶対に食べたくなるに決まってたんだ」
カレンの言い草に愕然としているウルテを見つけて、カレンはにやりと笑った。
「美味しく食べてね? ウルテさん!」
「あんたがどういう錬金術師なのか、だんだんわかってきた気がするよ」
そこに、トールがスープカレーセットを乗せたお盆を手に応接室を覗き込んだ。
「オレも一緒に食っていいよな?」
「もちろんいいよ、トール!」
「私もお邪魔しまーす!」
「さすがエルフ。反省の色もクソもねーな」
トールの苦言も意に介さず、ユルヤナはあたりまえの顔で上座の誕生日席に腰かけた。
隣り合わせることになったアーロンがぎょっと身を引いているが、ユルヤナは気にも留めない。
ハラルドはユルヤナの前にスープカレーセットを置くとカレンを見やった。
「カレン様、アヒム様がお待ちですが、いかがしますか?」
「アヒムの分も用意してあげて」
「は!?」
応接室を覗き込んでいたアヒムが驚いた顔をする横で、ハラルドが「かしこまりました」とうなずいて台所に戻っていく。
「おい、オレもいいのかよ? いくらなんだ、これ? 後払いでいいか?」
「姉弟子からの歓迎の印だよ、アヒム。気にせず食べてってね」
「……おまえの歓迎、ありがたく受け取らせてもらう」
「師匠の尻拭いはわたしの仕事のような気もするし、ね」
「これからはオレの仕事にもなる。一緒に頑張ろうぜ、カレン」
「うん」
カレンとアヒムはしんみりとうなずき合った。
話の渦中の人物はカレンの論文を再び読みふけっていて、弟子たちの哀愁に気づいてもいない。
「カレン様、机が満杯のようなので、僕は台所におりますね」
「わたしの隣に来なよ! ほらトール、詰めて!」
「はーい」
「……このそうそうたる面々の中で食べると味がしなくなりそうです」
トールに詰めさせたからには逃げられなかったらしく、ハラルドはしょぼしょぼとした顔で自分の分のお盆を持ってやってくる。
そういえば、ここにいるのはハラルド以外はみんなCランク以上である。
Cランクの冒険者が二人、Bランクの冒険者が一人と、Bランクの錬金術師が二人、そしてSランクの錬金術師が一人。
「それでもわたしの弟子なんだから、一緒に食べないといけないよ」
「……はい」
ハラルドは緊張と喜びがない交ぜになった複雑な顔つきでカレンとアヒムの間に座った。
「それじゃみんな、手を合わせて」
「手を?」
「ねーちゃんの謎習慣なんだよ。一緒に合わせてやってくれ」
久しぶりに団欒の食卓だったので、いつも一人でやっている儀式に昔のように周囲を巻き込んでしまった。
トールのフォローにありがたく甘えて、カレンは笑顔で続けた。
「いただきます」
「いただきます!」
トールが大きな声で言うと、つられたようにすでに食べ始めているウルテとアーロンが「いただいきます?」と声を揃えた。
カレンがやっているので、ハラルドは前から見習ってやっている。
ユルヤナは「これは万能薬を食べる前に必要な所作なんですね?」と誤解してやっていた。
そうなるとアヒムも「これが万能薬の……」と手を合わせた。
食べ始めたカレンがスープカレーに千切ったパン、フィーネのパン屋にカレンが随分前にリクエストして作ってもらったナンをつけると、ハラルド以外の錬金術師たちから「ヒッ」と悲鳴があがった。
「そ、そんな無造作に万能薬を壊しにかかるなんて……」
「お、恐ろしい……」
ユルヤナとアヒムが青ざめているが、カレンは平気な顔でモグモグした。
「このパンね、わたしはナンって呼んでるんだけど、カレーをつけて食べると美味しいよ? おすすめ」
「カレン様がすすめるのでしたら僕は倣います」
下座の誕生日席のアヒムは、カレンに倣って千切ったパンをスープカレーにつけるハラルドを見て眉をひそめた。
「カレン、こいつEランクの錬金術師だろう? しかも、魔力量はEランクだって話じゃねーか。確かにその魔力量でEランクの錬金術師になれるのは特異だが、だからって、こいつにも万能薬を食わすのか?」
「ハラルドはわたしの弟子だよ。それに、Eランクの錬金術師だけど、アヒムにも師匠にも作れないポーションを作れるよ」
アヒムの侮りに緊張した面持ちになるハラルドの肩に手を置いて、カレンは言った。
「多分、ハラルドはわたしの次に万能薬に近いところにいる錬金術師だよ」
「――おまえの作る万能薬って、何なんだ?」
アヒムの問いに、カレンはふむ、とうなずいた。
「複数の効果が重複したポーションを作ると、女神様がそのポーションを万能薬に昇級させてくれる、って感覚だね」
「ポーションを……昇級させる、か。確かに、中回復ポーションや大回復ポーションを作る時って、そういう感覚があるな」
前から、複数の素材で無魔力素材のポーションを作ると、そのポーションには名称が変わるという変化が起きた。
素材が二~三種類くらいなら、鑑定するとその素材を反映させた名前がついた。
だが、四種類を超えていくとそのポーションの名前は素材が曖昧になっていった。
効果が似通っていれば別の素材を使って作っても、その曖昧な名称に統合されていた。
より素材のレア度を高めると、効果を二種類以上にすることもできた。
そして恐らく、効果がそれ以上の種類になってくると、どこかで効果の統合が起きて万能薬になるのではないか、とカレンは予想している。
「使う素材の効能を理解した上で、複数の効果が無理なく重複した状態であるあることを、女神様に認めてもらわないといけない。ただ理解している素材をごった煮にするだけじゃダメなんだ。……それともう一つ、万能薬を作るために重要なことがあるんだけど、これは女神様に制限されてて誰にも言えないんだよね」
万能薬を作るにあたって、カレンはいつも薬草を入れている。
薬草はポーション以外のものにも変化する――カレンが作るカレーが万能薬に昇級するにあたって、まだ足りていない何かの代わりになって、埋め合わせしてくれているのだ。
足りていないものが何なのかすべてわかれば、いずれ完全な万能薬を作れるようになるのだろう。
この、薬草が変化するという大事な部分をハラルドに教えられないせいで、ハラルドには自力で気づいてもらうしかないという状態である。
「ま、詳しくはBランクへの昇級論文を読んでみて」
誰にも再現できないが、すべてを書ききれないのは女神の制限のせいなので、これでいいらしい。上級錬金術師の特権である。
だが、誰にも読めない日本語で書くことはできた。
女神に制限されていても、自分以外は読めないことが前提の暗号で書くことはできるそうで、だから上級錬金術師というものは自分の研究を暗号で書き留めているらしい。
日本語の部分は他の人たちから見ればあからさまに暗号なので、いつか誰かが解いてくれることを願うのみである。
一体誰がこの世に存在しない言語と文字で書かれた文章を読み解けるのやらというところだが、カレンには女神に許される範囲のおしゃれな詩にしたり、独自の暗号を作る能力がなかったのだ。
「いずれ解読してみせますよ、カレンさん」
「暗号解読しながらご飯を食べるのやめてください」
カレンはぴしゃりと言った。
「せっかく美味しいご飯なんだから、きちんと美味しく食べてください!」
「確かに、せっかくの万能薬ですからね」
ユルヤナはハッとしてカレンの論文を読むのを止め、アヒムも食事を再開した。
スープカレーをスプーン一杯頬張ったアヒムは呑み込むと言った。
「美味いな、これ」
「でしょ~?」
「……毎日でも食いたいぐらいにな」
「万能薬を毎日はちょっと贅沢すぎるでしょ」
カレンがケラケラ笑っているうちに、アヒムはバクバクとスープカレーを食べて完食していた。