エルフの錬金術師
「くんくん。これはカレンさんの作る万能薬の香り」
「あ、師匠。お久しぶりですね」
カレンがダンジョン調査隊から帰還したあと、そこであった出来事を聞き、カレンの万能薬を確認して大興奮したあと、『研究したいことができたので失礼します!』と叫んで失踪した師匠がやっと戻ってきたのだ。
「研究は進んだんですか?」
「やりたいことは済みましたよ。しかし、研究が進んだとは言いがたいですね。最近、私のあとをつけ回す者がいるんです。それがうるさくて集中できなくて」
ユルヤナはふう、と溜息を吐く。
軽い口調でおどけてはいるが、ユルヤナはSランクの錬金術師だ。
カレンはBランクというランクでさえ警戒しているのだから、ユルヤナも言わないだけで色々と苦労しているのだろう。
「カレンさん、万能薬の論文を書くと言ってましたが進捗はいかがですか?」
「錬金術ギルドに提出しましたけど、写しならありますよ。よかったら読んでみてください」
「喜んで!」
カレンが師匠の苦労を思って優しい口調で言うと、ユルヤナが目を輝かせた。
錬金工房から論文を持ってカレンが居間に行くと、そこには優雅にソファでくつろぐユルヤナとそれを部屋の隅からじっと見つめるトールがいた。
トールが毛を逆立てた猫のようにユルヤナを警戒しているのだ。
「トール、前も言ったけど、わたしの師匠だよ?」
「だけど、エルフだ」
このやりとりはダンジョン調査隊から帰って来て二回目である。
燃えたアパートの代わりにトールがカレンの錬金工房にやってきた時にユルヤナと鉢合い、トールは一瞬にして警戒態勢になった。
何があったのか教えてはくれないものの、トールはエルフにひどく嫌な思い出があるらしいのである。
ちなみに、その時のユルヤナはどこからかダンジョンでのカレンの活躍を耳にしていたようで興奮状態だったため、トールは完全にスルーされていた。
カレンから論文を受け取りながらユルヤナは笑った。
「エルフの同胞があなたに何かご迷惑でもかけましたか? すみませんね。私の同胞、基本人間を虫ケラくらいにしか思っていないので。ハハ!」
「それじゃあエルフって、師匠がハラルドにするような態度をみんなが人間にするってことですか?」
「ハラルド? 彼もまたカレンさんの関係者ですし、私、比較的親切にしてきた方だと思いますが……」
困惑顔になるユルヤナが本気で言っているのが伝わってきて、カレンの背筋に冷たいものが走った。
「じゃあ、わたしに対する師匠の態度って――」
「カレンさんにはもちろん特別対応ですよ。エルフ相手だって私はこれほど丁重な対応はしませんよ!」
そう言ってユルヤナはソファで論文を読む体勢に入ると、そのまま動かなくなった。
「ねーちゃんとエルフの会話が成り立ってるの、すげー違和感」
「会話が成立しないレベルなんだ……」
「傲慢の権化だよ、あいつら。オレがあいつらより強いってことを示せば多少は話せるようになるけどさ。それでもマジでムカつくぜ、あいつらと話すの」
トールがイライラしながら聞こえよがしに言うが、ユルヤナはまったく聞こえていない様子で鑑定鏡眼鏡の奥で目をキラキラと輝かせて論文に没頭している。
その姿を見ると、トールの言葉を信じはしても実感は湧かなかった。
「ま、ねーちゃんに親切なら別にいいけど。しかし、万能薬が夕食ってのは豪華だよな。オレ、代金支払えるけどいる?」
「弟に夕飯を食べさせようってのにお金を払わせるわけないでしょ! 何言ってんの!」
「こういうの、家族でもちゃんとした方がいいかなーって」
「そんなこと言ったらこれまでトールが食べてきたわたしの手料理はほとんどポーションだよ? 今更だよ」
「やっぱり? ねーちゃんの料理は昔からなんか違うなって思ってたんだよな」
「食べるだけでわかるもの? わたし、自分でもよくわからないのに」
「ずっとねーちゃんの料理を食ってないと、わかるよ。これを食えば回復するはず、と思ってた体力が回復しない。治るはず、と思ってた怪我が治らない。ねーちゃんに教えてもらった通りのレシピで作ったスープ、家で食ってたもんと同じはずなのに、なんかまずい、とかな。旅に出てからそういうことがよくあって、最初は旅が大変なんだとか、オレには料理の才能がないんだとか思ってたけど、違った」
トールはニカッと笑って言った。
「ねーちゃんがすごかったからなんだな!」
「えへへ――」
それほどでも、とカレンが照れながら言おうとした時、錬金工房のベルが鳴った。
それは一度では鳴り止まず、何度も何度も鳴り続けた。
「ウルテさんが来たのかな? アーロンさんを早く治してあげたくて必死なのかもねえ。愛だね」
「ねーちゃんのサポーター、だよな」
「うん! 元々、カレーはウルテさんの旦那さんに万能薬を食べてもらうために作っているからね。ついでにわたしたちの夕食にもなる」
カレンとトールが廊下に出ると、配膳の準備をしていたハラルドがエプロン姿で台所から玄関に出てくれていた。
「お待ちください! 今開けますので!」
ハラルドがしつこいベルに声をあげると、ベルはピタリと鳴り止んだ。
玄関扉を開けたハラルドは、目を丸くした。
「あなたは――」
「カレン、いるか!?」
「あれ? アヒム?」
訊ねてきたのはアヒムで、これから訪ねてくる予定のあるウルテではなかった。
「どうしたの? 今日はこれから依頼人が来る予定なんだよね。悪いんだけど、アヒムの用はまた今度でいい?」
「一つだけ聞かせろ! ここにエルフが入っていったって聞いたんだが、いるのか!?」
「エルフ? いるけど――」
「失礼する!!」
「ええっ? なになに?」
アヒムが錬金工房に押し入ってくる。
ハラルドにとっては見知った顔だし、トールも平民学校で唯一カレンと同じ錬金術師志望だったアヒムを覚えていたようで、カレンがぽかんと見送るのを見ると無理やり止めようとはしなかった。
「ユルヤナ様!! ここにいましたか!!」
「――ゲッ」
カレンの論文を読んでいて反応が遅れたユルヤナは、心底嫌そうな顔をした。
「約束を果たしていただく時が来ました! オレはBランクの錬金術師になり、王国博覧会の錬金術学会でも認められ、年間最優秀錬金術師に選ばれました! 二十歳前にBランク以上の錬金術師になれたら、弟子にしていただける約束です!!」
「えー、そんな約束しましたっけ?」
傍で聞いているだけのカレンでもわかった。
ユルヤナは頭がよく記憶力がいいから、覚えてはいるのだ。
だけど白々しく忘れたふりをしていた。
「ほんの十年前の出来事です!」
「それってあなたが子どもの頃の、昔の口約束ですよね? そんなものを本気にされても困りますよぉ」
「エルフであるあなたにとってはつい最近の出来事でしょうッ!!」
アヒムは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「どうして逃げるんですか!?」
「私にはもうカレンさんという優秀な弟子がいますし、その弟子のハラルドも中々興味深いので、これ以上の人間の弟子はいらないんですよね」
そう言って冷笑するユルヤナの目は酷薄だった。
「一応あなたの経歴も確認はしましたが……あなたの存在は私の研究の邪魔にしかならないでしょう。あなたも人間なりに研究ごっこに勤しんできた錬金術師なら、Sランク錬金術師の研究を妨害することがどれほどの罪かわかるでしょう? もしかしてわからない? 成長できる時間の限られた短命種であるあなたには『理解』できませんかね?」
アヒムを嘲笑っていたユルヤナは、カレンに視線を移す頃にはきゅるんとしたなつっこい笑顔になって言う。
「カレンさん! 夕飯はまだですか? 今夜は万能薬ですよね? 楽しみですねえ!」
「……師匠はカレー抜きです」
「えっ!? なんでですか!?」
愕然とするユルヤナにカレンは遠い目をした。
カレンの前で人間差別っぷりをほとばしらせておいて、色々と無理がある。
「エルフってやっぱムカつくよなぁ」
トールがしみじみ言う気持ちがやっとわかって、カレンはこくりとうなずいた。