記念日デート3
錬金術師用の魔道具のコーナーに案内されたカレンは、真っ先にひとつの魔道具に目を吸い寄せられた。
錬金術でポーションを作る時に使う、飴色にも似た黄金の錬金釜だ。
「……オリハルコン、ですか? はじめて見ました」
ミスリルなら超高級なお店の最高級品として稀によく見るし、ヒヒイロカネもごくたまに見ることはあるが、カレンはオリハルコンという物質を目にするのは生まれてはじめてだった。
黄金のように輝いているが、黄金とは違って透きとおっていて、向こう側の光が透けている。
「ああ、そうだ。持ってみるか?」
「て、手袋とかお借りできますか!?」
「爪で引っ掻いたところでオリハルコンに傷ひとつできやせん。気にせず持ってみろ。落としても大丈夫だぞ」
「絶対に落としません!!」
カレンがオリハルコンの錬金釜を前に手を伸ばしては引っこめていると、ウルゴが台座から錬金釜を持ち上げカレンに無造作に押しつけた。
受け取らないと落下するとなったカレンは慌てて受け止めた。
「……重さは、鉄と同じくらい、ですかね?」
「ミスリルの方が軽くて取り回しがいいだろうが、こちらの方が魔力伝導率が高いぞ。硬く丈夫で、竜のウロコで引っ掻こうと傷がつくことはない。どんな素材でも最効率で調合できる錬金釜の最高峰だ」
「最高峰……」
いずれ賢者の石を作るのなら、手に入れたい最高の錬金釜。
カレンが目指す道のりの途中で必ず入手したいと思っていた、幻の魔道具だ。
「オリハルコンの加工方法こそわしらドワーフの最大の秘密だ。この頑丈極まりない代物を加工する方法が、おまえにわかるか?」
「見当もつきません」
「ま、それはそうだろうな。ドワーフの秘伝だからな。見破れないのも当然だ」
ウルゴはどこか満足げに髭をしごいている。
気にしていなさそうなそぶりをしておいて、カレンが水の革袋の秘密を見破ったのが悔しかったのかもしれない。
大人げないウルゴをカレンがジト目で見ていると、不意に手元に影が差した。
「これはいくらだろうか?」
ガバッと見上げたカレンはユリウスと目が合い、そのにっこりとした笑みを見て、店に到着するまでの間に立てていた計画をやっと思いだして愕然とした。
ウルゴは怪訝な顔でユリウスを見上げた。
「オリハルコン製の錬金釜だぞ? 大金がいるに決まっているだろう。冷やかしで聞いているならよしてくれ」
「無論、購入するつもりで聞いている。私はエーレルト騎士団の騎士としての給金以外に、エーレルト領のダンジョン攻略に伴う褒賞や、前年度の剣術大会での優勝賞金、先日のダンジョン調査隊おいてエルダートレントを討伐した報酬も受け取っている。それ以外にも例年の各領地での狩猟祭においての働きで得た金銭がある。これらで支払い可能であれば購入するつもりだ」
「ふむ。支払える公算はあるってことだな……いいだろう。買うやつはここ五十年いなかったが、非売品ってわけじゃねえからな。コイツの金額はな――」
「ま、待ってくださいウルゴさん!」
値段を聞いたら終わりな気がして、カレンはウルゴの言葉を遮った。
「ユ、ユ、ユリウス様、わたし、実はもっと別に欲しいものがあるんです!」
「他のものには目もくれずにオリハルコンの錬金釜のところへ向かったのに?」
ユリウスは頭を抱えるカレンを見下ろしおかしげに言う。
「私の存在など忘れてしまったかのように、君が目を輝かせてまっすぐにこの錬金釜に吸い寄せられていくのを私は見ていたよ、カレン。少し寂しさは覚えたが、可愛らしくて笑ってしまいそうにもなった」
くすくすと笑いながら言うユリウスにカレンは目を白黒させながら顔を赤くした。
「君が一番欲しいものを私に買わせてもらいたいのだ、カレン」
「男が貢ぎたいって言ってるんだ。女冥利に尽きるじゃねえか。ありがたく受け取っときゃあいいじゃねえか」
「ウルゴさん、絶対にホイホイ受け取れるような値段じゃないでしょう!? 白金貨百枚とか、そういう値段ですよね!?」
カレンたちが作るポーションを鑑定するとかっこ書きで小とか中とか大がつく。その上には特大があるらしいが、更にその上がある。
本物の『回復ポーション』には、何もつかないのだ。
その回復量に制限がないと言われていて、全回復ポーションとも呼ばれている。
もしもこのポーションがオークションに出た時の最低落札価格は白金貨百枚だそうだ。
白金貨百枚。カレンのような庶民からすると馬鹿げた額だ。
単純に円換算できるものではないけれど、円で考えるなら億とか兆とか、そういう単位になる。
そんなものを買ってもらうわけにはいかない。
青い顔で訊ねるカレンに、ウルゴは怪訝そうに眉を顰めた。
「白金貨百枚程度で利くわけがねぇだろうが。オリハルコンだぞ? 幻の金属だぞ??」
「具体的にはいくらだろうか? 決して払えない金額ではなさそうだ」
「ユリウス様、いいです、大丈夫です、プレゼントには高すぎます!!」
引き留めようと腕を掴んで引っぱるカレンに、ユリウスは目を細めた。
「オリハルコンの錬金釜に夢中になる君は可愛らしかったが、やはり私を完全に忘れた君を見ているのは面白くない気持ちもあった。手に入れてしまえば、もう私を忘れるほど夢中になってしまうこともなくなるだろう?」
少しばかり冷たい目をしてユリウスが言う。
引き留める理由がカレンの遠慮ならば、そんなものを聞き入れる気はないとばかりの冷笑を浮かべている。
デートだというのにカレンがユリウスの存在をすっかり忘れてしまったのはこんな場所につれてきたユリウスが原因なのに、それでも気に食わないものらしい。
カレンはユリウスを止めるためにめまぐるしく脳を回転させ、やがて、ユリウスの腕に抱きついた。
「カレン? どのように可愛らしく引き留められようとも――」
「も、もしもですよっ!? わたしとユリウス様が一緒になったら、お財布も一緒になるわけですし!? 今ここで、大金を使わないでもらいたいなあ、って!!」
カレンは真っ赤になって叫んだ。
魂の奥底から捻り出した苦肉の策、結婚したら同一会計になるわけだしここでお金を使わないで欲しい作戦である。
「――それは」
「すみませんっ、ユリウス様のお金はユリウス様のものですけど! 平民だと妻が夫のお金を管理するのが普通なので、なんか、つい、そんな考えが浮かんできてしまって! 照れますね!」
カレンは真っ赤になったまま、しどろもどろになって言う。
「あ、でも、もしユリウス様的に非常識な考え方でしたら、すみません。平民のわたしが、ユリウス様の財産を管理しようだなんて、ふざけてますよね。えへへ……」
赤くなったり青くなったりを繰り返しながら涙目になるカレンに、ユリウスは溜息を吐いた。
溜息にビクついて目に浮いた涙が今にもこぼれ落ちんばかりになるカレンの足元に、ユリウスは膝をついてカレンの手を取った。
「私の完敗だよ、カレン。もちろん、結婚した暁には夫である私の財産の管理権限は妻である君のものだ。君が許可しないというのなら、大きな買い物は控えよう」
カレンはおそるおそるユリウスの様子を窺うが、ユリウスが気分を害した様子はない。
むしろ、機嫌よさそうに楽しげな笑みを浮かべている。
「おーい、ご両人、オリハルコンの錬金釜はどうすんだ?」
「今日のところは大丈夫です!」
いずれ自分で金を貯めて買いに来よう、とカレンは心に決めた。
夫婦の共有財産というのはカレンの詭弁に過ぎないので、無論カレンが自分で買う分には無問題である。
「では私の未来の妻よ。君に許される範囲で君に贈り物をしたいのだが、オリハルコンの錬金釜の次に欲しいものを教えてもらえるかい?」
「あ、ありがとうございます。今から選びますね」
カレンは気合いを入れて手頃な価格の魔道具を求めて視線を走らせた。
次こそは決してとんでもない金額の魔道具に目を奪われはしないと、腹の底に力を込める。
「それと、個人的にこの魔道具が気になるのだが、購入してもいいだろうか?」
「それは好きにされたらいいと思いますけど」
「だが、私の財布は君のものなので、勝手に買うのはよくないかと思ってね」
ユリウスが面白おかしげに笑いながら言う。
まるでユリウスの買い物すべてにカレンが権限を持っているかのような口ぶりである。
からかうというには本気だが、その口許は緩みきっている。
自分が口にした言葉からくる羞恥心で、カレンは真っ赤になって叫んだ。
「~~わたしが誤魔化すために言ったの、わかってますよね!?」
「君が誤魔化すために言ったのだとしても、私は真に受けたから引き下がったのだからね。早く君に管理されたくて仕方ないよ、カレン」
カレンが赤い顔でわなわな震える姿を見て、ユリウスは目に笑いの色を浮かべながらほころぶ花のように声をあげて笑った。
そんなユリウスをカレンはキッと睨みつけると、ユリウスから顔を逸らして足取り荒く魔道具選びを再開した。