一年目3 ユリウス視点
「そのようなことはないよ、カレン。むしろ、君が私にはもったいないくらいだ」
「ユリウス様は本当にそう思ってくれていそうですね」
カレンはおかしげに笑う。ユリウスの言葉を信じてくれているのか、いないのか。
きっと信じてくれてはいるのだろう、とユリウスは思う。
だが、ユリウスや近しい者たち以外の他の誰も、カレンがユリウスに相応しいと思わないだろうということは、ユリウスも理解していた。
だから、カレンが傷つかないよう今のところはまだ、と思っていたのに――。
「わたしがBランクであることを明かせるようになった、色んな場所につれていってくださいね。その時には、わたしの持っている能力のために、少しはユリウス様と釣り合っているって思ってもらえるはずですから!」
「君は今の時点で、十分に満ち足りている」
「他の人にもそう思ってもらえるようになったら、ユリウス様の社交のパートナーにしてもらいたいです」
カレンがささやくような声音で願いを口にするのを聞き、ユリウスは胸をつかれた。
他の者など関係ない、と言う資格は、ユリウスにはなかった。
ユリウスの社交場に共につれていってほしい、と願ったカレンに、他の者たちに認められていないカレンでは、ユリウスの社交場に連れて行けない、とカレンに伝えたのはユリウスだ。
傷つけたくない、という理由ではあったが、カレン自身は悪口など気にしないと言っていたのに。
気にしたのは、ユリウスだ。
「それまでに、ユリウス様に恥ずかしくないよう、礼儀作法をアリーセ様やサラに叩きこんでもらいますね」
「今のままの君に恥ずかしいところなど一つもない!」
カレンはユリウスの断言に目を瞠ると、微笑んでソファから立ち上がった。
私服のワンピースの裾を手に取り、ユリウスに向かって淑女の礼をしてみせる。
かつてジークの快気祝いのために習っていた時よりも、よほど上手くはなっている。
礼の型としては間違っていない。
だがその動きに滑らかさはなく、ぎこちなかった。
体に不必要な力が入ってしまっているのか、体の使い方をまだ理解しきれていないのか。
優雅というにはほど遠く、付け焼き刃という感は否めない。
「平民としてはよくできている、とアリーセ様には褒めていただきました。だけどユリウス様のパートナーとして相応しいとは、わたしも思えません。それなのに、デートだからって浮かれて身の程知らずなお願いをしてしまいましたね」
カレンがどこか遠い目をして微笑んだ。
夢を見たカレンに、ユリウスは現実を突きつけたのだ。
――悪口など言われるまでもなく、カレンはすでに傷ついていた。
それはほんの小さな擦り傷のようなもので、カレンもさほど気にしているようではない。
だがそれは、ユリウスがつけた傷だった。
どのような意図であれ、ユリウスは平民出身のCランクの錬金術師ではパートナーにはできないと、カレンに伝えてしまったためにできた傷だった。
カレンが、貴族の令嬢らしい姿勢を取ろうとしてギクシャクとした動きになる。
ユリウスはまるで下手な人形遣いの操る人形のようなカレンに近づいて、これ以上カレンが今の自分ではない何者かになるための努力をしなくて済むよう、カレンを抱きしめた。
「すまない、カレン。君が陰口を叩かれることに傷つくのは、きっと君ではなく私なのだ。私が、君を傷つけられる姿を見たくなかっただけなのだ。今の君に不足があると言うつもりではなかった」
ユリウスは自分を守るためにカレンを傷つけてしまった。
抱きしめられて動きを止められたカレンは、ユリウスの腕の中で言う。
「わたし、悪口は本当に気にならないと思います。女神様に嫌われたかもしれないことに比べたら、些末事ですので」
あまりに大きなものと比べるカレンにユリウスは苦笑した。
確かに、女神と比べれば大抵の者に嫌われることなど大したことではないだろう。
「けど、ユリウス様が気になるなら、それも嫌だなって思ったんです。わたしだって、ユリウス様を連れていったらユリウス様が悪口を言われるような場所、ユリウス様が行きたいって言ったところで連れていきたいとは思えません。ですから、気にしなくていいんですよ」
こう考えて、カレンはユリウスの拒絶を呑み込んだのだろう。
ユリウスを思いやり、自身の願いも呑み込んでしまったのだろう。
「君に妥協は似合わないよ、カレン」
「いやいや、わたしだってですね、何でもかんでも願いが叶わないと嫌だなんて言いませんよ!」
カレンはユリウスの腕の中から抜け出すと、遺憾の意を表明して唇を尖らせる。
確かにカレンには上流階級らしい振る舞いは身についてはいない。
この状態では、まだ実力を公表できないが故のCランクの錬金術師という肩書きだけでは、貴族の尊重を十分には引き出せない。
――かつて、ユリウスは死に物狂いで今の立ち居振る舞いを身につけた。
ヘルフリートの、父親以外のエーレルトの者たちに受け入れてもらえるように。
理想的な貴族の青年としての身ぶりや手振り、話し方や表情の作り方まで、他者の反応を見ながら好意を持たれるように改善を繰り返し、好意を表明してくれることの多い女性の反応を参考にすることが多かったために、いささか女性に好かれやすい今のユリウスの形となった。
それ以前のユリウスの形を粉々に砕いて、誰にも悟らせずに済むように。
だがユリウスは、カレンの今の形をひとかけらも損ないたいとは思っていない。
「私にとっては今の君のままでも十分だと、君に、そして他のすべての者たちに理解させたくなった。そのためにも、明日の予定を組み直してもよいだろうか?」
「わたしはもう理解できてますし、他の人にわかってもらう必要はない気もしますけど、どちらでも構いませんよ」
カレンはユリウスの手のひら返しに困ったようにはにかんだ。
手放しで喜んでもらえる段階は、ユリウスがすでに放棄してしまった。
だから、カレンを喜ばせるためにもユリウスは腹の底に力を込め、渾身の甘い笑みを作り出す。
それを見上げるカレンがとろんとした目になるのを見て、ユリウスの笑みは自然と深まった。
演技では作り出せないほど、ユリウスの笑みが甘く蕩けていく。
「いずれ、遠い未来に……もしも私にも愛する人というものができるのならばと、甘美な夢想を抱いた場所へ、君を連れていこう」
「た、楽しみすぎます」
ユリウスの口上に胸を打たれたらしく、カレンは真顔になって震え出す。
カレンの重い期待を背負い、残り僅かな短い夜を有効的に使って明日の準備をするためにも、夕食の誘いを辞してユリウスは帰路についた。