一年目 ユリウス視点
「よかったらお茶を飲んでいかれますか?」
「ぜひ」
カレンを錬金工房まで送ると、中に招き入れられた。
案内された部屋には調度品とは思えない荷物が隅に山とおかれていた。
カレンは恥ずかしそうに頬を掻いた。
「すみません、ちょっとごちゃついてて。弟が今はここに住んでるんです。二階の部屋をあげたので、荷物は全部運んでって言ってるんですけど」
「私が運ぼうか?」
「いえ、絶対にトールにやらせますのでお気づかいなく」
カレンがきりりと姉の威厳を滲ませる。
どことなく、自身を蔑ろにした時のユリウスに対するアリーセの威厳にあふれた姿とも似ていて、ユリウスはなんとはなしに背筋を伸ばした。
「ちょっと待っててくださいね」
錬金工房にカレンとユリウスが二人きり、というわけではなく、少年の声がする。確か、ティムという名前だったはずだ。
ユリウスは外套を脱ぎ、ハンカチで汗を拭った。
外から、ティムとカレンの声がした。
「茶ならおれが出そうか?」
「ポーションにしたいからわたしが出すよ。それと、もうすぐトールも帰ってくるから訓練の準備をしていいよ」
「おおっ!」
そう、トールとハラルドも直に帰ってくるだろう。
その前にしたい話があった。
やがてカレンは盆を手に戻ってきた。
「緑茶が入りましたよ~」
「ありがとう、カレン。これもポーションなのかい?」
「はい。舞台に上がって火照った体の熱を冷ましてくれるポーションです。水出ししたので、すっきりしていて美味しいですよ」
そう言ってカレンが出したのは緑色の茶で、氷が浮いている。
錬金工房に備え付けの魔道具の氷室で、氷を作れる機能もあったはずだ。
これまでカレンは使用したことがなかったはずだが、上手く生活に取り入れているらしい。
「外套で少々熱かったから、ありがたい」
唇に触れるとキンと冷たく、舌に触れると苦みよりも甘さを感じていて飲みやすい。
ユリウスは緑茶を一気に飲み干してしまった。
「おかわりいりますか?」
ありがたく二杯目をもらい、それも半分ほど飲み干したあと、ユリウスは切り出した。
「ところでカレン、明日の予定は空いているかい? ハラルドとサラに確認したところ、特段の用事はないと聞いているのだけれど」
「空いてますよ」
一瞬、カレンは何かを考える顔つきになったもののそう答えた。
「では、私と出かけないかい?」
「何かポーションがご入り用なんですか? エーレルト関連のお仕事ですか?」
「明日は一年前、私と君が初めて会った日だよ」
「あっ」
今思いだしたとばかりの反応を見せるカレンに、ユリウスはくすくすと笑った。
依頼を受けたFランクの錬金術師であるカレンに会いに行った日から、明日で一年。
まさか、カレンに対してこんな感情を抱くことになるとは思わなかった。
「私たちの記念日だよ、カレン」
「つまりこれは、デートのお誘い、ってことですね!」
目を輝かせるカレンにユリウスは目を細めて訊ねた。
「どこか行きたいところはあるかな?」
「ユリウス様こそ、どこか行きたいところはありますか?」
「こういうものは女性の好みの場所に行くべきだろう? まずは君から聞かせてくれ」
「だったらわたし、ユリウス様が女性と出かけるとなった時に思い浮かべるような場所に行きたいです!」
カレンの返事に、ユリウスは虚を突かれた顔をした。
想定の範囲外だったためだ。
「私が思い浮かべるのを、一体どういう場所だと思っているんだい?」
「貴族を題材にしたロマンス小説を嗜みますので、結構詳しいですよ! オペラの観劇をしたり、美術館や博物館に行ったり、パーティーに参加したりするんですよね? ユリウス様が考える、最高のデートコースが知りたいんです!」
カレンは楽しげに言うが、創作物と違い貴族の社交場というものの実際は、楽しいだけの場ではない。
確かに、ユリウスがいずれエーレルトの意向で女性と娶されることになった暁に女性をエスコ-トしようとしていた場所は、そういう場所だ。
だが、今のカレンにとってはあまり快い場所とは言えないだろう。
カレン夢を壊すようで心苦しいが、カレンに辛い思いをさせたくないと、ユリウスは口を開いた。
「貴族の中には平民だというだけの理由で他者を見下す者も多い。せっかくの記念日だというのに、君に不快な思いはさせたくないのだ、カレン」
ユリウスのやんわりとした断りの言葉に、カレンは軽く目を瞠った。
「……なるほど。これまであまり不当な扱いを受けたことがなかったので、小説の中だけの話かと思っていましたが、やはりそういう人っているんですね」
カレンはあっけらかんと言った。ある程度、想像はしていたらしい。
ダンジョン調査隊に現れたあの近衛騎士たちほどではないが、カレンを貶める輩は必ずやいるだろう。
カレンに対して申し訳ないことに、カレンが受けかねない誹謗中傷の大半は、ユリウスが原因となるだろう。
「うーん。わたしは悪口を言われても気にしませんけど、でも、そういうことならやめておきますか」
「そうした方がいいだろう。君がBランクの錬金術師であることを公開した後ならば、誰も君を蔑むことはないだろうが……」
「公開前に、冒険者ギルドでサポーターを雇いたいんですよね。ナタリアが錬金術ギルド経由で探してくれているので、連絡が来るまでは伏せておくつもりなんです」
カレンにはエーレルトの騎士が護衛についている。
だが、鍛えあげた肉体を持つ騎士よりも、階梯を昇った経験のある元Dランク冒険者の老人の方が強い、ということもままある。
ミトラという女冒険者が暴走したこともあり、これ以上注目を集める前に身辺を固めてからBランクへの昇級を公表する予定だと聞いている。
安全を期するために、冒険者上がりの選定に時間がかかっているそうだ。
Cランクからは上級錬金術師で、貴族と同等の待遇を受けられるようになる。だが、あくまでも貴族という上流階級の中でも底辺の扱いだ。
だが、Bランクからは敬うべき対象として扱われるようになる。
公表までは、そしてカレンが敬われるべき存在と認識されるまでは、カレンが悪意に晒されないように守らねばならない。
――いくら、カレンはユリウスのものである、と周囲に誇示したくとも、だ。
「それじゃ、今回はわたしが考える最高のデートプランをお披露目するとしましょうかっ」
そう言って笑うカレンの顔にどことなく陰りがある気がしたが、ユリウスにはその陰り正体が掴めなかった。