地下の森でも
「ねーちゃん、ミトラは冒険者ギルドに拘束させたから、そっちについては心配いらないぜ。で、どーなったんだ?」
カレンがあとをマリアンに任せ終える頃、トールが合流した。
聴衆たちのことや、流れた噂の後始末についてはマリアンが引き受けてくれるそうだ。
一番の脅威であるミトラについてはトールに任せ、そして無事に制圧し終えたらしかった。
相手がAランク冒険者ではカレンにできることなど何もないのでトールを心配しつつも任せたが、無事に冒険者ギルドの協力を得られたようで何よりである。
「こっちはね、ひとまず丸くは収まったけど、ちょっと望んでなかった方にいっちゃったから、今後に期待って感じ」
カレンは何事もなかったかのように言う。
トールは小首を傾げつつも、納得してくれたようだった。
「……ねーちゃんなら何とかするんじゃって思ってたけど、早々上手くはいかねーか」
「いえいえ、トール様。カレン様は聴衆たちの前で階梯に昇って見せました。そのお姿を見て、誰もがカレン様のお言葉が正しいと確信を得られたのですよ。あれで上手くいっていないなど、カレン様はあまりに理想が高すぎるのです」
ハラルドが鼻息荒く言う。
階梯を昇ったことがあるハラルドにも、カレンが階梯を昇らせてもらえなかったことはわからなかったらしい。
「カレン!」
歩きだそうとした時、呼び止められてカレンが振り返ると、そこにはアヒムがいた。
「おまえと話がしたい。時間はあるか?」
アヒムは睨むような目をしてカレンを見て言う。
もしかしたらアヒムはカレンが階梯を昇り損なったことに気づいたのかもしれない。
だとしたら、口止めのためにもすぐに話をした方がいいのはわかっていた。
だが、カレンの口からはまったく別の言葉が飛び出した。
「今は時間がないから、後日錬金工房に来てもらえる?」
「……後日、だな。わかった」
不満そうだったがアヒムは引き下がってくれた。
後回しにしたことで口止めのための取引は難しくなるかもしれないと不安を覚えつつも、カレンはアヒムに背を向けた。
「ユリウス様はどこにいるかな」
何気なく口にした言葉は自分で思っていたより弱々しくて、カレンは思わず口を押さえた。
カレンは、ユリウスを遠ざけておくために適当な理由を付けてユリウスにはこの場に来ないようにとお願いしていた。
それなのに、カレンは今誰よりもユリウスに会いたい。
「ユリウスならあそこにいるぜ?」
トールが指差した方角には、帽子付きの外套を目深に被った背の高い男が立っている。
顔が見えないうちからその立ち姿だけでユリウスであるとわかってしまって、カレンは目を丸くした。
「錬金工房にいてって言ったのに!」
「でもあいつ、ねーちゃんにそれを言われた時うなずいてなかっただろ」
「そうだっけ……?」
そういえば、素敵な笑顔をもらった覚えがあるものの、肯定の返事はなかったかもしれない。
目立たない姿に身をやつして見ていたとしたら、一体どこから見ていたのか。
カレンの視線に気づいたユリウスが外套の帽子を少しあげた。
遠目にも険しい顔つきをしてほとんどカレンを睨んでいるのが見て取れる。
カレンはユリウスに近づいていく。
近づいて、カレンは何気ない口調で訊ねた。
「どうしてそんな顔をしているんですか?」
「君の口上がまるでライオスに未練があるように聞こえてしまってね――カレン?」
カレンがボロっと泣きだすのを見て、ユリウスは目を白黒させながら外套でカレンを包み込んだ。
「ここは人の耳目が多い。移動しよう」
ボロボロ泣き始めたカレンがユリウスの外套の中でこくりとうなずくと、ユリウスはカレンを外套で隠したまま歩き出す。
「……ごめんなさい、ユリウス様」
「君が謝罪する理由がなんであれ、私はきっと許してしまうよ。惚れた弱いというやつだね」
ユリウスはひどく優しい声で言う。
カレンが泣いて謝る理由がライオス云々ではないことぐらい、ユリウスはお見通しであるらしい。
ユリウスが不機嫌だった理由がライオスでよかったと思ったら、涙が出たのだ。
もしもカレンが女神に嫌われたかもしれないとユリウスが知ったらどう思うのかが恐かった。
至上の存在に嫌われたかもしれないカレンとは、ユリウスはもう一緒にいたくないかもしれない。
ユリウスは近くに紋章のない馬車を停めていた。
カレンと共に乗り込み、カレンの隣の席に座るとユリウスは帽子を脱いで言った。
「ここでの会話は外には漏れない。どうしたんだい?」
「……階梯に、昇れませんでした。昇ったように見えていたと思うんですけど……最後に、女神様はわたしに与えたものを取り上げていったんです」
「確かに、今の君には魔力酔いの兆候は見られないね」
これまでの魔力酔いの醜態を思いだし、カレンは一瞬苦笑しかけたが、結局笑えずに目を潤ませた。
「わたし、女神様に嫌われたかもしれません。心当たりも、あります。色々聞きすぎました。口答えもしました。聞いちゃいけないこと、聞いてしまったのかもしれません。それなのに、ユリウス様といたくて、すぐに言わずにいてすみません。もし女神様に嫌われたかもしれない不吉な女なんか側にいるのも嫌だってユリウス様が言うなら、わたし――」
カレンの唇を、ユリウスの指が押さえた。
ユリウスはカレンを覗き込み、その頬に手を添えて自身の方に仰向かせる。
うっすらとした微笑みをたたえて、ユリウスは金色の目を細めた。
「君と共にいるためなら、地下の森であろうとも私は行くよ」
地下の森とは、この世界風に言うところの地獄である。
とてもとても、暗い場所だと言われている。
「たとえ君が一人で行きたいと言おうとも、私は決して君を逃がしたりしないよ、カレン」
どこか薄暗い笑みを浮かべて言うユリウスに、カレンの涙が引っ込んだ。
「ユリウス様を女神の園へ連れていけるよう、わたし、たとえ女神様に嫌われていようと挽回のために頑張ります!」
「それでこそカレンだ」
その端正な顔立ちに浮かぶ完璧な笑顔には凄みがあった。
本当に、この人は地獄へでもどこへでも付いてくるのかもしれない。
少なくとも、今だってこうして付いてきている。
何となく、口上云々の話が流れてよかったと、カレンは内心胸を撫で下ろした。