主張の舞台6
ハラルドは女神に愛されたのだ――では、それ以外の人たちは?
カレンは、そんなはずはないと思っている。
だが、もしも万が一カレンの懸念の方が正しいとすれば、カレンはこの世界の仕組みが嫌になってしまいかねない。
だから、違うはずだと信じながらも念のために、カレンは与えられる高揚のままに虹を降らせる空を見すえて訊ねた。
『ハラルドは確かに努力しました! だけど、努力した人がハラルドだけとは思えない! 他にもたくさん懸命に困難に挑んだ人たちがいたはずですよね!? その人たちが階梯を昇れなかったのはどうしてなんですか!?』
女神からの、上の階梯への導き。
何なら中断されても構わないと、カレンは空に向かって問いを投げかける。
『まさか、好き嫌いで差別しているとか言いませんよね!?』
天を仰ぐカレンの視界にはぎりぎりハラルドだけが見えていて、ハラルドはカレンの言い草にぎょっと目を剥いていた。
女神は聞こえているのかいないのか、虹の輝きが収まることはない。
『魔力なしでも試練を乗りこえれば愛してくれるってことはわかりました! ただ、大変な試練だから、乗りこえられる人が少ないってだけですね!? じゃあ、乗りこえたハラルドがすごいって話でいいんですね! 魔力がないところから這い上がる姿をより愛してくれるってことですよね! 魔力なしであろうとも、あなたはいつも空から見ているってことですよね!?』
降ってくる光の粒の勢いはカレンの言葉を肯定するかのようにゆるまない。
もしもこれが肯定の印であるならば、それこそがカレンだけが理解に至れた原因なのかもしれない。
この世界の人は誰も、魔力なしが女神に愛されているとは思っていない。
ただ、もしかしたら、女神はそもそもカレンの声など聞こえておらず、いつものように導きの光を注いでいるだけなのかもしれなかった。
でも、カレンを見ている人々は十分に錯覚してくれるだろう。
女神はカレンの言葉を肯定している、と。
『階梯を昇ろうとする人を助けようとする人のことだって、女神様は愛していらっしゃいますよね!? ただ、階梯を昇るに至らないだけで! 一生懸命に生きているすべての人を愛しているんですよね!?』
光の粒が降りそそぐ勢いは、止まらない。
『じゃあ! あの頃のわたしは手頃な男で妥協しようと思って支えていただけだけど! 支えていたことに違いはないですし! 頑張って支えていたわたしのことも愛してくれますよね!?』
若干光の雨粒の勢いが弱まった気がしたが、カレンは気のせいだと思うことにした。
喉から拡声の魔道具を外し、カレンは女神以外の誰にも聞こえないだろう声で訊ねた。
「どうしてホルストという男のことは愛されなかったんですか?」
あのホルストが、これまで一度も努力をせずに生きてきたとは思えない。
空白地帯にあったあの研究所で、ペガサスの侵入を阻もうと身を挺したあの人々。
命を擲つだけの覚悟があった彼らが必死の努力をしてこなかったと思えない。
彼らに足りなかったものは一体、何なのか。
問いの答えが返ってくるとは思っていなかった。
だが次の瞬間、カレンの脳裏に映像が閃いた。
ホルストたちが階段を、降りていく。
――階梯を、暗い、昏い、冥い場所へと降りていく。
そのイメージを見た直後から、光の粒が消えていく。
同時に、高揚をもたらしていた魔力が体からごっそりと抜けて、カレンは茫然とした。
――階梯の昇段が、キャンセルされた。
そうと気づいた瞬間、カレンはゾッと鳥肌を立てた。
女神の不興を買う可能性があることをやっているのはわかっていた。カレンは女神に口答えしたのだから。
だが、実際に怒りを買うとなるとカレンの心臓が縮み上がった。
『あ、あ、あんた』
立ち尽くすカレンに、やがてマリアンが震える声で呼びかけた。
カレンはビクッと肩を震わせた。
この世界の人々は、女神の不興を買って階梯を昇ろうとして昇れなかった人のことをどう思うのか?
あまりにも大勢の人に目撃されてしまった。
女神に顔を背けられるカレンの姿を――固唾を呑んでマリアンの言葉を待つカレンに、マリアンは言った。
『私を差し置いて、女神と討論するのはやめてもらえる!?』
カレンは目を丸くした。
マリアンはどうやら、カレンが階梯の昇段をキャンセルされたと気づいていない。
周囲を軽く見渡したが、誰もカレンが昇りかけた階梯から下ろされたことに気づいている様子はなかった。
人が階梯を昇る姿を見慣れていない人たちだから、わからないだけなのか。
カレンは動揺を誤魔化すためにも声を張り上げた。
『えっと、つまり女神様よれば、魔力がない人も女神様に愛されているみたい!』
カレンが女神にした念押しの、そのあたりの話までは虹の粒の輝きは衰えることなく、その勢いだって落ちることはなかった。
一体何が女神の不興を買ったのか。
――あのヴィジョンは一体、何だったのか?
『つまり、魔力なしも偉大な護国の戦士になる可能性があるということなのね』
マリアンは声を張り上げ、その場に集まった観衆たちの顔を一つずつ見渡し、その言葉が浸透していくように働きかけていく。
聴衆の顔には理解や納得を通り過ぎてしまった、盲信の色が浮かんでいる。
カレンの言葉が通ったのだ。
だがそれによって導かれたのは、いずれ強者になるかもしれないから、手のひらを返すべきという結論だった。
結局はカレンの苦手な論に辿り着いてしまい、自身の言が通ったとはいえカレンは溜息を吐いた。
強者でなくとも、そうなる可能性が皆無だとしても、尊重すべきだという話がしたかったのに。
とはいえこの場を収めるためにも、このあたりで締めておくべきなのだろう。
千里の道も一歩から。
階段は、一段ずつ昇っていくものだ。
二段飛ばし三段飛ばしできれば理想だけれども、こけるよりはいい。
少なくとも、降りることにならなかったのだからよしとしておくべきだろう。
――階梯を降りていくホルストたちの不吉なイメージを思いだして、カレンはぶるりと身震いした。
昇れなかっただけで、カレンは降りたわけじゃない。
だがもしかしたら、カレンは取り返しのつかないことをしてしまったのではないだろうか。
『だったら、魔力なしだからといって排除なんてしてはいけないわね』
マリアンは心の底から納得した様子でそう言った。
『ごめんなさい、カレン。私が――私たちが間違っていたわ』
うっすらと微笑みさえ浮かべながらマリアンは敗北を認めた。
ある意味ではマリアンの勝利だった。
きっと、この計画を立てた頃からこれが、マリアンが辿り着きたがっていた結論だったから。