隔てる壁3 ユリウス視点
「だから、もう恥ずかしくないんです。少しは恥ずかしい時もありますけどね。でも、前よりもいっぱいいっぱいになりませんし、そうしたら前よりもユリウス様のことがよく見えるようになりました」
カレンがじっと見透かすようにユリウスを見つめる。
何か見透かされてはいけないものまで見通されてしまいそうで、だがカレンから視線を逸らすことはできずに、ユリウスの方こそ身動きできなくなってしまった。
「これまでは、わたしは勝手にキャーキャー言ってました。それでいいと思っていました。ユリウス様はどうせ家のためにわたしを良い気分にさせてくれているだけなんだからって。そこにユリウス様の真心が含まれている可能性があるだなんて、思ってなかった」
カレンはユリウスの瞳を覗き込む。
これまでのカレンなら照れて顔を直視もできなかった距離だった。
吐息が触れそうな距離まで近づきながら、カレンはユリウスの顔そのものよりもユリウスの内面を見つめて言った。
「キャーキャー言ってるうちにこれまでどれだけユリウス様の気持ちを見過ごしてきたんだろうって思ったら、もったいなくて。脳を溶かしている場合じゃないんですよ」
「……君にとってよい感情ばかりがあるわけではないのだよ」
ユリウスはカレンの眼差しに恐ろしさすら覚えながら言い、ハッと息を呑んだ。
「もしかして……私の中にあるよからぬ感情を見抜いたから、君は私との結婚を拒絶するのかい?」
ユリウスのきらきらしい外見だけを見ていたなら誤魔化されてくれただろうに、ユリウスの本質に触れたから、付き合うことはできても結婚はできないと思ったのではないか。
ユリウスの予想を聞き、カレンはきょとんと目を丸くしたあと、きりりと真剣な顔つきになる。
「違います。結婚はわたしの夢のド真ん中すぎて、脳が耐えられないからです」
「うん? ……ド真ん中?」
「結婚したら、まず間違いなくわたしは結婚生活に夢中になります。錬金術を放り出す自信がありすぎる。なのでまだ結婚はできません」
思わぬ答えにユリウスは笑いかけたが、すぐに現実に気がついて笑みを消した。
「だが、私との結婚は君がこれまでに思い描いていた夢の結婚とは違うものになるだろう。私は平民の結婚を知らないし、君も貴族の結婚を知らない。そこまで夢中にならずに済むのではないか?」
「ユリウス様との結婚ならなんであれ、夢中になるに決まっているじゃありませんか! あまりに見積もりが甘いっ」
断言するカレンを見下ろし、ユリウスは目を見開く。
「確かに困難はいくらでも予想できます。絶対に釣り合ってるようには見えないですしね。ダンスみたいに楽しいだけの時間じゃないでしょう。それでも……正直、嬉しすぎて頭がおかしくなりそうなんですよっ!」
唇の端が今にもにやけそうにゆるむのを、カレンが必死になって引き結んでいるということに、ユリウスはようやく気がついた。
「結婚、したい。フィーネたちを見て、その思いはかつてなく高まっていはいます。でも結婚したらわたしの錬金術人生は……終わる!!」
両立をすれば、と口にしかけてユリウスは飲みこんだ。
今更カレンの邪魔をするつもりはない。
ただ、結婚に、ユリウスに夢中になるカレンが錬金術を忘れて足を止めるならば、あえてその背中を押したりもしないだろう。
二度と錬金術のことなど思い出せないように、全力で誘惑する自分の未来が想像できる。
自分だけを見つめてくれるカレンがそこにいるのならば――ユリウスも、自分がカレンの邪魔はしないまでも、邪魔になる未来しか見えない。
「ユリウス様だってわたしがSランクの錬金術師になった方がいいですよね? だから、わたしがSランクの錬金術師になるまで、待っててくれませんか!?」
カレンががっしりとユリウスの腕を掴んで懇願の眼差しを送ってくる。
いくらでも待つ、と口にしかけてユリウスはやめた。
待てはする。いくらでも――待ってしまうだろうが、待ちたくはない。
だが結局は待たされることになるのだろう。
惚れた弱みを握られたユリウスは、意趣返しのためにカレンに向かってにっこりと笑った。
「カレン。私は家のために君に親切にしているわけではなく、君を愛しているだけなのだから、君がFランクだとて構わないのだよ」
「う、嬉しい。けど嬉しくない!」
「私としては君のランクは構わないが、カレンがSランクの錬金術師を目指すというのなら応援するとも。だがカレンのことだから、きっとあっという間にSランクの錬金術師に昇り詰めてくれるだろうね?」
「プレッシャーがすごい!!」
ユリウスは最近めっきり微笑みだけでは堕ちなくなってしまったカレンにとびっきりの笑みを見せ、その耳元でささやいた。
「君と早く結婚したくてたまらないのだよ、カレン」
カレンが首筋から赤くなっていく。
ユリウスは自分ではカレンの夢を叶えてはやれないかもしれないと悩んでいたというのに、カレンの方は結婚にどういう夢を持っているにしろ、ユリウスとなら幸せになれると信じている。
他でもないカレンがそうあれかしと願うのならば、そうなるに違いないとユリウスもまた信じてしまった。
ユリウスの小さな悩みや二人を隔てる壁の存在など、この諦め知らずの努力家にかかればきっと取るに足らないものなのだろう。
無根拠にもそう思えたことが、おかしくてたまらなかった。
ユリウスは笑いながらカレンの夢を寿いだ。
「結婚した暁には君の夢をすべて叶えてあげたいから、私に協力できることがあれば何でも言ってほしい。たとえば、どんな夢を抱いているのか聞いてもいいだろうか?」
ユリウスの問いに、カレンがみるみるうちに真っ赤になっていく。
どう見てもユリウスに叶えられない夢であるから遠慮して口を噤んでいる、というようには見えない。
カレンは真っ赤になると頭を抱えてうめいた。
「ッ! 脳が……溶けちゃった……!」
「溶けてはいないようだよ、カレン」
カレンが溶かしたのは壁――ユリウスの中にあった不安だった。
久しぶりに全身を真っ赤に染めたカレンの姿に、一体どんな夢を見ているのやらとますますおかしくなって、ユリウスは声をあげて笑ってしまった。