隔てる壁 ユリウス視点
ダンジョンを出た直後はカレンが寝込んでしまった。
カレンを休ませるためにと毎日の見舞いは断られ、カレンが起き上がれるようになってからは三日と空けずに錬金工房に通っていたが、今日は用事があるからと、訪問を断られていた。
代わりにカレンの護衛をする者たちからの話を聞こうと、彼らを統括しているサラに話を聞きに行けば、カレンは平民学校の同窓会に向かったという。
カレンが本来はパートナーと参加するものである同窓会というパーティーに出ると知った時、ユリウスの胸には胸騒ぎが走った。
カレンからもらったサシェの瓶を空け、その中からサシェを掴み取るとユリウスは使用人たちに頼んで急遽身繕いをはじめた。
サシェの中身をぶちまけた湯で湯浴みをし、カレンがもっとも好んでいるように見える礼装としても扱われる騎士服を着込み、髪を整えた。
鏡の中に映る自分の姿は多くの女性たちが求めてやまない姿。
カレンが求める姿の自分。そこに一分の隙もないことを確認して平民学校へ向かった。
そこは、カレンがこれまでの人生の大半を過ごした場所だった。
親にそうあるように望まれた同年代の子どもたちが集まり、学び、研鑽を積み、友情を育む――あまりにもユリウスの人生とはかけ離れた場所に見えた。
「あ、あの、招待状はお持ちでしょうか……?」
招待客の受付をしていた者の性別が女で助かったと思いながら、ユリウスは赤い顔でしどろもどろに訊ねてくる女性に甘い笑みを浮かべた。
「申し訳ないが、パートナーが先に入ってしまい、私は招待状を所持していないのだが、中に入れてはもらえないだろうか?」
「えっと、言伝もないですし、基本的には招待状がないといけないんです、が――」
ユリウスが笑みを深めると、女性が発そうとした断り文句が口の中で消えていった。
「どなたのパートナーか教えていただければ……! パートナーの方のお名前と卒業年度、ご本人様のお名前もうかがってもよろしいですか?」
「王国歴3361年卒業のカレンのパートナー、ユリウス・エーレルトだ。紋章の提示で身分の証明には足りるだろうか?」
「はいっ、私が確認しておきますっ! ぜひ楽しんでくださいっ!」
「ありがとう」
この見目で解決できてよかったと、ユリウスは内心安堵した。
貴族の身分を振りかざしたくはない。ここはカレンの版図なのだ。
ユリウスがホールに入ると視線が集まった。
ひと目で貴族だとわかるからか、騒ぎ立てる者はいなかった。
だが、明らかに異質な注目の集まり方であるのはこの場に不慣れなユリウスでも理解できる。
このままカレンのもとへ向かえばカレンの邪魔をすることになるだろう――ここまで来ておいて、躊躇いに足を止めた時だった。
「カレン、超綺麗になってたよなぁ」
ユリウスはその言葉を発した男の顔を確認した。
ごく普通の平民の男。そして、カレンの知り合いであるらしい。
もしかしたら友人かもしれず、それよりも親しい関係であってもおかしくはない。
ユリウスはカレンの過去を何も知らない。経歴としては知ってはいるが、カレンの生きてきた人生を知らない。だから、あらゆる可能性が捨てきれない。
カレンがユリウスとテレーゼが二人でいる姿を見てどのような感情を抱いていたか、ユリウスは改めて思い知らされた。
「しかもさ、錬金術師のカレン、Cランクになったんだってよ。友だちがさ、結婚式の招待状を送ったら、仕事で不在だって弟子から返信が来たって」
「弟子が取れるってことはマジでCランク?」
「確かカレンってライオスに捨てられたよな? つまり今はパートナーもいないってことだよな?」
「ライオス、バカなことしたよなぁ」
「カレンって魔力量とかランクとか育ちとかで人を選ばないだろ。オレでも全然付き合えそうじゃね?」
「いや、さすがにCランクの錬金術師は無理だろ」
「声をかけてみるだけタダだろう!」
「でも、とっくに先を越されてるんだよなぁ」
ユリウスは、知らず知らずのうちに足を踏み出していた。
カレンに望みを抱くすべての者たちを牽制するために。
カレンを探し出すのは難しくはなかった。カレンが、というより共にいる男が注目を集めていたからだ。
人々の耳目が向かう場所に進んでいくと、彼らの注意は次々とユリウスに逸れていった。
まさにカレンをダンスに誘おうとしたアヒムという男の前でユリウスはカレンを腕に抱いた。
その瞬間のアヒムの表情を、ユリウスは見た。
あの男の顔に滲んだ感情は、友情から生まれたものなどでは決してなかった。
「お、おめでとう……! えーっ!? いや、二人がそういう関係だなんて全然知らなかったんだけど……!?」
カレンが友人たちと賑やかに話す姿を、ユリウスは一歩引いて見つめていた。
明らかに、カレンは気楽そうで、楽しげだった。
弟のトールやセプルにそうであったように、そこには遠慮がなかった。
カレンが心を許した者に見せる姿だ。
その姿に、相手は夫婦であるにもかかわらず胸を焦がされるのは、一体どういうわけなのか。
「去年の秋頃から色々あってねぇ」
「結婚式に誘われなかったんだけどぉ!?」
「招待状、送ったよぉ。でもカレン、お仕事でいないって、お弟子さんから丁寧なお返事をもらったよぉ?」
「あーっ! ごめんっ! 今うちに手紙が山積みになってて、まだ全部は見れてなくて……!!」
カレンが頭を抱える。
招待状が送られたのは、カレンがダンジョンに潜っていた時期なのだろう。
万能薬を作れる錬金術師であることが明らかになった今、情報が統制されているとはいえ貴族の間ではすでにカレンは有名人だ。
手紙は山のように届いているだろう。
謝りながら平凡な結婚した幼馴染みたちを、子どもを授かった友人を、どこか羨ましげに憧れを込めて見つめるカレン。
カレンが憧れを込めて見つめるもののいくつかは、貴族のユリウスでは決してカレンに与えられないものだ。
カレンをダンスに誘おうとしていたアヒムという男なら、カレンに与えられたかもしれないものだった。
「仕方ないよぉ。Cランクの錬金術師ならきっと、貴族からも手紙が来るんでしょ? そっちを先に対応しないと後が恐いもんねぇ」
「フィーネ! 貴族様の前だぞっ」
「あっ、ご、ごめんなさい」
慌てたようにリーヌスが言い、フィーネが謝罪の言葉を口にする。
彼らにとっては気楽な軽口だというのが見て取れた。ユリウスも気にもしていなかった。
だが、カレンの友人たちがユリウスを見上げる目には怯えがあった。
ユリウスが貴族で、彼らが平民であるからだ。
まるでカレンが生きている世界との距離を味わっているように思えて、ユリウスは口の中に苦さを覚えた。
だがそれをおくびにも出すことはなく、ユリウスは笑みを浮かべた。
「気楽に接してもらって構わないよ。カレンを怒らせるようなことがなければ私を怒らせることにもならない、と伝えておこう。私のすべてはカレンのものだからね」
カレンは照れたようにはにかむと、友人たちを見た。
「えへへ。そういうことだから、大丈夫」
カレンが笑顔でそう言うと、ユリウスの言葉だけでは緊張の解けなかった二人もほっとしたように肩から力を抜いていた。