安請け合い
境界線上まではユリウスとライオスが見送りに来てくれ、その後カレンは一人で空白地帯に舞い戻った。
集落に到着する頃には日が暮れていた。
今日は色々なことがありすぎて、カレンはすでにヘトヘトだった。
だから、身を隠してくれる夜の闇はむしろ味方だった。
集落には相変わらず人の気配が感じられなかった。
もしかしたら、攫われたヴァルトリーデが連れて来られたのはここではないのかもしれないと思うほど、静かで命の温かさを感じられない。
カレンはそれでも建物の影に身を潜めつつ、目的地である一際大きな屋敷へ向かった。
そこで、ヴァルトリーデがここにいると確信した。
魔力の気配がある。ここには魔力のある者は自分の意志では入れず、連れてこられた者だけが存在している。
つまり、この気配はヴァルトリーデのものなのだろう。
とはいえさすがに真正面から入る気になれずに、周囲の木立に身を隠しつつ周りカレンは裏側に回り込んだ。
忍び込みやすそうな窓を探していたカレンはそこで、集落が無人だった理由にはじめて気がついた。
屋敷の裏側に、大きな穴が空いていた。
明るすぎる月の光は屋敷の大穴だけでなく、見たくもないものまで明々と照らし出していた。
崩れた壁の瓦礫の上には、変わり果てた姿をしたこの地の住人たちが折り重なって倒れている。
この集落の住人はみんなここにいるのだろう。
だから、カレンは誰も見つけることもなく、見つかることもなかったのだ。
「うっ……ッ」
カレンは吐き気がして口を覆った。
いくつかの亡骸には明らかに、喰われた痕跡があった。
もちろんユリウスではありえない。カレンが信じたいとかそういう話ではなくて、囓られた部位の傷痕からして、囓った者の顎の大きさは人間の顎の二倍以上はある。魔物の噛み傷である。
魔物が現れず、近寄れないはずのこの場所に、しかし魔物が現れて彼らを喰い殺したらしい。
明らかに、この集落の者たちにとっても不測の事態だ。
死体の状態からみて、すでに数日は経過している。
ならば恐らく、彼らを食い散らかした魔物はこのあたりにはもういないだろう。
ユリウスが巻き込まれなくてよかったと、カレンは胸を撫で下ろすと気を引き締め直した。
カレンは壁に空いた大穴から、死体を踏まないように避けて屋敷の中に入っていった。
月明かりの届かない屋敷の中に入ると暗すぎた。そのままでは中を探索するのは難しそうだった。
カレンは背嚢を降ろし、ボロミアスからの借り物を取り出した。
魔道具、青の灯火だ。
魔石を入れると青い光を発するランプで、その光は手に持っている人にしか見えない。
この場所で魔道具が使えるだろうかと一瞬不安に思ったものの、魔道具の中に魔石を入れると、ぼうっと青白い光を発しはじめた。
ランプを手にしているカレンにしか見えない光は部屋中を照らし出す。
内装はない。剥き出しの木と石の壁に、申し訳程度に布がかけられていた。
先程までは見えなかったものまで照らされて、カレンはうっと呻いた。
建物の中に向かって人間が引きずられていったらしき、赤黒い血の痕がある。
「はぁ……」
カレンは堪えきれずに溜息を吐いた。
引きずられた血の痕は、ある意味ではいい道しるべだった。
他にも道しるべはあった。白衣を着た亡骸たちだ。
ここでは何かの研究をしていたらしい。研究者のような出で立ちをした亡骸たちが、バタバタと倒れこんでいる。
この道を死体を引きずって中に押し入る侵入者の行く手を塞ごうとして、返り討ちにされたようだった。
大穴の入口の死体たちもそうだった。
生前、壁に穴をあけて入って来ようとする魔物と戦ったようだった。
戦う、というよりも、身を挺して中に入ろうとするのを防ごうとしていたようにも見えた。
魔力のカケラも感じられないただの剣やナイフ、火かき棒までもが転がっていた。
彼らは身を挺してまで、屋敷の中にある何かを守ろうとしたらしかった。
まるでこの先に命をかけてでも守りたい、彼らにとって大事な何かがあるかのように――その時、道の先で女性のすすり泣きが聞こえた。
少し低めの女性の声――。
「ヴァルトリーデ様……!」
カレンは声を頼りに、最奥の部屋に辿り着いた。
他に扉や窓がないか探したものの、その扉を開ける以外に中に入ることはできそうになかった。
カレンはフェアリアルクリスを抜いた。
ここに誘拐犯がいるのならば、カレンは戦わなければならない。
カレンも冒険者の娘なので、剣の心得がまったくないわけではないので、握り方と振り方くらいはわかっている。
覚悟を決めてカレンは扉を開け放った。
その先に、確かに倒れたヴァルトリーデはいた。
だが、すすり泣いていたのはヴァルトリーデではなかった。
奇妙な装置の置かれた、まさに何らかの研究部屋に見えた。
壁際にはいくつもの卵形をした容器がずらりと並んでいた。容器の中には緑がかった黄色に光る液体が入っていた。液体の光り方はまちまちで、その液体には様々な大きさの黒い石――卵が浮かんでいる。
最奥にある一際大きな装置は破壊され、容器の中の液体が零れだし、床に広がっていた。
その装置を背にして、羽が生えた白く巨大な馬の魔物が鎮座していた。
「――ッ!」
カレンは唇を噛んで悲鳴をこらえた。
その魔物は脚を折りたたみ、閉じた目からポロポロと涙をこぼしながら、大きな卵を前脚と翼で抱えてすすり泣いている。
その声は、まるで人間の女性の泣き声のようにしか聞こえない。
嘆く魔物が抱える卵の色は、魔物の背後にある容器に入っていたものなのだろう。魔物が装置の容器を破壊して、卵を中から取りだしたようで、卵は液体にまみれている。
その卵は本来、純白なのだろう。
だが、今や卵の下半分はどす黒い色に染まっていた。
どう見ても、いい状態ではなかった。
その卵のすぐ側に、意識のないヴァルトリーデが転がされている。
かすかに胸が上下しているので、生きてはいるようだった。
そのことに、ホッとする間もカレンには与えられなかった。
その魔物はパチリと黄金の目を見開くと、ぎょろりと血走った目でカレンを見た。
その瞬間、カレンは強烈な魔力の圧に晒された。一瞬前までは魔ヴァルトリーデのものらしき魔力ぐらいしか感じられなかったのに。
生き物としての圧倒的な格差を感じて、カレンは至極簡単に死を連想した。
圧倒的な階梯の差に打ちのめされて、カレンの目から涙があふれた。
何か一つでも間違えたら死ぬと、はっきりと理解した。
『おまえは――』
「錬金術師のカレンです!!」
カレンは流れる涙を拭いもせずに食い気味に叫んだ。
Cランク以上の魔物には人語を解すものもいる。人語を解するCランク以上の魔物で、翼を生やした白い馬。
カレンが知るのはペガサスのみである。
王国の創国神話に出てくるSランクの魔物、ペガサス。
王祖シビラの例にあるように、交渉に成功さえすれば従魔になってくれることもある、理性と知性を持った魔物だ。
アースフィル王都ダンジョンの四十階層のボスであるはずの強大な魔物が、何故かここ八階層にいる。
越境している。
越境は、ダンジョン崩壊の特徴である。
何故、どうして――止めどなくあふれる疑問や恐怖を押さえつけ、カレンは先制した。
「万能薬が作れる錬金術師はご入り用ではありませんか!? そちらのお子さん? 卵? のためにもどうぞお求めいただけますと幸いです!!」
『――万能薬?』
カレンの先制セールストークによって、魔物から発せられる圧力が明らかにゆるんだ。
『おまえ、この子を治せるの?』
「もちろんです!!」
当然、そんなこと知るはずもないものの、否と言った場合は死あるのみ。
本能的に理解したカレンは、己とヴァルトリーデの命をかけて断言した。