救出命令
カレンたちの予想通りボロミアスを訪ねてもそこにヴァルトリーデはいなかった。
個人的に、カレンはヴァルトリーデの失踪を知ってもボロミアスは本気で対応してくれないのではないかと思っていた。
兄妹でありながら、カレンとトールとは違って仲がよくなく、ボロミアスはヴァルトリーデを牽制するために冒険者の管理を任せた。
だが、報せを受けたボロミアスは顔色を変えた。
「まさか――ついてこいっ! 錬金術師カレン!!」
「えっ? は、はい!」
ボロミアスに命じられ、カレンがついていくとなると、ユリウスも共についてくる。
辿り着いた天幕にはホルストが囚われていた。
椅子に縛られ、激しい尋問を受けたのがありありとわかる姿に、カレンは思わず後ずさりして背後のユリウスにぶつかった。
「おまえたちの真の目的は、私なのだな?」
ボロミアスが問うというより、そうだと確信した口調で言う。
カレンは意味がわからず眉をひそめた。
攫われたのはヴァルトリーデで、ボロミアスではない。
ホルストは口を噤んだまま、じとっと湿った目つきでボロミアスを見上げるだけで、何も答えない。
カレンを相手に長々と口上を披露していたのが嘘のようだった。
「愚妹だが、はじめての娘ということで、あれで父上からは格別の寵愛を受けている。ヴァルトリーデが死ねばダンジョン調査隊を率いていた私の責となるだろう。このような混乱を引き起こされればダンジョンの調査はままならぬし、たとえ調査を成功させたところで私がヴァルトリーデを殺害したという濡れ衣を負わせられる可能性もある。そうなれば私は父上に憎まれ、王位継承権すら失いかねん。それを狙っての犯行だな? だが、何故おまえたちはそのようなまねをする? 国への恨みのためか? おまえは他の魔力無しどもと違って、伯爵位にまで上り詰めたであろうに」
「……」
ホルストは何も答えないし、表情一つ動かさない。
ベラベラと情報を垂れ流してカレンたちの意識を誘導する段階は、彼らにとってもう通り過ぎたのだろう。
ボロミアスは舌打ちした。
「だんまりか……だが、そなたら無魔力の者がヴァルトリーデを連れてこのダンジョンの八階層で動ける範囲などたかが知れている。近くに潜伏しているか、空白地帯へ向かったかだ」
ボロミアスはカレンを振り返った。
ユリウスが、何かを警戒するように前に出た。
「錬金術師カレン。そなたに空白地帯におけるヴァルトリーデの捜索を命じる」
「カレンは殿下の臣下ではございません!」
「だが、他に空白地帯を調べられる者がいないではないか。空白地帯以外のすべての場所は私が自ら調べる。ゆえに、空白地帯はそなたに調べてきてもらいたい」
「……ご命令を拝命いたします、殿下」
「カレン、私は恐らくあの場所に戻ることはできない。共に行くことはできないのだ!」
「わかってます。トールもわたしについてきてくれようとしたけれど、中には入れませんでした」
ユリウスは、感覚で自分があの場所から拒まれている存在だと理解しているらしい。
カレンはユリウスにうなずくと、ボロミアスを見やった。
「ですが殿下、いくつか条件を出させていただいてもいいでしょうか?」
「カレン殿、事はあなたがお仕えしている方の救出にかかわっているのですよ?」
控えていたトリスタンが困惑顔で注意を入れる。
入口で見張りをしているライオスも、バカを見る目でカレンを見ている。
だが、ボロミアスは太っ腹だった。
「構わん。ユリウスが囚われていたという空白地帯はどのような場所であったにしろ、危険に決まっている。命をかけさせることになるのだろうから、報いるのは当然のことだ」
「ではひとつめ。わたしが戻るまで、今、この野営地で苦しんでいる人たちをどうにかして全員生き延びさせておいてください」
「どういう意味だ?」
「回復ポーションが効かなくて、魔力回復ポーションを飲めばなんとか少し効くようになる――彼らのあの症状は多分、わたしのポーションで治せます」
ボロミアスは「ああ」と気づいた顔をして言った。
「万能薬、か」
「はい。ここにくるまでの道中を見た限り、先日、わたしの万能薬を食べたDランクとCランクの冒険者たちだけは魔法使いも症状は軽く済んでいたようでした。ついでに、わたしのポーションを食べて育ったわたしの弟も」
「なるほどな。わかった。私のために用意されたすべての備蓄を解き放ってでも誰一人死なせないと約束しよう」
「よろしくお願いします。ではふたつめに――ブラーム伯爵と話をさせてもらってもいいですか?」
「構わんが、こいつは何も話さなくなってしまったぞ」
「それでも聞いてみたいことがあるんです」
ボロミアスがカレンのために場所を空けてくれたから、カレンはホルストの前に立った。
ホルストは暗い目つきで虚空を見つめ、もはやカレンの方を見ようともしなかった。
「あなたたちの蜂起によって、今回の事件に無関係の魔力の少ない人たちに偏見が向くことがないよう、努力するって約束します」
ホルストは軽く目を瞠ってカレンを見上げた。
今回の事件を受けて、世間はどういう反応をするだろう。
魔力がない人々にもできることがある――魔力を持つ人々を脅かすことができる。
それを知った世間の人々は恐らく、無魔力の人々を見直したりはしない。
よりひどく差別し、弾圧しようとするだけだと、きっと誰よりもホルストが理解している。
カレンはその目をまっすぐに見つめ返して言った。
「なので、教えてもらえませんか? ユリウス様に何をしたのか」
「――とある魔物の、悪夢を飲ませたのだ」
ホルストが答えてくれなくても、カレンはハラルドや罪のない人のために努力をするつもりだった。
だが、ホルストは閉ざしていた口を開き、しわがれた声で言った。
「悪夢、ですか?」
「特に魔力の影響を受けやすい性質を持つ者がソレに触れると、悪夢を追体験し、狂気に陥ることがある――ユリウス殿を助けるのがあともう少し遅ければ、ユリウス殿は人間には抗いきれない強烈な飢餓感に耐えかねて、君を食い殺していただろう。それか、ユリウス殿は自分で自分の体を食い散らかしはじめたかも……そう、君の存在だけが誤算だった……君さえいなければそうなっていただろうに……救出に時間をかければかけるほど……取り返しのつかないことになるはずだったのに……」
ホルストの言葉は最後の方は口の中で呟くようになって、ほとんど聞き取ることができなかった。
「……教えてくれて助かりました。約束は守ります。ついでに、ヴァルトリーデ様をどうするつもりかも教えてもらえます?」
「言うわけがなかろう」
「ですよね」
ユリウスのことなら、すでにホルストにとって終わった作戦だ。
だから教えてくれるのではないかと思って聞いてみたのだ。
そして、この答え方からしてヴァルトリーデは生きているのだろう
そもそも殺す気だったのであれば天幕に亡骸が転がっているはずだ。
カレンはほっと息を吐いてホルストから離れかけて、ふと思いついたことを聞いてみた。
「そういえば、この件の首謀者ってベネディクタ側妃殿下なんですか?」
「――誰がそのようなことを言ったのだ?」
明らかにホルストが反応を示した。
カレンは誰からもそんな話を聞いていない。ただ、ふと思いついてしまったのだ。
――というよりも。
「最初からずっと、ベネディクタ側妃殿下の意向でヴァルトリーデ様がダンジョンに来ることになったのだと思っていたんです。なので、この誘拐が最初から計画されていたものならば――」
「あのような嫋やかなだけの女人に何ができるでしょう。カレン様、ここはダンジョン内とはいえ、政治的に不用意な発言は慎むべきですよ」
トリスタンがカレンの口を塞がせる。本心からの困惑と侮りを滲ませて。
本心から、そんなことはありえないだろうと信じている顔をしている。
見回すと、ボロミアスもトリスタンと似たりよったりの顔をしていて、ユリウスはまったく別のことでギリギリそうな顔だった。
ライオスは話についていけずにポカン顔だ。
つい最近、カレンは同じような光景を見たばかりだった。
最初は誰も、ホルストを警戒すらしなかった。
「ベネディクタ側妃殿下は――いや、どちらかというとあの人の息子の方かな」
国王の末の息子である第五王子は、ベネディクタの子である。
まだ幼く、何の情報も表に出てきていない、謎の王子。
「もしかして、第五王子殿下は魔力を持っていないんですか?」
そうだとすれば、ホルストたちが命をかけすべてをなげうち、ボロミアスを王位継承権争いから引きずり落とそうとする理由になる。
自分たちと同じ、魔力を持たない王を戴くためだと言うのであれば――。
ガタン、とホルストを縛り付けた椅子が刎ねた。
「私は誰よりも先に君を殺すべきだった!! 錬金術師カレン!!」
ホルストは椅子に縛られた体をよじって暴れた。
食い込んだ荒縄のせいで体に傷がつき肉が破れても、カレンに少しでも近づいて噛みちぎってやろうとするかのように暴れ、歯を剥きだしにし、首を伸ばした。
噛みつかれかけたカレンをの体を引き寄せてユリウスが庇い、ライオスがホルストを取り押さえた。