空白地帯到着
ホルストはやけにあっさりと騎士たちに連行されていった。
空白地帯にはホルストの仲間たちが控えているから、カレン一人が魔力を使い切ってみせたところで無駄だと思っているのかもしれない。
しばらく魔力のない状態でいると、だんだんとダンジョンの環境に体が慣れてきた。
生まれてからずっとこの状態なら、湯治を楽しめるくらいには慣れてしまうものなのかもしれない。
「ねーちゃん、薄くなってね?」
「そう感じるの?」
「……うん」
トールは不安そうな面持ちでうなずいた。
薄くなるはずがないのに、トールはそうなっているように見えているらしい。
「ワンダもそう見えるよな?」
「え? 何の話かしら?」
「ねーちゃんの話に決まってんだろ! 魔力を使い切ったねーちゃん、なんか存在感なくね? って話だろ!!」
「怒らないでもらえるかしら? そうね、そうだったわ。リーダーのお姉さんが、魔力を使い切ろうとしたのよね……どこにいるの?」
「目の前にいるだろ! ……冗談で言ってるわけじゃなさそーだな?」
「ええ、冗談のつもりなんてないわ。リーダーの言う通り、確かに薄いわね。気を抜いたらまた見失いそうだわ。魔力比べをする時に薬草に魔力をこめて我慢大会をすることはあるけれど、魔力を使い切ることはありえないから、こんな風になるなんて知らなかったわ」
トールもワンダもカレンを見下ろし困惑の表情を浮かべている。
「リーダーのお姉さん、ええと、カレンさんは階梯を上がってはいる……のよね?」
ワンダが言葉を選びつつ訊ねてくる。
カレンは先日ワンダが口にしていた言葉を思いだした。
「わたしが虫ケラみたいに見えるって意味ですか?」
「アア?」
「凄まないでよ! リーダーだってお姉さんを見失いかけているくせに!」
「……いや、体に込めてる魔力を引っこめれば、見失うことはなさそーだぜ」
トールはカレンをじっと見下ろしていたかと思うと、泣きそうな顔になる。
「よかった……魔力が全部なくなっちまったって、オレの目にはちゃんとねーちゃんに見えるよ。薄いけど」
「それはホントによかった。見えなくなる可能性があったんだ?」
カレンも胸を撫で下ろす。
魔力を使い切ってみせることで、弟に虫ケラのような目で見られる可能性があったとは思わなかった。
「だけど今のねーちゃん、すげー弱すぎて見てるだけで恐いよ。早くいつものねーちゃんに戻れるように、とっとと行ってユリウスを抱えて連れ戻して、とっとと帰ろうぜ」
「もしかして、トールも来るの?」
「あったりまえだろ? ユリウスが入れるってことは、オレもねーちゃんと一緒なら入れるってことだろ?」
「そういうことになるかもね」
「じゃ、手をつなぐか!」
トールはカレンの手を取った。
もしもトールが一緒に来てくれるなら、カレンにとってこれ以上ないほど心強い味方だった。
カレンとトールが手をつないだ瞬間、ふっとワンダの視線が宙を彷徨う。
まるで、魔力を使い切ったカレンとそんなカレンと手をつなぐトールに、焦点を結び続けるのが難しくてたまらないようだった。
ボロミアスたちも、もはやカレンたちに一瞥もくれない。
存在すら忘れてしまったかのようだった。
「あの空白の地でどこのどいつが罠を張ってようと、オレがいればどうにでもなるからな」
やはりトールも、ホルストの様子から何らかの意図を感じたのだろう。
罠がないはずがない。誰かが待ち構えていないはずがない。
だからもしもトールが一緒に中に入ることができないとすれば、トールは今のあまりにも弱すぎるカレンが一人で中に入ろうとするのを決して許さないだろう、とカレンは思った。
――地図の埋まらない空白の境界線まで来た時、トールはするりとカレンの手を離した。
「トール? こっちだよ、トール」
トールが向かうべき方角から急に顔を背けて、道を逸れていく。
意識が逸れてしまっているようだった。
カレンとはぐれたことにも気づかずに行ってしまいそうになるトールの手を、カレンは掴んだ。
「うわっ、力つっよ!」
カレンがトールの手を引っぱってもビクともしないどころか、ずるずると引きずられていく。
元々トールの力が強いこともあるけれど、今、カレンが魔力を身に纏っていないことで非力すぎるせいなのもあるかもしれない。
ユリウスがきっと中にいる。だとすれば、カレンが抱えればトールを連れていけるのかもしれない。
だが、今のカレンでは力が弱すぎて、トールを背負うことさえできない。
カレンは諦めて手を離した。
「いってきます、トール」
カレンは声も聞こえていない様子のトールに手を振ると、背を向けた。
進む度にどんどん体が軽くなっていく。
「……ダンジョンの中なのに、このあたりには魔力がないんだ」
いっそ、王都よりも更に空気中の魔力が薄いのを感じる。
孤児院で魔力を使い切ってのけた時ですら、空気中の圧力が魔力を使い切った体に響いていた。
今は、それすらほとんど感じない。
壁のようにそびえ立つ岩場の隘路を抜けた台地の上には、ダンジョンには似つかわしくない、人工的な集落が営まれていた。