子鹿の啖呵
「包囲しろ」
「はっ」
ボロミアスが小声でトリスタンに指示を出す。
カレンは深呼吸するとトールの腕を降りてホルストに近づいた。
ボロミアスは横目でカレンを見はしたが、止めはしなかった。
「……これはこれは、錬金術師殿ではないか」
「お久しぶりです、ブラーム伯爵。ユリウス様をどこへやりましたか?」
「知らない、とそう言っているではないか」
ホルストは騎士たちによって包囲されつつあるのも意に介さずに微笑んでいる。
むしろ、気づいていすらいない可能性もある。
そう思わせるぐらいには何かができるようには見えなかった。
なのに、ユリウスが帰ってこない。
「そういえば、君が我らが同胞を雇ってくれたという話を聞いたのだった。魔力を持たない者として、礼を言いたいと思っていたのだ」
「ハラルドなら、階梯を上がったのでもうあなたたちの同胞とは言えませんよ」
仲間扱いされてはたまらない、とカレンは冷たく突っぱねた。
ホルストは今ばかりは真面目な顔つきをして言った。
「うむ。私の仲間もその様子を見たと言う。私も見てみたかったものだよ――Fランクの魔力量にも満たない者でも女神の目に映っているのだと実感できる、その状況を。まさか……女神に私たちのことが見えているとは思わなんだ」
「そのことよりも、ユリウス様についてうかがいたいのですが」
どこか遠くを見て言うホルストの意識を引き戻す。
再び『知らない』と繰り返そうとしたらしいホルストの言葉を遮り、カレンは言った。
「もしもできるのであれば、ユリウス様をひと思いに殺すよりも、じわじわと無力感を味わわせて苦しめたい、んでしたっけ?」
「――ああ、そうだとも。もしもできるのであれば」
「なら、もしもユリウス様の失踪にあなたが関係しているのであれば、ユリウス様は生きているんでしょうね」
ホルストは作り笑いを顔に留めた。
その反応を見て、カレンはユリウスが生きていると確信した。
だが、カレンは嫌な予感が止まらなかった。
「ユリウス様は、空白地帯にいるんですか?」
「空白地帯とは?」
「空白地帯にいるとしても、何故かわたしたちには近づけない……だけどブラーム伯爵には近づける……」
「何のことだかわからないと、何度も言っているのだがねえ」
とぼけるホルストを黙殺し、カレンは自身の思考に専念した。
「ブラーム伯爵と、わたしたちの違いは――魔力」
ホルストの笑みは小揺るぎもしなかったが、正解だとカレンにはわかった。
「……そっか。魔力があると、あの空白地帯に行けないんですね?」
「何のことだか――」
「魔力がなければあの中に入れる。だからあなたたちは入れる。あなたたちに連れられていれば、魔力がある人も入れる」
「もしそうだとして、君たちには手も足も出ないだろう! 魔力を失えば死ぬ、君たちには! ――たとえあの場所でユリウス殿が膝を砕かれ倒れ伏していようとも、君は助けることはできないのだ!!」
ホルストは、ユリウスに自分と同じ惨めさを味わわせようとしている。
そして、少なくともあと三日は猶予があるとわかっていながら助ける術を持たないカレンたちをも絶望させようとしていた。
だから教えてくれる。何をしても無駄だと考えているからだろう。
確かにこの場にいるボロミアスや貴族の騎士たち、高ランクの冒険者たちが魔力を使い切れば死ぬ可能性が高い。
高魔力の者たちだからこそできないことがあるのだと、ホルストは見せつけたくてたまらないのだ。
だが――ホルストはカレンが魔力を使いきれることを知らない。
しかも、それができるのはカレンだけだ。
ユリウスがいなくなってからすでに四日。
膝を砕かれていたとして、その状態が自然なものだと体が認識してしまうまで一週間からかかるというから、余裕を見てあと三日。
助け出すのに三日以上かかるなら、ユリウスの体はポーションを使っても元には戻らないかもしれない。
ボロミアスたちが会議で結論を出す前に、すべてが手遅れになっているだろう。
「アハハハハハ! ハハハハハハハハハハ!! ハーッハッハッハッハ!!」
カレンは笑うホルストから目を逸らし、ポーチから石を取り出した。
透明の、空の魔石だ。
カレンはそこに魔力をこめていく。すると、効率は悪いものの徐々に魔石に魔力が溜まっていく。
魔力が抜けていく体に、ダンジョンの圧力がじわじわと襲いかかってきた。
ダンジョンの外の比ではない。途端に息が苦しくなる。
このまま魔力を失えば呼吸ができなくなるのではないかと、カレンは一瞬恐くなった。
だが、すぐに気を取り直した――ある意味ではありがたいことに、ここにはホルストがいる。
ホルストがダンジョンの中で生きている。
だから、いくら呼吸がしづらくなろうとも、圧迫感で立っていることさえ辛かろうと、生きることはできるのだろう。
「……何をしている?」
「魔力をすべて使いきれば、あそこに入れるんでしょう?」
「君たちは魔力を失えば死ぬはずであろう。低魔力の者でさえ、多かれ少なかれ魔力を失えば体に支障をきたす! ユリウス殿のために死ぬつもりか?」
「あいにく、魔力を使い切ることには慣れているんです。元はDランクの魔力量しかなかったのに、錬金術師を目指すような人間だったので」
カレンはそこで口を噤んだ。息が苦しくて、話す気になれなかった。
汗を流しながら魔石に魔力をこめていく。
ホルストや、他の湯治客たちも、どうして魔力を持たない体で平気な顔をしてダンジョンにいられるのだろうか。
彼らがこれほど辛い思いをしていることを、この世の大抵の人間は知らない。
それが気の毒になるぐらい、ただの空気でさえ肌を刺すように痛い。
「ねーちゃん、大丈夫か?」
「大丈夫。死にはしないから……あっ」
「どうした!?」
「……どうしよう。空の魔石、足りない」
そうえいば、カレンの魔力量はCランクに上がったのだった。
以前のDランクの魔力量ならこの魔石に魔力をこめきれば、使いきれるはずだった。
だが、魔力量が多くなったせいで使いきる前に魔石が元の水色を取り戻してしまった。
「つまりカレンさんは、魔力を使い切りたいのよね?」
「ワンダ、さん?」
肩で息をするカレンに話しかけてきたワンダは続けた。
「カレンさんって、薬草を摘んだことはあるわよね? 錬金術師だもの。薬草って、摘む時根っこの部分が少し光るでしょ? あれ、魔力をこめている間は光り続けるの、知っているかしら?」
「知って、ます。綺麗ですよね、あれ」
明け方の少し暗い時間帯や日が落ちたあとにダンジョンに入って薬草採取をすると、手元が蛍のようにきらきら輝いてとても綺麗だったりする。
ダンジョンで採取をはじめた頃は面白がって、むやみやたらと薬草に魔力をこめては疲れ果てたりしていた。
光が淡すぎて、昼間だとあまり目立たない。
「光っている間は、ずっと魔力をこめ続けられるわ。底なしだから、Aランクの魔力量を持っていたって魔力を使いきれるわよ」
それは初耳の情報だった。
カレンはフラフラしながら近くに生えている薬草のもとに膝をつく。
トールとワンダに支えられながら、カレンは引き抜いた薬草の根がふわりと明るく光った瞬間、魔力をこめた。
長持ちさせるために摘んだ薬草に込める時とは違う感覚。
淡い光が今にも消えそうになりながら薬草の根に留まり続ける。
カレンの魔力のすべてを吸い尽くしてやっとほの明るく輝いていた薬草の根の灯火は、やがてふっと途絶えた。
カレンの体内の残存魔力量が、ゼロになる。
「……唯一私たちが持ち得た優位性まで君は奪うのだな、錬金術師殿」
「私の三国一の恋人を、私から奪おうとしたのはそっちでしょ!」
カレンはキッとホルストを睨むと、「ふんぬっ」と気合いを入れて立ち上がった。
「ユリウス様が治らない怪我を負ってしまっても今更、私の気持ちは変わりませんけど! 錬金術師カレンの名にかけて、いずれ絶対治せるポーションを作ってみせますので、おあいにく様!!」
「――君ならば、いずれ作ってしまいそうで憎たらしいことこの上ないな、錬金術師カレン」
汗だくの上、生まれたての子鹿のように震えながらの決めポーズ。
情けないことこの上なかっただろうに、そんなカレンをホルストはこれ以上ないほど憎々しげな暗い目つきで見上げていた。