それぞれの役目
ユリウスが剣を抜くが早いか、エルダートレントが枝を鞭のようにしならせてユリウスに向かって叩きつけた。
ユリウスは飛びずさってその枝を避けた。
周囲には他にも冒険者や騎士が大勢いるのに、ユリウスだけを点で狙うその動きは、ユリウスこそこの場でもっとも強大な脅威だと認識しているかのようだった。
ユリウスが抜き払った剣は、トールと決闘をした時とは違っていた。
「ユリウス様が本気で戦うところをはじめて見ますわ」
テレーゼが興奮したように言うのを聞いて、カレンはハッとして食い入るようにユリウスに向けていた視線を切って目の前のミスリル鍋に向けた。
「テレーゼ様、患者さんに集中してくださいね」
「わ、わかっておりますっ」
カレンは自分のことを棚に上げてテレーゼに注意した。
テレーゼは恥じ入った顔をして目の前の患者に向き直ったが、五人ほど治療したあとにふらりと戦場に向かっていった。
「テレーゼ様?」
「魔力が尽きましたので、状況を確認に参りますわ」
「魔力回復薬をあげますよ」
「……それはありがとうございます。いただきますわ」
ユリウスが戦う姿を見に行きたかったらしいテレーゼは若干ムッとした顔をしたものの、カレンから魔力回復薬を受け取り魔力を回復させると再び働きはじめた。
だが、また魔力が尽きたようだった。
「カレン様、魔力回復薬がないようでしたら、私は怪我人の回収に向かいますわ」
「……お願いします」
魔力回復薬はまだあるものの、テレーゼの治癒魔法を回復させるために使わせるのは効率が悪そうだったので、カレンはそれ以上引き留めることを諦めた。
カレンがポーションを作る方が時間はかかるが、同じ魔力量でもっと大勢の怪我を治せそうだった。
テレーゼを見送ると、怪我人のために使われることになった誰かの天幕の外でカレンは声を張り上げた。
「新しい中回復ポーション、できました!」
「ありがとうございます、カレン様!」
「こちらの鍋にポーションを移します!」
怪我人の面倒を見るのは貴族たちが連れてきた従者たちである。
騎士たちが連れてきた従者たちは怪我人に慣れた様子で対処する。
カレンの近くで頭を打って寝ていた冒険者が、その様子を見て呟いた。
「……ダンジョンに使用人連れなんてお貴族様はナメてやがると思ったが、慣れたもんだな」
「騎士の従者ですから、慣れていて当然です。彼らの大半は騎士見習いで構成されているのですよ」
イルムリンデは冒険者に近づくと、頭から出血した血で染まった包帯を解いて、カレンが作ったポーションをかけてやる。
冒険者はイルムリンデの治療を受けつつ言った。
「貴族のお嬢さんのようだが、詳しいんだな」
「私の父は領主で、領地は西の辺境の地です。冒険者の方々に人気の土地柄ではないため、貴族は皆騎士で、子どもも騎士見習いとして育つのですよ。私も一時は騎士見習いとして従者の働きをしました」
「そうか……おれの娘と同い年ぐらいなのに、戦場に出るのか……」
「目を閉じて、しばらく休まれてください。傷は塞がりましたが顔色が悪いですわ」
「ああ……」
冒険者は傷が癒えるも青白い顔をして目を閉じる。
失った血の量が多すぎたのか、魔物の毒気か。
「カレン様、更にポーションを作成していただくことは可能でしょうか?」
「そうですね。できそうです」
慌ただしく立ち働いていた従者のうちの一人がカレンに声をかけてくる。
カレンがうなずくと、ほっとした面持ちになって言った。
「でしたら、作成をお願いいたします。実は、魔力をこめた水をかけてもエルダートレントの火を消火することは叶いませんでした。ですが、カレン様の中回復ポーションをかけたところ、消火できたのです」
「……なるほど? それは、更にたくさん必要になりそうですね」
トレントの炎は魔力で燃え続けるので、魔力で相殺する必要がある。
だが、ただのトレントとは違う、エルダートレントの油で燃え上がった炎は、ただの魔力水では消火しきれないらしい。
カレンはユリウスの戦いを見たかった。
見て、ユリウスが優勢なのを確認して、安心したかった。
何かがあれば駆けつけたかった――だが、それはカレンの役目ではない。
カレンは髪を結び直して気合いを入れた。
「よしっ! 中回復ポーション、じゃんじゃん作ります!」
従者たちが巨大なミスリル鍋の中身を空にして、新しい水で満たしてくれる。
薬草を摘んできて、カレンが使いやすいようにひと束ずつにまとめて並べてくれる。
カレンは彼らの助けを得て、錬金術師としての仕事に専念した。
野太い歓声が聞こえて、カレンはこの戦いが勝利の内に終わったことを知った。
「ユリウス様はご無事のようです」
「教えてくれて、ありがとうございます、ドロテア様」
カレンの代わりに、ヴァルトリーデを隠した天幕から出てきたドロテアが教えてくれる。
カレンは汗をだくだくと流しながら礼を言った。
エルダートレントに火を付けられた人のもとに、従者たちがカレンのポーションを持っていって消火する。
なので、次第に火を付けられた人々はカレンのもとへ火だるまになりながらも自らやってくるようになった。
魔力で体を守り呼吸を止めて、燃え上がりながらカレンのポーションができあがるのを待つ人々のために、カレンは休まず中回復ポーションを作り続けた。
ミスリルの鍋のおかげで思っていた以上の量を作ることはできたものの、残る魔力回復薬は一本。
これ以上長引くようなら、焼死者を出していたかもしれない。
今作成しているポーション鍋一杯分までは何とか作り終えると、カレンはその場にゴロンと転がった。
「はーっ、なんとかなって、よかったあ」
「お疲れ様です、カレン様。ご立派なお姿でした。共に働く者として誇らしい気持ちです」
イルムリンデが労りの言葉をかけながらカレンの汗を優しく拭う。
「そう言っていただけて光栄です、イルムリンデ様……」
安堵感で気が抜けると、ドッと疲れが押し寄せてくる。
カレンがそのまま目を閉じて眠ってしまおうとしたその時、ドロテアが言った。
「何やら、ユリウス様のご様子が――」
ドロテアが戸惑いを滲ませながら言い、続く言葉を濁した。
カレンは閉じかけていた目をカッと見開いて土の上で跳ね起きると、ユリウスのもとに向かって走った。
天幕が設けてある高台を降り、エルダートレントとユリウスを囲う騎士や冒険者たちの垣根に辿り着く。
すると、前に行きたいカレンに気づいた人々のうち、消火をしてもらった人々が主に道を空けてくれる。
カレンはその隙間を縫うようにしてぽっかりと拓けた中央に向かって駆けていった。
そこで、ユリウスは笑っていた。
「アハハハハ! ハハハハハハ!! ハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
その笑い声は、人の垣根を越える前から聞こえていた。
だが、実際に目の当たりにするまで、それがユリウスの声だとはカレンには思えなかった。
だが、その哄笑を発しているのはユリウスだった。
未だ残っているエルダートレントのズタズタに切り裂かれた亡骸を足蹴にして、目を爛々と輝かせ、酷く愉しげに声をあげて笑っていた。