出会った順番
「テレーゼ嬢にとって不名誉な話になりかねないので口外を控えたのだ。だが、君には話しておくべきだったね」
「不名誉?」
「彼女はかつてダンジョンの中で私が発見した者の一人だよ」
「それって、ユリウス様のせいにされたっていう、あの――」
『ダンジョン連れ込み事件』などと言われるわけのわからない言いがかり。
ユリウスが子どもの頃、ダンジョンの中で負傷した女騎士を助けたところ、ダンジョンの中で怪我をしたふりをすればユリウスに会えるという噂がまことしやかに広がったのか、怪我をしたふりをする女性が続出したという。
それが何故かユリウスが誘惑したせいということにされた、理不尽な事件だったはずだ。
「怪我をしていたふりをしていた人たちの一人、ってことですよね? ユリウス様の気を引くために」
「確かに怪我をしていたわけではなかったそうだ。だが、当時の彼女の実力では難しいダンジョンの深みに入り込みすぎて、動けなくなっていたところに私が現れたらしい。それを、いつものことだと思って私も理由を聞かずに助けたのだが、彼女はその時のことをきっかけに、冒険者を本格的に目指すようになったそうだ」
どこまでが本当で、どこまでが嘘なのかわからない。
それなのにユリウスがテレーゼの主張を信じているらしいことだけが伝わってくる。
事情を知れば晴れると思っていたモヤモヤが、まさか強まるとは思わずカレンは茫然とした。
だが、はじめから予感はあったのだ。
ユリウスはテレーゼの接触を、ペトラの時のようには避けなかったのだから。
「だが、そのあと、あのような事件として扱われたことで、私に礼を言うこともできなかったと気に病んでいたという」
カレンの納得していない顔を見下ろし、ユリウスは苦笑した。
「怪我をしていたふりをしていた過去を棚にあげて、テレーゼ嬢が嘘を言っているように聞こえるかい?」
「……まあ、そうですね」
「そのように疑われてしまうのが私ならば構わなかったのだが」
テレーゼが疑われてしまうだろうからと、ユリウスは言及を避けていたらしい。
ユリウスはどうしてテレーゼの言葉を信じたのだろう。
何故、今更そのようなことを言われて信じられるのだろうとカレンは胡乱な眼差しをユリウスに送った。
ユリウスはカレンの視線に気づかずに続けた。
「たとえ私目当てでダンジョンに潜ってきたのだとして、怪我をしていたわけでもなく、動けなくなっていたことさえ嘘だとしても――今ここに、Dランクの冒険者となって彼女が私の前に現れてくれたことは事実だ」
ユリウスは微笑んだ。その金色の目を潤ませカレンを見下ろす。
「私目当てにジークの依頼を受けたはずのカレンが達成報酬として私ではなく鑑定鏡を望んだ時のことを思いだし、つい涙腺がゆるくなってしまった。大の男が情けない話だが」
そこまで言われて、カレンも気づいた。
テレーゼがやったことはほとんどカレンがやったことと同じなのだ。
ユリウス目当てだとしても、ユリウスをきっかけに、より上を目指して努力した。
しかもテレーゼはカレンとは違い、ユリウス目当てですらなかったのかもしれない。
「私がきっかけとなって誰かが前に進む勇気を得られたのだとしたら、これほど嬉しいことはない」
普通の貴族には、護国のために命をかけようという覚悟がある。
その覚悟でダンジョンに潜り、しかし力及ばずにいたところを助けてくれた同年代の少年ユリウスに恋をして、より上を目指そうと決意する――ありえる話だと、カレン自身も思ってしまった。
たまたま時期が悪くてユリウス目当てと誤解されただけなのだとしたら、カレンよりもテレーゼの方がよほどマシだった。
マシ、どころか――それこそが、ユリウスが望んでいた出会いだろうとカレンは思った。
ユリウスは以前、ホルストから言いがかりをつけられた。
ダンジョン連れ込み事件などという、理不尽な事件の濡れ衣を着せられて傷ついていたユリウス。
たまたまユリウス目当てにジークの依頼に飛びついたカレンが、ユリウスの心を救えていたらしいとそこで知った。
カレンよりも先にテレーゼがユリウスと再会していたならば、きっとユリウスを救ったのはテレーゼだったろう。
「お戻りになられたのですね、ユリウス様」
ヴァルトリーデの野営地に辿り着くと、聞き覚えのある声がした。
ちょうど思い描いていた人物の声だった。
水色の髪の治癒魔術師、テレーゼが立っている。
彼女はユリウスの姿を見つけると目を細めて花のように微笑んだ。
「テレーゼ嬢、どうしてここに?」
「プレーデル卿からの伝言をお持ちいたしました」
「トリスタン殿の?」
テレーゼはうなずくと、くるりとカレンに体を向けた。
「カレン様、先日は体調が優れず挨拶もせずに場を辞してしまい申し訳ございませんでした。私、治癒魔術師のテレーゼと申します。エーレルト出身ですので、昨年の冬は実家に帰りませんでしたが、お噂はかねがねうかがっておりますわ。お目にかかれて光栄です」
「……はじめまして、テレーゼ様。錬金術師のカレンです」
「テレーゼ、と呼び捨てていただいて構いませんわ。私は冒険者としてこの場におりますもの。仲間の中はほぼ平民ですが、呼び捨てにしてもらっているのですよ」
テレーゼはカレンにニコッと笑みを見せてから、ユリウスに向き直り本題を口にした。
「事態を総合的に鑑みて、早急に八階層へ移動することになるとのことです」
冒険者たちによれば、八階層で何かが起きている。
貴族の見解も同じなのであれば、八階層に拠点を移すのが妥当だろう。
「また、今後より一層危険が伴う可能性がございますので、私たちDランクパーティーである翡翠の雫が王女殿下の部隊に同行させていただくこととなりました」
「君たちが?」
「はい。私は冒険者ですから貴族間の派閥争いに縁遠く、しかし貴族ですので王女殿下にお気を使わせることも少ないかと思いますし、また女だらけのパーティーですので、王女殿下のお側に侍るのに相応しいと思い、立候補させていただいたのです。ボロミアス殿下も許可をくださいましたわ」
「なるほど」
「立候補させていただいた一番の理由は、ユリウス様に強くなった私を見ていただくためですけれどね」
悪戯っぽく微笑みながら付け加えるテレーゼに、ユリウスが戸惑いの表情を浮かべた。
「ユリウス様に助けていただいた私が護国のために役立つことで、私の名誉は引いてはユリウス様の名誉となるでしょう。私を助けたことをユリウス様の誇りにしていただけるよう、励みますわ」
「ああ、護国のために共に戦――っ、カレン? どこへいく?」
貴族の男女が会話を交わしている場から、平民の錬金術師であるカレンが下がるのは自然なことだろうに、ユリウスはわざわざ呼び止めた。
「先に天幕に戻ります。仕事がありますので」
「カレン、誤解しないでほしい。私はただ――」
「何も誤解などしていませんが? お二人はただ挨拶をされていましたね。見ていたので知ってます」
カレンは淡々と答えた。そこに不快感や不満を滲ませたつもりは、カレンにはなかった。
だが、ユリウスは納得しなかった。
「カレン、言いたいことがあれば言ってほしい」
「――特に何もありません」
本当は、ユリウスがトールに言ったように、気安くユリウスの名前を呼ぶなと言いたかった。
だが、トールと違ってテレーゼはユリウスと不自然に接触しているわけでもない。
仕事の話をしているだけで――そこに、ユリウスへの慕わしさが滲むだけで。
ただ有用な能力を持っている錬金術師だからユリウスの恋人の立場を得ているだけのカレンが口を挟めるようなことは、何も起こっていなかった。
その時、カレンの名を呼ぶ声がした。
「カレン」
「ヴァルトリーデ様! 今行きます! では、失礼いたします」
天幕からカレンを呼ぶヴァルトリーデに天の救いとばかりに飛びついて、カレンは平静を取りつくろってユリウスとテレーゼに背を向けた。
ユリウスが自分を誇る理由が増えて良かったと思うべきなのに、今のカレンにはとてもそうは思えなかった。