聞く覚悟
「私としたい話とは何かな、カレン」
「正確に言えば、ユリウス様からお話をうかがいたい、ですね」
「私の話、か。……聞く覚悟はできているのだね?」
「もちろんです」
帰路を辿りつつ、カレンが決然とした表情でうなずくと、ユリウスは苦い微笑みを浮かべ損ねてから言った。
「私が決闘で手をかけたのは結果的に一人だ」
ユリウスは無表情で、淡々と言った。
「他の者たちは、私が決闘を仕掛けたところで命だけは助けてもらえると思っていたあてが外れ、恐れおののいて決闘を拒んだ。そんな彼らをトリスタンが家門の誇りを傷つけたとして自ら処断したよ」
「そう、ですか……」
カレンは少しトリスタンを見直した。彼に任せていたら、結局はなあなあになると思っていたのだ。
だが、家門の人間として自ら処断することを選んだ。
内々の処分ということになれば、もめ事はさほど大きなものにはならないだろう。
家門内においてトリスタンの責任問題とはなるだろうが、Bランクの冒険者と事を構えずには済む。
「だから、今後彼らに襲われる心配はないのでそれは安心してほしい」
「わたしのために戦っていただき、ありがとうございます」
カレンは礼を言って頭を下げた。
顔をあげたカレンの表情は物憂げだった。
ユリウスが手にかけた命を哀れんでいるのか、ユリウスの残酷さに恐れを覚え出したのか。
その顔に滲む感情に、恐怖が一番近いように見えたユリウスは暗い笑みを浮かべた。
「人の命を救うことが仕事の君にとっては、たとえどのような者であっても人の命を奪う者の存在は恐ろしいだろうね」
「いえ、そんなことは……!」
「無理をすることはない。私自身でさえ、自分を忌まわしく思う」
「あの、ホントに、そんなことは思っていなくてですね」
「それにしては表情が暗い」
カレンの顎を捉えてユリウスが上向かせる。
だが、ユリウスはすぐにカレンから手を離した。
「すまない。禊ぎは済ませて来たがこの手に触れられるのは気分が悪いだろう」
「そんなことはまったく思っていません!!」
カレンは離れていくユリウスの手をガシッと掴んだ。
剣を扱う大きな手のひらは、その見た目から想像される優美さとは裏腹に、皮膚が固くゴツゴツとしている。
あまり触れる機会のない手を両手で強く握りしめてカレンは言った。
「ユリウス様は、わたしの名誉を守るために戦ってくださったんですよね!?」
「君の名誉を守るためというのは建前で、私がただ彼らのことが気に食わなかっただけかもしれないだろう」
「だとしても、ユリウス様の行いはわたしを守りました!」
気持ちの悪いことを言っていた男たち。ああいう男は貴族にもいるのかと、カレンは溜息を吐きたい気持ちになる。
もちろん、と言いたくはないものの、冒険者街にだっていた。
彼らの中には多少痛めつければ心を入れ替える人もいるものの、そうではない人間もいる。
貴族らは明らかに後者で、カレンを狙えないとなれば標的を別の人間に変えるだけで、だから、ここで止めるしかなかった。
「彼らに口先だけの謝罪を言わせて、見逃して、たとえわたしが被害に遭わずとも、いずれ他の誰かが傷つけられることになるでしょう。もしわたしがここで見逃して、他の誰かが傷つけられたなら、見逃したわたしにも責任があると思います。ですからユリウス様が手を下さず、あの場にトールもいなければ、わたしがどうにかしていました」
グーベルト商会に石鹸を奪われたこと。
マリアンの労役と引き換えに、カレンは一度見逃した。
もうすでにエーレルト伯爵家が後ろ盾についていたし、無魔力素材の特別なポーションを作れると知っていたから、自分は困らないだろうと思ったからだ。
グーベルト商会に石鹸の販売を任せる公的な利益も魅力的だった。
だけど、あれ以降にグーベルト商会に何かを奪われた人たちがいるのなら、それはきっとグーベルト商会を告発しなかったカレンにも責任の一端があるだろう。
その後、ハラルドたちが襲われたこともまた、グーベルト商会を見逃したカレンの責任の一つに違いない。
家を燃やされたことも、トールに申し訳なくてまだ言えていない。
「どうしようもない人間を処断するのは、強者の役目だと思っています」
罰を下して反省させるか、労役を課して拘束するか。
どちらもできないのであれば、誰かが処分を下さなければならない。
「Cランク錬金術師のわたしも、もう十分に強者です。それなのにわたしにできなかったことをユリウス様にやっていただいたんです。感謝の気持ちしかありませんし、そもそも貴族にとって決闘は正当な裁きですよね?」
元々、トールを止めたのは人殺しを忌む心からではなかった。
冒険者が貴族を殺害すれば強い反発を生み、恨まれ憎まれるとわかっていたからだ。
冒険者には冒険者のやり方があるし、貴族には貴族のやり方がある。
貴族のやり方の一つが決闘だと、カレンも知っていた。
だからユリウスが決闘を申し出てくれた時にはほっとした。
それで代わりにユリウスが恨まれるとしても、トールに向かうほどの強い悪感情ではないだろうから。
それでも、嫌な役回りをさせたことに間違いはない。
それが自分のためであることも間違いないと、カレンは確信していた。
「たとえ建前であってもわたしのために戦ってくださったユリウス様の勝利をわたしは誇りに思います」
「……カレン」
「恐いどころか、わたしのために戦ってくださったのだと人に自慢しまくりたいくらいです! 建前だとしても自慢していいですか??」
カレンの言葉に、ユリウスはくすりと笑った。
「ありがとう、カレン。励まそうとしてくれるのだね」
「いえ、励まそうとかいうことではなく本気で――」
反論しかけたカレンの顔に顔を近づけ、ユリウスはカレンに言葉を呑ませて言った。
「無論、我が勝利は君に捧ぐものだ。それは建前などではないから、受け取って、存分に自慢してもらって構わない」
「ヒャー!」
黄色い悲鳴をあげて掴んでいたユリウスの手をぎゅうぎゅう揉み絞るカレンにユリウスはくすくすと笑う。
ユリウスの表情に明るさが戻ったことに気づいてカレンはほっと息を吐いた。
だが、だからこそ、カレンは気まずさに渋い表情になる。
「カレン?」
「うっ……ユリウス様がそのように深刻に、真剣にお悩みのところ、非常に心苦しくはあるのですが……実はわたしが聞きたい話は、別のことでして」
「別のこと?」
怪訝な顔をするユリウスを、カレンはぎょろりとガラの悪い目つきで見上げた。
ユリウスはぎょっと身を引いたが、カレンはその手を掴んで離さない。
「わたしが聞きたいのは、あの水色の髪の女のことです」
「……もしかして、はじめから君が聞きたかった話というのはテレーゼ嬢のことだったのかな?」
「そうです」
カレンが覚悟を決めた必死の顔で、掴んだユリウスの手に力を込める。
その顔には恐怖にも似た表情が滲んでいて――先程からカレンの表情が暗かった理由はここにあったのだと、さすがのユリウスも気がついた。
カレンは、ユリウスとテレーゼの関係性を知るのを恐れているのだ。
ユリウスの戦う姿や、時には冷酷な判断を下すこと、決闘とは言いながらも人を殺したユリウスに恐怖を覚えているわけでもなく――。
カレンの爪が恐らくはカレンも知らず知らずのうちに自分の手に食い込んでいくのを、ユリウスは拍子抜けした顔で見下ろした。