陰謀の影
「人の耳目を避けられる場所はございますでしょうか?」
「俺の天幕だな」
「私とカレンも同行させてもらっても構わないかな?」
「私は構いません」
トリスタンの言葉に応えるギュンターとユリウスの後ろで、セプルがついて行きたそうな顔でカレンを見ていた。
でも、カレンにもセプルを連れていっていいのかどうかの判断がつかない。
結局、ギュンターの天幕に入ったのはカレンとユリウスとギュンター、そしてトリスタンとライオスの五人だった。
天幕の中は暗かった。ギュンターがランタンに火を入れる。
外も、もう日が落ちて暗いものの、森の開けたところにいるので月明かりでかなり明るく、奇妙なほどに不自由を感じていなかった。
もしかしたら魔力量がCランクに上がって、前よりも視力が上がっているのかもしれない。
「この度は我々が主君をお止めすべきところで力不足ゆえに止められず、私がやるべき役目を担わせてしまったこと、まずは深くお詫びいたします」
トリスタンの言葉に、カレンはボロミアスとステフのことを思い浮かべる。
あれを見る前までは冒険者はどうしてこうも頑ななのだろうと思っていた。
だが、あんな貴族を前にしていまだ我慢し続けている冒険者たちの理性に、今は驚いているカレンである。
「わかっているならどうしてこういうことになっているのか? あんたがた貴族はこの調査を失敗に終わらせたいのだとしか思えないぞ?」
「その疑問には私が答える方がいいかもしれない」
ユリウスはトリスタンの方を見やった。
「君が何を言おうと、ギュンター殿の耳には言い訳のように響いてしまうだろう。私から説明しても構わないかな?」
「ユリウス殿の配慮、ありがたく存じます。どうかお願いいたします」
トリスタンが言うのに、ユリウスはうなずくとギュンターを見やった。
「どうも、近衛騎士団の様子がおかしいのだ。本来、あの男は今回のダンジョン調査隊の参加者の名簿には載っていなかった」
「あの男ってのは、さっきの嫌みったらしい男か」
「我々もステフ殿がダンジョン調査隊に参加していることを存じませんでした」
「第二王子サマの側近ともあろうものが、ダンジョン調査隊の隊員すら把握していないとは恐れ入ったよ。あんたがた貴族と話していると頭が痛くなってくるな」
「ギュンター、トリスタン殿の怠慢のように聞こえたのであればそれは違う。私もトリスタンも、参加者の名簿は受け取っていたのだ。私も当初は精鋭部隊の一人として参加予定だったからね。だが、その名簿とは違う者たちが来たということなのだ」
「つまり、ギュンター殿の指摘が正しいのでしょう」
「俺の指摘? 何の話だ?」
ユリウスとトリスタンの言葉にギュンターが困惑顔をする。
「先程おっしゃったでしょう。ダンジョン調査を失敗に終わらせたいと考えているとしか思えない、と。――そういう者がいるのです」
「おい、そいつは誰のことだ!? ありえないだろう。事はダンジョンの崩壊に関わるんだ。場合によっては王都が壊滅してもおかしくないんだぞ。誰が邪魔をしようっていうんだ!」
ギュンターが信じられないとばかりに言うが、ユリウスは溜息を吐くと首を横に振った。
「私としても信じがたいが、国の行く末など考えもせず、己の利益のために動く者もいる。このダンジョン調査隊の任務の遂行を阻むために、近衛騎士団の団員が入れ替えられているのだろう」
「近衛騎士団は王の騎士団だろう! 団員を入れ替えたとしたら、それは国王だ!」
「国王陛下のご意志ではないとは思います……あえて止めずに、容認はしたかもしれませんが」
「何のためにだ!」
ギュンターがトリスタンを睨みつける。
トリスタンは淡々と答えた。
「ご子息を、次なる国王に相応しい者かどうかを試し、鍛えるために。陛下は時折そのように我が子たちを試されるのです」
「よりによって、この非常事態にかよ……!」
「非常時でもなければ、その者の真価は測りかねますでしょう。と、頭では理解はできるものの、私自身も困惑しております」
トリスタンは溜息を吐く。
近衛騎士団は王族を、そして王を守る騎士団で、その任命権を持つのは国王である。
国王以外の人間の意図が入り込むとしたら、その人間は国王とよっぽど近しい人間なのだろう。
国王の意思決定に口を挟めるほど、肉薄した関係性――その人物の顔を思い浮かべたカレンは顔をしかめた。
「もしかしてわたしたち、王位継承権争いに巻き込まれていますか?」
「カレン殿のご明察の通りなのでしょう。あの近衛騎士団は第一側妃殿下が集めた、道を外れた上級貴族の子弟たちの寄せ集めです。更生のために機会を与えようと第一側妃殿下が慈悲を与えられ、近衛騎士団の末席に名を連ねていたあの者たちを、何者かが利用してダンジョン調査隊に参加させ、ボロミアス殿下の足を引っぱろうとしているようです」
「ん?」
カレンは目を丸くして首を傾げた。第一側妃とは、ベネディクタのことだろう。
あの問題児ばかりの近衛騎士団を作り上げたのは第一側妃、ベネディクタらしい。それはなんとなく得心がいく。
だが、トリスタンはベネディクタの仕業だとは言わなかった。
「側妃殿下は、利用されているんですか? 側妃殿下自身が第二王子殿下の足を引っぱろうとしているわけではなく?」
「それはないでしょう。あの方に悪気はありません。ただあの方は国王陛下の側近くにおられるので、利用しようと近づく者が後を絶たないのです」
カレンも会ったことがあるからわかる。
美しい女性だった。悪意があるようには到底見えなかった。
だが、悪意はあったとカレンは何故だか確信していた。
確信していたからこそ、無垢に見えたことが何よりも恐ろしい女性だった。
「あの、わたしはわたしの発明したポーションのレシピを他の商会から盗んだと、側妃殿下から疑われたことがありますが……」
「それを言い出したのは、あの方の周囲にいた侍女ではありませんか?」
「……そう言われてみれば、そうですね」
レオニー・シーレ。シーレ伯爵夫人が言い出したことではある。
「側妃殿下はお優しく、親切で慈悲深いお方です。ですから国王陛下の寵愛も篤いのですが、それだけに周囲の者に利用されがちでもあるのです」
レオニーはあたかもベネディクタの指示で動いているかのような口ぶりだったが、それは口だけでベネディクタにとっては青天の霹靂だった、という可能性は、ないとは言えない。
お茶会の席でするような軽口を、大げさに捉えられてしまったとか?
だとしたら、カレンは今までベネディクタを誤解していたのかもしれない。
「ともかく、今ボロミアス殿下の側に侍り甘言を吹き込み、正妃陛下の信任のある私たち側近を追い立てた近衛騎士団の者たちは、様々な理由で社交界の主流を追われた者たちです。同じ貴族とはいえ同じ騎士だとはとても思いたくはない、私たちにとっても非常に厄介な存在です」
首を刎ねられた男のことを思い出す。
仮にも近衛騎士を名乗る者があんなことをするのかと、カレンとしても不思議だった。
カレンの知るエーレルトの人々も、エーレルトを通じて紹介を受けた貴族たちも、まともな人ばかりなのに。
だから、トリスタンの主張は納得だった。
「ダンジョンの調査をつつがなく終えるために、身分の垣根を越えて冒険者の皆さんと王国騎士団とで手を組むことはできないかと思い、こうして参上したのです」
そう言って、トリスタンはギュンターに向かって頭を下げた。