成りかけ
嵐が去ったあと、やっとカレンの食事の時間がやってきた。
味見はしたし、冒険者たちからも大好評だったので、その美味しさに期待しかない。
ヴァルトリーデは椅子も机もない森の地べたに座って食べるような人ではないし、食事中に不意に魔物が現れたらおしまいなので、スープカレーを手にいそいそと自分の天幕に戻っている。
おかげで、ボロミアスに鉢合うことなく回避できたのは、ヴァルトリーデにとってはよかっただろう。
カレンは自分の深皿を手に取ると、焦げ付かないようかき混ぜ続けていた熱々のスープカレーをよそい、トレント油を新しいものに変えて揚げた熱々の野菜の素揚げたちをたっぷりと乗せていく。
まずは一番上に乗っていたマイタケの素揚げを噛みしめると、カリッとした食感と、素材の旨味が口の中に広がっていく。
その旨味を引き立てるのがスパイシーなスープカレーだ。
スプーンですくってカレーを味わう。マイタケの素揚げにスープカレーを絡ませて、一気に口の中に放り込む。
「ん~! おいし~!」
「またカレンのカレーを食べられて嬉しいよ」
カレンが配膳をする間、手伝いながら自分も食べずにいてくれたユリウスが共に食べながら言う。
カレンはそちらに満面の笑顔を向けて言った。
「食べたい時は言っていただければいつでも作りますよ!」
カレンはユリウスの言葉に機嫌良く答えたあと、ハッとした。
これはまさか、『君の作った味噌汁を毎朝食べたい』はイコールプロポーズである、という話ではないだろうか――とカレンが慌てたのはつかの間で、貴族のユリウスにとって毎日料理を作る存在は使用人のコックである、という事実をすぐに思いだした。
この世界には味噌汁はないものの、平民の男が平民の女に毎日料理を作ってほしいと言えば必然的に求婚的な意味合いを帯びる。
だが、ユリウスは考えたこともないだろう。
カレンはイルムリンデの言葉を思い出した。
ユリウスとカレンが幼い頃に思い描いた夢は、あまりにも違い過ぎる。
「……そういえば、彼女は現れませんでしたね」
「彼女?」
「水色の髪の女です」
「ええと、テレーゼ嬢のことかな?」
「へえ、テレーゼ様とおっしゃるんですか。名前で呼んでいらっしゃるんですねえ」
「同じエーレルトの貴族だからね」
「だから仲がよろしいんですか? よければどんな出会い方をしたのかお聞かせ願えます?」
「本当に大した出会いではないのだよ」
ユリウスはさらっと言って微笑んだ。
カレンは自分でもネチネチしていると思う嫌味な言い回しで言っているのに、少しもユリウスに響いている気がしない。
「彼女の家であるフォラント男爵家の騎士団も参加しているので、そちらに身を寄せているのだろう」
「……そうでしたか」
目の前で万能薬を作ってみせることであの女を怯ませるという、カレンの計画のうちの一つは不発に終わったわけである。
カレンは口を噤むとスープカレーを食べるのに専念することにした。
これ以上この話をしていると、せっかくのスープカレーがまずくなりそうである。
カレンが黙々とスープカレーを食べ終える頃、ギュンターがカレンを呼んだ。
「カレン、あんたの知人だと名乗るやつが来てるんだが……王国騎士の知り合いはいるか? いないなら叩き出すが」
「王国騎士?」
もぐもぐと口の中のものを飲みこんだあと、カレンは一人だけ思い浮かぶ人物がいることに気づいた。
「もしかして、赤髪の?」
「ふん、知り合いなのは本当か。連れてきてくれ」
ギュンターの言葉にうなずいた冒険者が連れてきたのは、カレンが思った通り、ライオスだった。
ピリピリとした冒険者たちの間を縫ってやってきたライオスは、ひどく緊張した面持ちで言った。
「カレン、王国騎士団の騎士として話しがしたいが、今いいか?」
「いいんだけど、カレーはもう残ってないよ?」
鍋の中身はすっからかんのピカピカだ。最後にカレンの分のスープカレーをよそったあと、冒険者たちが薬草固パンでこそげ落として食べていた。
「万能薬が欲しくてきたわけじゃない。主に詫びだ」
「詫び?」
「ともかく、俺の上司も連れてくる。構わないな?」
「いいよ。急いで食べ終えるね」
カレンが食事を再開しながら言うと、「助かる」と小さな声で言ってライオスは踵を返して元来た道を戻っていった。
カレンはハッとしてギュンターの方を見やった。
「すみません、勝手にいいって言ってしまいましたけど、ここに入れてよかったですか?」
「あん? 構わないさ。万能薬の錬金術師が望むならな」
「万能薬の錬金術師! かっこいいですね!」
「目の前でやりあってくれれば、多少の理不尽からなら守ってもやれる」
「守る?」
きょとん、とするカレンとギュンターの間に、ユリウスが割って入った。
「カレンの魅力にほだされたのだろう。気持ちはわかるが、カレンは私の恋人だ。そこのところは念頭に置いてもらいたい」
「俺は冒険者として錬金術師の偉業を讃えているだけだ。そういうのではないぞ」
「カレンちゃん、もしかしてこの色男貴族と本当に付き合ってる?」
げんなりした顔をするギュンターと、やっと世界の真実に気づきはじめた顔をするセプル。
カレンがてへへという顔をしていると、ライオスが上司を連れて戻ってきた。
その上司の顔にはカレンも見覚えがあった。
カレンは食べ終えたスープカレーの皿を置きつつ言った。
「あなたはダンジョンに入る前、第二王子様といた……」
「側近のトリスタンと申します。お初にお目に掛かります、カレン殿。きちんとご挨拶をさせていただくのははじめてですね」
二十代から三十代の見た目。実年齢は不明である。
魔力が大きいほど年齢不詳に磨きがかかるので、貴族の年齢は想像がつかない。
長い髪を一つにまとめて後ろに結んだ髪型の男性で、王国騎士団の紋章が描かれたローブ姿の魔法使い。
ボロミアスの側近だということは貴族、しかも上級貴族に間違いないため、カレンはその丁重さに面食らった。
「そこまで丁重に接していただくような者ではないんですけれども」
「どこまで丁重に接しても足りないくらいでございます。あなたは成りかけの錬金術師ではございませんか」
「わたし、今はCランクなので、次に昇級するとしてもBランクだと思いますよ?」
成りかけとは、Aランクに成りかけているという意味だ。
Cランクからは扱いが変わる。Bランクももちろん、貴族の首を刎ねても死なせなければ許される程度の高ランクだ。
だが、Aランクからは扱いの次元が変わる。
女神のいる階梯まで到達した者として扱われる。
実際にそうかどうかはともかくとして、それほど尊ばれる存在だ。
だからこそ、ユルヤナは好き勝手が許されている。
そう成りかけている者のことを、人は『成りかけ』と呼ぶ。
「Bランクへの昇級条件は、大回復ポーションかそれと同格のポーションを作成できるようになることでしょう。ですが、万能薬は効果小のものでさえ、大回復ポーションよりも格が上ではありませんか。ですから、カレン殿の適正ランクはAランクとなりますでしょう」
「ダジョンでドロップする万能薬とは違うので、すんなり昇級させてもらえるとも思えないんですけど、そう言っていただいてありがとうございます」
カレンが素直に礼を言うと、トリスタンは優雅な仕草で頭を下げた。
「私の力不足のために、我が主君と皆様との間に重大な行き違いが生じたとうかがっております。その行き違いを糺すための機会をお与えいただけないでしょうか?」
「……とりあえず、俺の天幕に来ていただけるだろうか?」
「話す場をいただけるのであれば、どこへでもうかがいます」
ギュンターの提案にトリスタンは微笑みを浮かべた。
その微笑みはよくよく見れば強ばっている。
もしもおべっかではなく、カレンを本気で成りかけと考えているのなら、ボロミアスとステフの行動はトリスタンにとって胃が痛いところの話ではないだろう。