隠し事
「ユリウス様! そちらの方はどちら様ですかね!?」
「カレン、彼女は――」
「あの日のこと……覚えていてくださって嬉しゅうございます、ユリウス様。調査隊の任務によってはご一緒することもあるかもしれませんので、その際にはどうぞよろしくお願いいたします」
ユリウスが何かを言う前に、水色の髪の女は優美に微笑んでその場から立ち去った。
一瞬、女はカレンを見やって微笑んだ。
嘲笑に見えたのはカレンの目が恋愛フィルターによって磨りガラス並に曇っている可能性が非常に高く、カレン自身判断がつかなかった。
ダンジョン内では手入れの難しそうな水色の美しい長髪に、白いワンピース型の服に拳大の魔石のついた大きな杖。
治癒魔術師の冒険者だ。治癒魔術師は水魔法が得意で、身ぎれいさも彼らの実力をあらわすバロメーターである。
靴と杖には年季が入っていたので、腕のいい治癒術師なのだろう。
女が視界から消えるまで見送ったあと、カレンはユリウスに視線を移した。
「ユリウス様?」
「彼女はエーレルトの貴族だよ、カレン。貴族だが冒険者として活動していて、調査隊に同行することになったので、私に挨拶に来てくれたらしい」
そう言いながら、ユリウスが自身の目元をサッと拭う。
さりげない仕草だったがカレンは気がついた。
ユリウスは今、目尻に浮いていた涙を拭った。
「あの、ユリウス様、泣いたんですか?」
「まさか、泣くわけがないだろう」
「あの人に何か言われたんですか? あの人とどういう関係なんですか? 抱き合っているように見えましたけど?」
「大した話はしていないし、ただの同郷の貴族というだけだよ、カレン。それに、抱き合っていたわけではないよ。彼女がふらついたのを支えていただけだ」
ユリウスはそう言ってカレンににっこりと微笑んだ。
完璧な笑みには、カレンの脳を溶かそうという意図が滲んでいる。
ここ最近、口づけに抱擁とユリウスとの接触が多かったカレンである。
それなりに耐性がついてきているのだろう。
易々と誤魔化されることなくカレンはユリウスにジト目を向けた。
つまりユリウスはカレンに正直に話す気はない、ということである。
「はあ……そうですか」
カレンはジト目のまま引き下がった。
ユリウスはほんのりと困ったような微笑みを浮かべながらも、やはり言うつもりはないらしく、口を噤んでいる。
「……私、昼食の支度にいくので、失礼します」
「ああ、また後で」
カレンは無言でユリウスをじとっと見つめると、その場を後にした。
「お二方は、ユリウス様が過去にお付き合いしていた女の話とか、ご存じですか?」
カレンがヴァルトリーデのための解毒のポーションを用意しながら訊ねると、ヴァルトリーデの遠征に同行し、今は昼食のカトラリーの準備をしている二人の侍女は顔を見合わせた。
「ユリウス様の? 私は存じませんわね。ヴァルトリーデ殿下と交際しているという噂が流れていたのは存じていましたが、それは偽りでしたので。イルムリンデは知っていらっしゃる?」
「私も知りません。エーレルトに滞在していた間も、特に聞いた覚えはありませんね。令嬢たちはユリウス様に憧れていましたが、あくまで高嶺の花でしたので、誰の物でもなかったかと思います」
長身の淡い鶯色の髪の長身の女性がドロテアで、桃色の髪の小柄な女性がイルムリンデだ。
ドロテアは伯爵家の娘で、イルムリンデは侯爵家の娘。
それぞれかなり高位の貴族の令嬢だが、カレンに一定の敬意を持ち接してくれる良い人たちである。
ドロテアはカレンを怖々と見やった。
「あの、ユリウス様との間に何かあったのかしら……カレン様?」
「目つきがおかしいですよ。大丈夫ですか?」
暗い目つきのカレンを心配までしてくれる、良い方々である。
「お二方はお付き合いしている殿方が、見知らぬ女性にしなだれかかられていたらどう思います? 殿方の方はふらついているところを支えただけだと言うんです。明らかにかつて何かあった雰囲気を醸し出しているのに、何もない、ただの知人だと言うんですけど」
「それは間違いなく浮気ですね」
「イルムリンデったら、直接的すぎますわ」
あわあわするドロテアときっぱり言い放つイルムリンデ。
カレンは深い深い溜め息を吐いた。
「過去に何かあっただけなら浮気ではないかと思いますわ。ねっ、カレン様」
「過去をとやかく言うつもりはありませんが、それを今付き合っている恋人に隠すってどう思います? こちらが聞いているのに、言わないって、どう思います??」
「使いかけの火の魔石がわずかな刺激で燃え上がるのはよくあることです」
焼けぼっくいに火が付いた的なことをイルムリンデがしみじみと言う。
カレンはメラメラと手鍋の中身に魔力をこめた。
家庭用の鉄の手鍋である。アダマンタイトの錬金釜は重すぎて持ち込めなかったので。
「わたしに付いてくるために所属を第一王女部隊に変えたって言っていたくせに……」
「ですが、カレン様もユリウス様を引き留めるためにどれほどの努力をされているのですか?」
「ど、努力?」
カレンがぎょっとイルムリンデを見ると、イルムリンデは料理を終えた下働きから毒見用の小皿を受け取り言った。
「貴族の令嬢として生まれた私は、幼い頃から嫁ぎ先が決まった暁には婚家のために生きるように教育を受けてきました。女も戦いますが、女が子を産む以上、やはり護国のために命をかける比重は殿方の方が重いものです。命をかけて戦う殿方を支えるためにも、私は婚家の教えに恭順し、殿方の意向にできる限り沿うつもりです。――ですがカレン様は、ユリウス様の意向にどれだけ沿えているでしょう?」
「も、もうっ、イルムリンデったら! カレン様は平民出身だし、錬金術師様なのですよ! 花嫁修業のためにヴァルトリーデ殿下にお仕えしている私たちとは違います!」
「もちろん、違っていてよいとは思いますが、貴族の令嬢とはこういうもので、貴族の令息たちはそんな令嬢を妻に迎えることを夢見て成長するものだということを、カレン様は知っておいた方がよいのではないでしょうか?」
イルムリンデは冷静に言って小皿を毒見し、「王女殿下はもう少し塩味が強い方がお好きです」と下働きたちに味の調整の指図をした。
カレンは解毒ポーションを完成させた格好で、石のように固まっていた。