王女の忠告
「まずは七階層の山麓の森まで降りたあと、周辺調査を開始するそうだ」
部隊長会議を終えて戻ってくると、ヴァルトリーデが今後の方針をカレンにも共有してくれた。
現在、カレンたちは一階層の草原に天幕を張り、ダンジョンに潜る前の最終確認をしている最中である。
「とりあえず七階層に降りる、って感じなんですねえ。わたし、はじめてそこまで深く潜りますよ」
「私は一階層すらはじめてだが?? ……ここに戻ってくる途中にも草原の茂みにスライムを見た。私はもう無理だ。辛い」
ヴァルトリーデはそう言って頭を抱えた。顔面蒼白である。
カレンは自分の比ではなく怯み切っているヴァルトリーデの姿に苦笑した。
神殿前広場でヴァルトリーデがユリウスと並んで現れた時には頭に血が上ったカレンだったが、思い返せばヴァルトリーデはユリウスの影に必死で隠れようとしていただけだった。
隠れるためにはユリウスの影の伸びる範囲内にいないといけないから、近かっただけ。
ヴァルトリーデにはユリウスに色目を使う余裕などかけらもないことはこの様子からして明らかである。
カレンは気持ちを落ちつけて、優しい眼差しでヴァルトリーデを見つめた。
「ヴァルトリーデ様は基本的に、馬車で移動しましょうね」
「ああ、そうする。そうさせてもらうぞ。私は目を閉じ、耳を塞いでいることとする」
そう言って、ヴァルトリーデは己の手のひらから伝わる血潮に耳を傾ける姿勢に入った。
まだ出発してもいないのに。
ダンジョン一階層はどこまでも広がる草原だ。
草原の向こうには森が見えるが、いくら歩いても森にはたどり着けない。森の向こうには山があるが、歩き続けても山にもたどり着けない。
草原を進んでいくと、やがてダンジョンに入った時と同じように黒い門がある。
それをくぐると先へ進めるようになっているのだ。
草原からも見える山の天辺が十階層だ。
感覚的には上に登るものの、概念的には下の階層に潜るという言い方をする。
十階層ごとに強い魔物が門番をしていて、人間が下の階層に行くのを阻んでいる。
アースフィル王都ダンジョンの十階層の番人はエルダートレント。
すごく大きな木の魔物だそうで、脅威ランクはCである。
今回のところは、カレンたちには関係ない――と言いたいところだが、鉢合う可能性はゼロではなかった。
「ダンジョン内の魔力が薄くなっていて、その原因はどこかで強力な魔物が生まれているせいかもしれないんでしたよね」
カレンは耳を塞ぐヴァルトリーデの手をぐいっと引っ張りながら訊ねた。
ヴァルトリーデは悲しげな表情で「うむ」とうなずいた。
「その上、浅層では本来現れないはずの深層の魔物が観測されているそうだ」
本来なら、魔物は階層を越えられない。
だが、越えることもある。
「大崩壊が起きかけている可能性もあるって話ですよね」
「王都ダンジョンは攻略され続けているゆえ、それはありえない、と冒険者たちは主張していたが……攻略が疎かだったのではと近衛騎士団が指摘をしたため、王国の治安維持を担う王国騎士団の者たちも気分を害し、会議の雰囲気は最悪であったぞ。おかげで私も気が紛れたが」
人間恐いが先行したため、魔物への恐さが若干紛れたらしい。
ヴァルトリーデはここへ来てからずっと半泣きである。
今回、ダンジョン調査隊の隊長を任されたのは第二王子ボロミアスだ。
ボロミアスは王国騎士団の団長で、今回、第一部隊と第五部隊を率いている。
だが、この調査隊の組織図において、王国騎士団よりも上に位置するのが近衛騎士団だ。
近衛騎士団は王族を守護する騎士団で、第二王子であるボロミアスに付き従っている。
この近衛騎士団と王国騎士団の仲の悪さは、カレンもライオス伝いに聞いたことがある。
ライオスに言わせるなら、近衛騎士団は、高貴な貴族のお坊ちゃまの騎士団ごっこの場だそうだ。
実力者は貴族も王国騎士団を目指すもの、という風潮があるとかないとか。
だが、身分的にも立場的にも、近衛騎士団の方が上なのである。
「今って非常事態だから、仲良くしろとは言わないですけど、足の引っ張り合いはないといいですねぇ」
「近衛騎士団を制御できるのは王族のみゆえ、ボロミアス兄上には頑張ってもらいたいものだな」
ヴァルトリーデも王族のはずだが、あまりに他人事である。
「そうだ、そなたに重要事項を伝えることを忘れていた」
「なんでしょう?」
「この調査隊には数多くの冒険者が同行している。会議に出席したような、冒険者ギルドから依頼を受けて冒険者の代表者をしている者たちとはわけが違う、本物の冒険者も数多くいるそうだ」
「頭のイカれちゃった人たちのことですね」
「あまりに直截な表現だが、そういうことだな。彼らを決して刺激するな、と兄上からのお達しだ。中にはAランクの魔物並に強い上に話の通じない者もいて、国家権力も通じないという。彼らともめ事を起こしたら、私でもそなたを庇えないかもしれぬゆえ、気をつけるように」
「お気づかいありがとうございます。それにしても、そんな人たちがよく調査隊に協力してくれることになりましたね?」
強い冒険者はとても気まぐれで、身勝手で、冒険者ギルドでも制御できないことがある。
冒険者が強くなるまでの間に絆を結んだ担当者たちがそれぞれに冒険者との関係を築いて手綱となってはいるものの、その絆だけではどうにもならないことも多いとは聞いている。
「――これは表では言うなと言われたことなのだが、どうも、高ランク冒険者が何人も行方不明になっているそうだ。しかも低階層でだ」
「それって、今回の異変に関係があるってことですか?」
「高ランク冒険者たちはそう考えて、我々に協力することにしたのだろう。少人数でいては高ランク冒険者でさえ危険なので、こうして調査隊を組むことになったのだ」
ヴァルトリーデはカレンを鋭い眼差しで見すえた。
「気を引き締めよ、カレン。今のダンジョンは一階層ですら危険な場所だ」
「かしこまりました、ヴァルトリーデ様」
カレンは真剣な表情でうなずいた。
何故かエンジンフルスロットル状態のユリウスに翻弄されて、色ぼけている場合ではないのである。
カレンが気を引き締め直してヴァルトリーデの天幕を出た。
天幕のすぐ外にはユリウスとユリウスにしなだれかかる水色の髪の女がいた。
カレンはヴァルトリーデからのあらゆる忠告を忘れて突撃した。