出発の日2
「わたしたちも、一緒にカレン様をお祝いをしてもいいですか……?」
「きみたち――ああ、もちろんだよ」
パーティーへの参加を希望し声をかけてきたのは、かつてのジークと同じように血筋の祝福に病む子たちだった。
ジークは自分よりも背丈の低い、だが年齢のそう変わらない子たちに向かってにっこりと笑って言った。
「カレン姉様が帰ってきたら、一緒に祝おう」
子どもたちがうなずいた。カレンが帰還するまで、必ずや血筋の祝福を耐え伸びて生き残るという、子どもたちなりの誓いだった。
後から子どもたちの親が近づいてきて、カレンに礼を取る。
「ご無事の帰還をお待ちしております、カレン殿」
「……必ず、無事に戻ってきます」
Cランクの錬金術師になるということは、自分ひとりの命ではなくなるということなのかもしれない。
カレンはこくりと息を呑みつつ、うなずいた。
その時、ザワッとあたりにざわめきが広がった。
ざわめきの大元は広場の中央にいる人々で、その中でも一番声が大きい人物が叫んだ。
「おい、エーレルトはあくまで王妃派の中で中立の立場でいるつもりではなかったのか!?」
叫んだのは第二王子ボロミアス。
何の話にせよ、カレンにも関わりがあるに決まっていた。
カレンは急いで彼らの視線の先を辿った。
そこにいたのは、ヴァルトリーデとその一行だった。
その中に、カレンがよく見知った人物がいて、カレンは大きく目を瞠った。
「ユリウス様……?」
「これまでのエーレルトによるヴァルトリーデの保護はあくまで母上と父上への献身だと捉えてきた。だが、復帰したヴァルトリーデの派閥に加わるというのなら話は変わってくるぞ!」
ボロミアスの怒鳴り声にも近い言葉が続く。
すると、広場から溢れ出ていたヴァルトリーデ一行が、脚光の中を中央に向かって進み出る。
その先頭にいるのはユリウスで、その側をヴァルトリーデが一歩下がってついていく。
その姿はまるで寄り添い合っているようで、見るからにお似合いで、カレンの胸がキリキリと痛んだ。
「お兄様……お久しぶりです」
「おまえになど用はない、ヴァルトリーデ。ユリウス、そなたはどういうつもりだ? エーレルトはヴァルトリーデの傘下に入るということか?」
「お久しぶりです、ボロミアス殿下。何か誤解があるようですので弁解させていただきたい」
ユリウスはにこやかな笑みを浮かべた。
「まず、私は個人としてこの場に立っており、エーレルト伯爵家は関係がありません」
「ふん。つまりエーレルトとは無関係に、そなたはヴァルトリーデのものになったということか? この私の勧誘を無碍にしておいて?」
「それも誤解です、ボロミアス殿下」
「何が誤解なのか説明してみるがいい」
傲慢な態度で促されてもユリウスは穏やかな笑みを浮かべ続けた。
穏やかを通り越して、むしろ艶めきすら感じられる。
その笑みに、ボロミアスも異様なものを覚えた様子で微妙にたじろいだ。
「さっさと説明せよ!」
「私はヴァルトリーデ殿下のものではなく、殿下が目をかけている錬金術師のものなのです」
まずくるっと振り返ったのはナタリアとサラである。
じっと見つめてくる二つのつぶらな瞳を前に、カレンはブンブン首を横に振る。
「知らない、知らない!」
「カレン、こちらに来てくれるかい?」
ユリウスが呼んだせいでその場のすべての人々の視線が集まり、カレンはギクシャクとした動きで致し方なく前に出た。
そんなカレンをボロミアスは毛筋ほども興味のなさそうな目で見下ろした。
「……ヴァルトリーデの駒だという、Eランクの錬金術師、だったか?」
ボロミアスが言うと、その傍らに控えていた同年代ぐらいの騎士たちがすかさず助言する。
「殿下、確かDランクであったかと」
「いえ、つい最近Cランクに昇級したそうです」
「おいっ! 情報が錯綜するにもほどがあるだろう! おまえ! 自ら名を名乗れ!」
臣下たちから情報を得るのを諦めたボロミアスが、カレンに向かって指を差す。
ヴァルトリーデとの初対面の時に覚えた礼を取り、カレンは名乗った。
「Cランク錬金術師のカレンと申します。お初にお目にかかります」
「上級錬金術師が、よりにもよって何故ヴァルトリーデにつく?」
「Eランクの時から目をかけていただき、Dランクに昇級させていただいたご恩があります」
「ふん! なるほどな。ヴァルトリーデ、おまえにしては見る目があったらしい」
「えへへ、それほどでも」
「褒めてはおらんからな?」
兄ボロミアスに睨まれて、すぐにしゅんとするヴァルトリーデ。こんなにも可愛らしい妹をよく嫌いになれるなとカレンは驚愕の眼差しをボロミアスに送った。
ボロミアスもまた、カレンを見やった。
視線が合うとボロミアスはひどく怪訝そうにカレンをまじまじと見つめた。
「ユリウス、おまえはどうしてこの女のものとなったんだ? 借金のカタか何かか?」
「お付き合いしております!!」
カレンが耳のピアスを見せつけながら抗議すると、ボロミアスは納得顔をする。
「なるほど、そういう口実で角を立てないようにしつつ、ヴァルトリーデに肩入れをするつもりなのか」
カレンがユリウスと付き合っている、の部分を丸ごと建前だと決め込んで、ボロミアスは明後日の解釈をする。
思わず威嚇しそうになるカレンをヴァルトリーデがどうどうと宥めた。
「何が目的だ? ヴァルトリーデを傀儡にして、エーレルトが権力を得るつもりか? そなたらがそのつもりならば、私も取るべき手段を取らねばならない」
「ボロミアス殿下、私はあくまでカレンと共にあるために精鋭部隊を外れさせていただき、ヴァルトリーデ様の部隊に移動することをお許しいただいたのです。口実などではありません」
「口では何とでも言えるからな」
「行動で示すこともできますよ」
ユリウスはそう言うが早いか、カレンを背後から抱きこんだ。
「ピッ!?」
「カレン、君が嫌だというのなら開放するが、もし嫌ではないなら少しこのままでいてもいいかい? 私たちの関係を信じないボロミアス殿下に、私たちの親しさを目に見える形で教えたいのだ」
「い、い、嫌ではありません……けど、でも、あの、そのぉ」
ユリウスの腕がカレンを抱きしめる。
軽く腕を撫でられて、カレンは真っ赤になりながらだくだくと冷や汗をかいた。
ユリウスはそんなカレンの頬を伝う汗を指先で拭い、顎先を撫でた。
軽く上向くように仕向けられたものの必死の抵抗で抗っていたカレンだったが、やがて頭に柔らかな感触を覚え、ピシリと固まった。
カレンが悲鳴すら飲みこんで上を見やると、間近にひどく色めいた表情を浮かべたユリウスの顔がありカレンはくらくらした。
「君が嫌がることはしない。だが、私たちは恋人なのだし君をこの上なく可愛らしく思っているのだから、髪への口づけは許してほしい。構わないね?」
階梯を昇った時の魔力酔いで自分が言った言葉が返ってきて、カレンは目眩を覚えた。
腰が砕けそうになっているカレンとそんなカレンを支えるユリウスを見ていたボロミアスが、渋い表情で言う。
「……どのような意図があるとしても、そこまで未婚の婦女を誑かしたからには責任を取れよ、ユリウス」
「かしこまりました、ボロミアス殿下」
カレンの頭上からひどく爽やかな返事が放たれると同時に、厚い胸板に抱きこまれる。
悲鳴も売り切れたカレンの視界の端にもボロミアスの辟易とした表情が見えた。そして、ボロミアスは去っていった。
ユリウスは彼を追い払うためにこういう態度を取っているのかもしれないと思うことで、カレンは何とか正気を保った。
「では、そろそろ行こうか。ヴァルトリーデ殿下の第一王女部隊はあちらに集まっているからね」
「は、はい――」
ユリウスに手を取られ、カレンが動揺を残しつつもついていこうとした時だった。
「カレン様っ!!」
いつの間にか、広場の中央近くまで入り込んできたハラルドがカレンを呼び止める。
それは、ひどく場違いな声かけだった。