出発の日
「ハラルド、ティムも、荷物を持ってくれてありがとう」
「いえ……」
ダンジョン調査隊出発の日。
ダンジョンの入口がある神殿広場の周辺には、大勢の人が詰めかけていた。
王族率いる騎士団や、貴族たち、高ランク冒険者たちがそれぞれの集団を形成して中央を占めているので、カレンたちは広場からあふれて大通りにまではみ出している。
ちなみに、ヴァルトリーデとその一行もまた大通りにはみ出していた。王族なのに。あとでカレンはその一行に合流予定である。
それにしても、気まずい出発だった。
ハラルドは毎晩泣いているようで目を腫らしているし、それを治すようにポーションを与えればそれはそれでハラルドが気にするので、カレンとティムは気づいていないふりをすることにしていた。
それでも、危険なダンジョンに潜る前ということで、カレンは最後にハラルドに言っておくことにした。
「ハラルド、元気出してよ。たとえポーションが作れなくっても、わたしはハラルドをずっと雇い続けるよ。それでもポーションを作れるようになりたいって言うのなら、応援もするよ」
「……ありがとうございます、カレン様。カレン様は僕を見捨てないのですね」
「師匠も別に、ハラルドを見捨てたわけじゃないと思うよ」
それよりも始末に悪いことに、ユルヤナの視界からほぼ完全にハラルドが消えているのである。
ユルヤナ自身、ハラルドから錬金術の力が消えてしまったことについて興味がないわけではないらしい。
それなのに、興味、感心が長持ちしない。
「エルフって、魔力が少ないものが視界に映りにくいのかも……」
サーモグラフィーならぬ、魔力グラフィーだ。
以前、イザークが雇った手品師が世界樹の葉を持っていたことにも気づいたし、視力だけでなく、魔力で世界を知覚しているようなので、かなりありえる。
これまでユルヤナがハラルドに多少なりとも興味関心を抱いていたことこそ異常事態だったのかもしれない。
そんなユルヤナもカレンのために見送りに来てくれているはずなのだが、有名人なだけあって大人気で、人に囲まれて姿が見えなくなっている。
「僕のために言葉を探していただく必要はありません。僕は、恩知らずな人間なのです……!」
「恩知らず?」
「身の程知らずにも、頑張れば僕も、ユルヤナ様の弟子にしていただけるのではないか、と、欲をかきました……! カレン様によくしていただいて、こうしているのに……ッ! カレン様に尽くすべきなのに、その役目を放り捨ててでも自分のために、ユルヤナ様の教えを受けたいと思ってしまっていたんです……!」
顔を覆うハラルドに、カレンは苦笑しながら背中を撫でた。
期待するのも無理はないし、もしもハラルドがここからガンガン無魔力素材のポーションを作り出すようになったら、本当にありえたかもしれない未来である。
「より大きな機会に恵まれればそちらに鞍替えしたいって思うのは、仕方ないんじゃないかなあ」
「前にカレンを振ったライオスのクソみたいに?」
ティムの指摘にハラルドがますます落ち込んだ。
同じ家で暮らし、毎日働いてくれていれば、身の上話くらいはする。
カレンの事情をすっかり承知しているハラルドは顔面蒼白である。
カレンは「汚い言葉を使うんじゃないの」とティムを指導しつつ、言われてみればアレもそういう話だったな、と苦笑いを深めた。
「カレン、サラさんが呼んでいるわよ」
「ナタリア! わかった! ……まあ、ハラルド、そんなに気にしなくていいからね」
「いや、そこは気にするべきだろ」
「ティム~?」
「イテテ」
ただでさえハラルドはどん底に沈んでいるのだから、刺激するようなことは言わないでほしい。
カレンはティムの大きな耳を軽く引っぱると、言った。
「じゃあ、いってくるね」
「おう、いってらっしゃい!」
「……いってらっしゃいませ、カレン様」
快活なティムと暗い面持ちのハラルドとの別れを済ませ、カレンはナタリアの方に向かっていった。
ナタリアもまた、カレンの見送りに来てくれている。
同行する錬金術師はカレンだけではないので、他のギルド員の姿も見える。
サラは、ユリウスを見送るエーレルト伯爵家の一員として中央近くにいた。
カレンは身分の高そうな人々の間をドキドキしながらすり抜けて近づいた。
ユリウスの姿はそこにはなかった。
キョロキョロと周囲を見廻していたカレンは、ひとまず胸を撫で下ろした。
「カレン様、お気をつけてくださいね。私も同行できれば命をかけてお守りしたのですが……」
「いやいや、命はかけないでもらいたいからね」
「カレンさん、当家からも人を出しますので、何か困ったことや足りない物資があれば頼ってくださいね」
「ありがとうございます、アリーセ様」
「しかし、ユリウスはどこにいるのやら……」
「父様、あちらの方に歩いていましたよ」
「何をやっているのやら」
カレンはヘルフリートの言葉にぎょっとし、ジークが指さした方角から身を隠すためにヘルフリートの影に身を潜めた。
「カレン、あなたって豪胆ねえ。よりによって隠れるところが伯爵様の影だなんて」
「どうして隠れる? ユリウスから隠れているのか?」
ヘルフリートはナタリアの言葉でカレンが隠れていると気づいたらしい。
カレンの行為を特に無礼と思った様子はなく、ただ不思議そうである。
カレンとユリウスの間に何があったか知らないのだろうか、と思っていたところに、アリーセがくすくすと笑って言う。
「カレンさんはユリウスと顔を合わせるのが恥ずかしいのでしょう」
「もしかして、ユリウス叔父様と口づけたから?」
「ああ、あのことか。確かに人前ですることではないだろうが、カレン、君が誘ったという証言もある。ユリウスの振る舞いは紳士的ではなかったかもしれないが、許される範囲であったと解釈しているのだが、もしや君を傷つけているのだろうか?」
「知れ渡ってるし誤解が発生しつつありますね……!?」
カレンは羞恥心におののきつつも、咳払いをして赤い顔でヘルフリートの言葉を否定した。
「ユリウス様は、悪くありません。ただわたしが羞恥の念に堪えないだけです……」
ユリウスは悪くはない、はずである。
だが、明らかに慌てふためくカレンに対して口づけを延長したことの意図は確かめたい気持ちもある。
だが、そんなことをするには面と向かって対話をしなければならない。
顔を合わせることさえ恥ずかしいこの状況で、口づけの意図など確認できるはずがない。
「カレン姉様が本当にぼくの姉様になる日が楽しみだなぁ」
「ジーク様ってお兄さんいましたっけ?」
カレンはジークの言葉の意図を百も承知で空とぼけた。
ジークはぷくっと可愛らしく頬を膨らませて見せる。
「もうっ、これからダンジョンへ向かう姉様を動揺させるわけにはいかないから、今日のところはこれぐらいで勘弁してあげるよ」
「助かりますねえ」
「帰ってきたら盛大なパーティーを開くからね。もちろん、姉様が主役の」
「えーっ」
「えーじゃないよ。姉様がすごい速度で昇級するから、お祝いが全然追いつかないんだよ?」
そういえば、Eランクの昇級祝いに手袋をくれたジークと、錬金工房をくれたエーレルト伯爵家である。
ジークの後ろで、ヘルフリートとアリーセもニッコニコだった。
「Dランクの昇級祝いに、Cランクの昇級祝いに、凱旋のお祝いも! 階梯を昇ったお祝いだってしなくっちゃ!」
「それはそれは、盛りだくさんで楽しみですね」
「楽しみにしててくれていいよ。ぼく、準備して待っているから。だから無事に帰ってきてね」
「わかりました」
カレンは微笑みながらうなずいた。
帰ってきたら盛大なお祝いパーティーをジークが用意して待ってくれているならば、何としてでも無事に帰ってこないといけないだろう。