ギルド員の心得2 ナタリア視点
当時のナタリアには謙虚さなどかけらもなかったし、正直すぎた。
生意気でも豪快な冒険者たちは気にしなかったし、ギルド員たちはそれぐらい気が強い方が冒険者ギルドのギルド員には向いているとナタリアを甘やかした。
貴族との答礼集は丸暗記していたが、同じ年頃の子たちと友好関係を築くにあたって言っていい言葉と悪い言葉の区別がついていなかった。
同年代の少年少女からしてみれば鼻につく存在だっただろうと、今のナタリアならわかる。
カレン以外にも、そんなナタリアに近づいてきた奇特な人物はいた。
いずれギルド員となることが内定しているナタリアを通じて、冒険者ギルドとのコネが欲しい人たちだ。
マリアンは特にナタリアにとってわかりやすかった。
商業ギルド所属の商会の中でも高ランクに位置する家に生まれたマリアンは、さも自分はナタリアと同じような境遇の同格の人間であるという態度で、ナタリアに近づいてきた。
冒険者ギルドのギルド員の両親を持ち、将来を嘱望されるナタリアに近づきコネを作ろうとしていた。
平民学校に入る前から、関わることになるだろうとナタリアとしても予測できていた人種だ。
本音を言えば、商業ギルドごときと冒険者ギルドを同格だと思われるだなんて業腹だと思いつつも、平民学校で関わる中ではマシな方だと思ってナタリアはマリアンとの交流を試みた。
話題の一つとして、ナタリアはマリアンにやがて冒険者になるかもしれない人々との和解方法について相談してみた。
だが、返ってきた彼女の言葉は何の参考にもならなかった。
取るに足らない人たちなんて放っておけばいいのだと、身の回りの物に手を出されるようなら法で対抗すればよいのだとマリアンは笑った。
だがそれは、ナタリアから言わせれば冒険者ギルド流のやり方ではなかった。
いかにも商業ギルド風の、商人らしいやり口だ。
冒険者ギルドのギルド員には冒険者のような力はなくとも、冒険者の心を動かすことができる別の力があるものなのだ。
マリアンと適切な距離を保つことにしたナタリアに、声をかけてきたのがカレンだった。
ナタリアは当初、カレンも冒険者ギルドとのコネが欲しいのだろうと思っていた。
だが、カレンは孤立しているナタリアを心配して声をかけてきただけだった。
声をかけてきた時のカレンはそもそもナタリアの出自すら知らなかった。
カレンの親が冒険者なこともあってか、ナタリアはすぐカレンと打ち解けた。
後から聞いた話、カレンも幼い頃から冒険者ギルドに出入りしていたらしいが、カレンが関わるのは低ランクの冒険者がほとんどで、ナタリアは両親が担当する高ランクの冒険者がほとんどで、すれ違っていたらしい。
ナタリアはカレンにも随分とたくさん失礼なことを言ったと思うが、カレンはそんなナタリアを面白がってくれた。
嫌がらせには一緒に怒り、お金を盗まれて昼食を抜こうとした時には美味しいお弁当を分けてくれた。
ナタリアが状況を変えたいと相談すれば、「変えたいって思ってたんだ!?」と驚いて、穏やかに改善点を教えてくれた。
ナタリアが変わらずともカレンは気にせず一緒にいてくれただろう。
そう信じられたからこそ、ナタリアは変わりたいと素直に思えた。
やがて変わったナタリアの人間関係はみるみる改善して、大勢の人がナタリアと親しくなろうと殺到した。
その中にはこれまでナタリアを遠巻きにしていた人もいたし、以前と変わらずナタリアの人格にかかわらず家柄目当てに近づいてきた人もいた。
大勢に囲まれるようになって、きっとカレンから見ればもう心配する必要がなくなったように見えたのだろう。
カレンは婚約者のこともあり忙しかったのもあって、ナタリアから離れていこうとしたけれど、そんなカレンをナタリアが追いかけた。
追いかけて、今度はナタリアがカレンを助けようと、うつらうつらしているカレンの代わりに授業のノートを取ったり、授業を休みがちのカレンに不快感を抱く教師との間を取りなしたりした。
やがてカレンの夢が錬金術師になった時、ギルドの仕組に詳しいナタリアには今後カレンを襲う様々な困難が予測できた。
気づいた時には両親に、冒険者ギルドではなく錬金術ギルドのギルド員になりたいと相談していた。
幸い両親は応援してくれて、両親のコネでナタリアは錬金術ギルドのギルド員になった。
冒険者ギルドとは違い、錬金術ギルドは針の筵だったが、辛いとは思わなかった。
ランプの火が揺らいで、ナタリアの物思いはふっとそこで途切れた。
いけない、とナタリアは首を振る。
ナタリアの手にあるのは、錬金術ギルドが発表予定の声明文だ。
カレンにとって少しも不利益が出ないよう、その推敲をしていたのに、いつの間にか思い出に耽っていたらしい。
顔をあげると錬金術ギルドの執務室は暗かった。すでに日は落ちて久しい。
だが、ぽつりぽつりと人はいる。
緊急事態に備えて常にギルド員が常駐するようになっているのだ。
「こんな文章を錬金術ギルドから出させるなんて、カレンって本当にすごいわ」
改めて声明文を読み直し、ナタリアはくすりと笑った。
ライオスに献身するカレンを止めるべきか、長らく悩んで止められなかった。
カレンに助けられるライオスの姿は、助けられた過去の自分の姿でもあったから。
助けられておいてカレンを捨てたライオスに、怒りを覚えるより先にそれが普通だろうと思ってしまった。
それでも、ナタリアはライオスのように振る舞おうとはまったく思わなかった。
「あの依頼を通して、本当によかった」
すべての始まりはエーレルトからの依頼。
足を踏み出すことを躊躇っているカレンが、そのままでもナタリアはずっと一緒にいようと思っていた。
けれどカレンが変わろうと、依頼を受けようとした。
ナタリアはそんなカレンの背中を思いっきり押すことにした。
案の定、カレンは泡を食っていたものの、結果的に物事はすべて良い方に動いていった。
「ナタリア、そろそろ帰るぞ」
「ガブさん、まだいたの?」
「それは俺の台詞だ。おまえを遅く帰らせると俺がどやされるんだからな。さっさと帰り支度をしろ」
「はぁい」
冒険者ギルドのギルド員として、母が担当していたAランクの冒険者パーティーのうちの一人。
ガブリエルが冒険者を引退後、第二の人生として錬金術ギルドのギルド員の道を選んだのはナタリアを気にかけてくれたことも理由の一つなのだろうと、ナタリアは心密かに自惚れている。
もちろん、それは担当する冒険者を家族のように支えてきた母に応えて、母の娘であるナタリアのことまで家族のように思ってくれているだけだろうけれども。
ナタリアも、母のように担当する錬金術師たちを家族のように支えられているだろうか。
カレンについては自信があるけれど、ギルド員として、他の人たちのこともきちんと支えられているのだろうか?
「ガブさんが送ってくれるなら歩いて帰りたいわ」
「うん? いいぞ。だが、一人の時は昼間でも馬車で帰れよ」
「はーい」
ナタリアは子どものように素直に返事した。今はまだ。
いずれ、両親のような立派な錬金術ギルドのギルド員になったなら。
それをいつか、ガブリエルに認めてもらえたなら――
「ふふっ」
「ご機嫌だな、ナタリア。担当してる錬金術師がCランクになったんだもんなあ」
見当違いの理由でナタリアの機嫌を見積もるガブリエルにナタリアはますます上機嫌に笑いながら、共に春の陽気が漂いはじめる夜の家路を歩いていった。