錬金術ギルドの厚意
「カレン、買い忘れはないかー?」
「んー。多分、大丈夫」
毎月十五の日には、王都の周辺の町から大勢の人が出てくる大市が開催される。
ダンジョン調査隊に加わるにあたって、カレンは買い物に来ていた。
ティムは荷物持ちである。
ティムは高魔力なだけあって力持ちなので、子どもだからと遠慮することなくカレンは荷物持ちを任せている。
「テントはヴァルトリーデ様と同じ場所を使わせてもらえるらしいし、寝袋の用意も必要ないから、必要なのは本当に身の回りのものだけだね。身一つさえ持ってきてくれればいいとは言われているけど、さすがにそういうわけにはいかないしね」
「おれもダンジョンの調査行ってみてー!」
ティムの目には勇者ご一行にでも見えているらしい。
カレンにとっては青天の霹靂だったが、いい機会だと思えてきた。
ダンジョンの浅層になら入ったことがある。深層にも、興味がないわけではなかった。
だが、そこはカレンのような戦えない人間が興味本位で赴いてよいような場所ではなかった。
身一つでそこに向かえば命を失うことになるだろう。
十分に準備をするとしたら、護衛を雇うことになるだろうが、興味本位のために護衛を危険にさらすことになるのも違う気がした。
錬金術の研究のために必要ならそうする意義もあるだろうけれど、研究のために必要なのかどうかすら、今のカレンには見当が付かない。
だが、カレンの意思とは関係なく、そこへ連れていってくれるというのである。
状況は不穏だが、ありがたく研究の糧にさせてもらうことにした。
「ただいまー」
「おかえりなさい、カレン!」
「アレ? ナタリア、どうしたの?」
「用があって来たのよ」
帰宅すると玄関に立っているナタリアがいて、カレンは目を丸くした。
「まだ就業中でしょ? いつもなら使いの子をよこすのに、直接来るなんて何かあったの?」
カレンの指摘にナタリアはにっこりと笑った。
「EランクやDランクの錬金術師ならともかく、Cランクの上級錬金術師様にご足労いただくことなんてできないわ」
「ってことは――応接室、じゃなくていいや。居間に入って!」
「うふふ」
カレンに押されて居間に入ったナタリアは、ソファに腰かけると鞄の中から丁重に小さな箱を取り出した。
螺鈿細工の施された美しい木箱だった。
「Cランクへの昇級おめでとう、カレン」
木箱を受け取って蓋を開く。中にはカレンがユルヤナから譲り受けた錬金釜と同じ材質である魔法金属、アダマンタイトで作られた漆黒のブローチがベルベットのクッションの上に鎮座していた。
「ありがとう……改めて試験を受けないといけないのかと思ってたけど、いいの?」
「ユルヤナ様がお認めになっているのに他の誰が確かめる必要があるというの?」
「わたし、弟子だし。贔屓の心配とか」
「あの方は錬金術においては決して妥協などしないお方よ」
「確かに、それもそうだね」
ユルヤナが錬金術に関して嘘をつくはずがないことを、錬金術ギルドの人々はカレンよりも一層身に染みて知っていそうである。
「Cランクに上がると色々と特典があるのよ。Dランクにもあったんだけれど、被るところが多いからそこはサクッと飛ばすわね」
「えへへ」
「まず、Cランクからは論文の閲覧制限が解除されるわ。とはいえ、論文の著者がそれぞれ設けている条件を達成しないと読ませてもらえないことはあるわ。大抵はお金で解決できるわよ」
他には錬金術ギルドでの稀少な魔力素材や魔道具の購入の解禁。
Dランクから購入は解禁されているらしいが、Cランクからは購入制限が解除されるらしい。
他には年に一度の王国博覧会での錬金術ギルド部門への出品が可能になったり、アースフィル王国主催の大オークションに参加できるようになったり、様々な場所で貴族と同等の待遇が受けられるという。
ナタリアは一通り説明してくれたものの、中盤あたりからカレンは目を白黒させていった。
「忘れそうになったらこの冊子を読むといいわ」
「特典、盛りだくさんですごいねえ」
「上級錬金術師だもの。誰もがなれるわけじゃないわ。たとえどれほど魔力が多くても、Dランクになったっきりそれ以上昇級できないことなんてざらにある。あなたは今や、どこの国でも引っ張りだこの存在になったのよ」
「あんまり実感がないなぁ」
「じゃあ、さっそく実感が湧くような提案をしてあげるわ」
提案? と首を傾げるカレンの前に、ナタリアはすっと紙を一枚差し出した。
「来月の五日のギルド間集会の場にて、錬金術ギルドから発表予定の声明よ。あなたに確認してもらって、問題なければ発表させてもらうわ。その時、あなたはもうダンジョン調査隊と一緒に出発しているでしょうけれど」
ナタリアが差し出してきた紙に書かれた内容を見て、カレンは目を瞠った。
「……グーベルト商会への抗議? どうして錬金術ギルドがこんなことをしてくれるの? 師匠へのご機嫌伺いなら、あんまり意味はないと思うけど」
ユルヤナはカレンを気に懸けてくれはするものの、カレンの主義や主張にはまるで興味がないのだ。
「あなたへのご機嫌伺いよ、カレン。何度も言うけれど、あなたはCランクの錬金術師なんだから」
ナタリアに言われて改めてカレンは文面を見つめた。
グーベルト商会とのいざこざで、Cランクの錬金術師の家が放火されたことへの抗議文だ。
「放火された時にはまだEランク錬金術師だったけどね」
「でも今はもうCランクよ。Cランクの錬金術師の家が、たかだかBランクの商会ごときとのもめ事で燃やされるだなんてあってはいけないの」
「たかだか? Bランクなら、Cランクのわたしより上なんじゃないの?」
「商業ギルドは冒険者ギルドや錬金術ギルドに比べれば格が落ちるの」
ナタリアは真っ赤な唇に笑みを佩く。
ちょっとばかり毒々しい、昔のナタリアを思わせる笑みである。
ナタリアは冒険者ギルドで働くギルド員の両親を持ったエリート家系の生まれで、生まれながらに冒険者ギルドのギルド員になることが約束されていたこともあってか、昔は選民意識の強いところがあった。
いつの間にか丸くなっていたし、気づいたら冒険者ギルドではなく錬金術ギルドのギルド員になっていた。
そんなナタリアが久しぶりに毒気を含んだ笑みを浮かべて言う。
「女神に許されてCランクに上がる冒険者や錬金術師とは違うわ。商業ギルドで昇級するには、女神の許しなんて必要ない。商業ギルドって、冒険者ギルドや錬金術ギルドのまねをしているだけなのよね。Bランクが聞いて呆れるわ」
「ナタリア~、お手柔らかにね?」
「外では言わないわよ」
ナタリアはカレンにウィンクする。
平民学校では影で家のことをヒソヒソ言う他の子に面と向かって『あなたたちがFランク家系だからひがんでるの?』と言い放っていた頃と比べれば丸くなったと言っていい。
最初はマリアンと気が合いそうだと思っていたけれど、気づいたらいつもカレンと一緒にいてくれた。
「ともかく、商業ギルドのBランクごときがCランクの錬金術師の邪魔をするな、ということよ」
「喧嘩になっちゃわない?」
「錬金術ギルドで買っておくから、カレンは心置きなく研究に邁進していいのよ」
錬金術ギルドというよりナタリアが喧嘩を請け負いそうな雰囲気である。
「それは頼もしいね」
カレンはくすくすと笑うと、息を吐いた。
「……いよいよ、今更謝られてもって感じになってきたけど、仕方ないか」
元はといえばグーベルト商会が仕掛けてきたことだ。
ダンジョンに向かわなければならないカレンがあとに残して行く者たちを守るためにも、カレンはありがたく錬金術ギルドの厚意を受け入れることにした。