手のひら返し
「ハラルド、今日までの私の無礼をどうぞ許してください。これからは、私と打ち解けて錬金術について夜通し語り合いませんか?」
「えっと……」
「え、何? 何何何何何何? なんでそういう話になってんの!?」
昼食の時間になって起きてきたユルヤナからの謝罪にエプロン姿で戸惑うハラルドを見て、ティムはびっくり顔である。
ハラルドはごくりと息を呑むと、こくりとうなずいた。
「わ、わかりました」
「ハラルド、そんなに簡単に許さなくっていいんだよ? 師匠、結構ひどいこと言っていたよね?」
「そんなつれないこと言わないでくださいよぉ、カレンさぁん」
カレンが机に皿を並べながらハラルドに助言すると、ユルヤナが情けない声を出した。
「もっときちっと、師匠はハラルドにお詫びするべきだと思います!」
「ではハラルド、何か欲しいものができたら言うといいですよ。私は私には作れないポーションを作ることのできる方には敬意を表する用意がありますからね。あなたが私を許すに足るだけのものを贈りましょう」
「いえ、僕はそういった扱いに慣れていますので、許す許さないもありません。どうかお気になさらず。たった一つポーションを作れるようになっただけの僕に、Sランク錬金術師であるユルヤナ様からそのように言っていただけただけで、光栄です」
ハラルドは本気で光栄に思っているようで、胸いっぱいの顔をしていた。
カレンは眉をハの字にした。
「えぇー、そんなこと言わないでよぉ」
「カレン様がお気になさるようなことではないんですよ、本当に」
「おまえ、ポーション作れるようになったのか?」
話の流れで理解したようで、ティムが目をまん丸にする。
ハラルドは緊張した面持ちになる。
何をティムから言われてもいいように身構えているのがありありとわかる深呼吸を挟んだ後、ハラルドはうなずいた。
「ああ……一応、昨日作れるとわかった。今朝も、作れた」
「おまえ、すげーじゃん!!」
ティムはてらいなく目を輝かせた。
ハラルドは面映ゆそうに笑いかけたものの仏頂面を取りつくろうと「魔力量ランクが上がったわけでもないけどな」と照れ隠しに吐き捨てた。
ユルヤナは椅子に座ると昼食を当たり前に享受する態勢で溜息を吐いた。
「はぁ、私、かつては人間を馬鹿にしていたんですよねえ。だけど私の何分の一も生きていない人間が次々と新しい発見をしていくのを見て、私、考え方を改めることにしたんです。それが三百歳ぐらいの頃のことで……私、またあの時と同じ過ちをしていたのかもしれませんねえ」
「魔力が少ないからって人をぞんざいに扱っちゃダメ、って思ってくれました?」
「はい。魔力が極小の方もまた、新発見の可能性を持っているものなんですねえ」
可能性のあるなしの話ではないものの、ユルヤナにしては前進である。
そう思うことにして、カレンはオムレツサンドにプスリと自分で作った旗を立てた。
「よく来たわね、カレン! Dランクへの昇級、会議で無事にもぎ取ってきたわよ!」
カレンが錬金術ギルドを訪れると、ナタリアが勢いよく出迎えてくれた。
「すごい! 一日で!?」
「あなたが早くDランクに昇級したいと言うんだもの。昨日の終業後の会議では大演説をぶちかましたわよ!」
ナタリアはカレンの腕を引いてカウンターまで連れてくると、新しいブローチと冊子の載った銀のトレーをカレンの前に差し出した。
「これでカレンは晴れてDランクの錬金術師よ」
「ありがとう、ナタリア」
「おめでとう、カレン」
よく見れば、ナタリアは少々顔色が悪い。
カレンはお礼を言って銀色のブローチを手に取りつつ、若干申し訳ない気持ちになった。
恐らくは階梯を昇ったために、カレンは中回復ポーションを作れるようになった。
だから、ナタリアが無理を通さずとも、Dランクを飛び越えてもうCランクになれてしまうのである。
「ところで、今日はどうしたのかしら?」
「えっとねえ」
美しい銀製のブローチには己を喰らう蛇の模様。
ウロボロスのマークをなぞりつつ、なんと切り出そうかとカレンが口ごもっていると、ナタリアの背後からぬっと忍び寄る影があった。
「おまえがユルヤナ殿の弟子の、カレン、だったな」
「あなたは……副ギルド長?」
「いかにも。俺は錬金術ギルドの副ギルド長、ガブリエルだ」
Aランク錬金術師にして副ギルド長のガブリエル。
長年、冒険者兼錬金術師として戦ってきた戦闘系の錬金術師だ。
四十歳を越えて冒険者を引退したあとは、冒険者として所属していたパーティーがAランクだったこともあり、錬金術師としては異例の飛び級でAランクになり、後に副ギルド長に推薦されたと聞いたことがある。
若い頃はイケメンだった片鱗があるが、今は無精髭を生やしたおじさんである。
熊のような体格で、錬金術師にはまったく見えない。
険しい表情を浮かべているため威圧感が凄まじい。
「カレン、おまえがDランクに昇級するために、うちのナタリアはかなりの数の敵を作った」
「ガブさん!? そんなこと、カレンに言わなくたって――」
「いいや、言っておくべきだぞ、ナタリア。おまえはこの子のことになると昔から熱くなりすぎる。彼女はこうして頭角を現してきたからそれが悪いことではなかったと今では評価も見直されているが、昨日はその再評価も台無しにしかねなかった」
「あの、どういうことですか?」
問い質すカレンに、ナタリアは止めたそうにしていた。
だが、ガブリエルの言葉を止めることができずに手をこまねいていた。
「どうしておまえが七年もFランク錬金術師でいられたと思う? カレン。普通、才能がないと断じられてどこかでやめさせられている」
「え? あの、ポーションを作り続けていれば所属は可能って聞きました」
「規則ではそうなってはいるが、おまえの担当をしているギルドの担当者――つまりナタリアの成績はおまえのせいで落ち込み続けることになる。そうならないよう、Eランクにも上がれない錬金術師もどきは、どこかしらで足切りするのが普通だ。才能がない分野にしがみつき続けるより、本人の将来にとってもその方がいいからな」
「ナタリア、わたしのせいでギルドの成績が悪かったの……?」
「私は優秀だから、他の仕事で挽回していたわ。だからあなたが気にする必要はないのよ、カレン」
ナタリアはそう言うが、ガブリエルは別の考えを持っているようで首を横に振った。
「ナタリアは昨日、おまえをDランクの錬金術師にするために、すべてを賭けると会議の場で誓ったんだぞ」
「すべてを賭ける……?」
「おまえはすぐにでもCランクに上がるだろうとナタリアは予言した。この予言を違えることになれば自分のすべての地位を失っても惜しくないとまで言い切った。その上で、おまえの才能を見抜けずに、Dランクの昇級を認めないままでいれば、王都の錬金術ギルドは目が節穴の大間抜けの集まりだと嘲弄の的になるだろうと俺たちを煽りやがった。明らかに気分を害したヤツらが大勢いたが、ナタリアの誓いに免じておまえはDランクに昇級したんだ」
「ああ、もう……」
ナタリアが頭を抱える。
ガブリエルが言わなければ、無理を通したことをカレンに隠しておくつもりだったらしい。
「もしもおまえがナタリアの予言を叶えなければ、ナタリアは文字通りすべてを失うことになるだろう。俺は庇うが、所詮は外様の俺の影響力は、副ギルド長って立場のわりに弱くてな。正当な手順ってやつを踏んでギルドの上役にまでのし上がってきたお歴々は、手順を飛ばしたナタリアを不快に思ってる。だからな、カレン――ナタリアを失望させるなよ?」
できるだけ早くDランクに昇級したい。
そんなカレンの願いを叶えるため、ナタリアは本当に戦ってくれたのだ。
今回だけじゃなく、これまでも、ずっとカレンの知らないところで戦ってくれていたのだろう。
カレンがFランクの錬金術師でいられたことすら、ナタリアのおかげだったのだ。
「ありがとう、ナタリア。……いつもいつも、迷惑をかけてごめん。わたしのことを思って言ってくれている言葉を、全部聞けなくてごめんね」
「謝らないで。私は助言はするけれど、あなたの未来に関することの最終的な決定権はいつだって、あなた自身が持っているんだから、私の言葉を唯々諾々と聞く必要なんてないの。当然でしょう?」
そう言って、ナタリアはくすりと笑った。
「それにね、カレン。グーベルト商会でのあなたの啖呵、かっこよかったわよ……私の忠告なんて丸無視だったけれどね」
カレンはへらりと苦笑した。
「……ごめん」
「謝るんじゃなくて、感謝の言葉が聞きたいわ。あなたの偉業に私も一枚噛んでいるんだって思わせてちょうだい、カレン」
「もっちろん、わたしがSランクの錬金術師になった暁には、一番の功労者はナタリアだよ!」
ナタリアがいるから、カレンは一歩を踏み出せた。
酔いに任せた勢いで前に進んだカレンの退路を塞いだのは、紛れもなくナタリアである。
カレンの言葉にナタリアはコロコロと笑った。
「なんて光栄なのかしら。その言葉だけで十分すぎるほど、十分だわ」
破顔するナタリアに、カレンも笑み崩れた。