変わる者たち
「おまえのポーションは効果があった。間違いなく母には効いていた。俺にも、効いていたのかもしれない。弱っていく母を見てそう思った」
ライオスは遠い目をして言った。
「それがわかっていたならどうしてわたしを呼ばなかったの?」
「おまえを? 俺がその献身を無駄だとして切り捨てたというのにか?」
「まさか、意地のためにフリーダさんを犠牲にしたわけ?」
「どうして俺の母親のことでおまえに睨まれないといけないんだ」
ライオスは、怒らなかった。
母親を犠牲にしたのかと問われれば、いつものライオスなら激怒していただろうに。
その変化に、カレンは開きかけていた口を噤んだ。
ライオスは溜息を吐いて言った。
「……俺はおまえに頭を下げようかとも思った。だが、母が拒んだ。おまえにこれ以上申し訳ないことはしないと誓った。おまえの活躍は俺たちのところまで聞こえていた。だから、その邪魔には決してなりたくないと言っていた。……おまえも、自分にとっては娘のような存在だから、と」
「フリーダさん……」
カレンが涙ぐむと、そんなカレンをライオスはせせら笑った。
「馬鹿だな、おまえは。娘だなんて言えば聞こえはいいが、母にとっておまえなんぞ、実の息子の俺の栄光のためなら捨てられる程度の存在だ。そんなあの人のために、おまえが泣くな」
「それはそうだけど……」
「おまえは決して自分を責めるなよ、カレン。母もそれを心配していたし、俺も馬鹿げていると思う。あの人の死に関しておまえは何一つ気にするな。一応、俺は息子として親の末期の願いを叶えるために伝えたが、おまえは何も受け取らなくていい。おまえは実際娘でも何でもない、赤の他人だ」
突き放す言葉なのに、婚約破棄を告げられた時とは違った響きがあった。
「おまえは甘ったるい人間だから、あらかじめ言っておく」
妙な温かみすら感じたカレンがみるみるうちに目に涙をためていくのを見て、ライオスは眉間にしわを寄せた。
「あー、それでだな……はあ」
ひどく葛藤した様子で言葉を選んだあと、ライオスは溜息のように続けた。
「……俺が母に騎士になる姿を見せられたのは、おまえのおかげだ、と思っている。だからおまえには、礼を言う」
「ライオス、頭打った??」
涙が引っ込んだカレンがぽかんとして言うと、ライオスはくわっと目を見開いた。
「おまえは人が真剣に礼を言っているのに、茶化すな!」
「茶化してないよ! こっちも真剣な困惑だよ!!」
カレンの抗議を受けて、ライオスは苦い笑みを浮かべた。
「……これしきの感謝の言葉さえそこまで意外に思われるような人間だったのか、俺は」
「そうだよ? お礼を言われたことなんてこれまでないよ??」
「おまえはたまに容赦がないな」
「……ねえ、ライオス、本当に大丈夫?」
フリーダが亡くなったことがよほどこたえたのだろうか。
ライオスはしばらく見ない間にあまりにも変わり果てていた。
「フリーダさんが亡くなったのが辛すぎて、ちょっとおかしくなってない?」
決別したとはいえ、幼馴染みだ。
このまま一人にしておいて大丈夫だろうかと手を伸ばしかけたカレンから、ライオスは自然な動作で距離を取った。
「なっていない。俺も、仕事を通して変わったんだ……以前とは変わった自覚もある」
「お仕事? 王国騎士の?」
「そうだ。王国騎士は冬になると各地のダンジョンに遠征に行き、そこでダンジョン攻略に参加することは知っているだろう?」
「うん。人気のない狩猟祭に参加することもあるんだよね」
魔物を倒し続けないといけない世界だ。
たとえ領地の領主に力がなく、地元の騎士団を養成できず冒険者を招聘できなくとも、最低限はダンジョンの魔物を間引きできるよう、領主からの要請があれば国が騎士団を派遣してくれる。
「まあ、大変な仕事だからな。俺も我が身を省みることが多くなった」
「ライオスが我が身を省みる、かあ。よっぽど大変なお仕事なんだねえ」
しみじみと言うカレンにイラついた顔をしたライオスに、カレンは内心安堵した。
根本的な性格は変わっていないらしい。
そこまで変わるほどに傷ついてしまっているわけではないらしい。
「……気をつけろよ、カレン」
「うん?」
「おまえは甘い女だから、俺と母が命を盾に頼み込めば、きっと助けずにはいられなかったろう。断れなかったろう。たとえ無報酬でも、おまえは母を見捨てられなかっただろう――おまえがそういう人間だと、いずれ世間に知れ渡る。おまえが上を目指すなら、縋りついてくる者たちを振り払う冷酷さを身につけろ」
「そ、それは……」
「と、おまえに言ったところで無駄だろうな。だから、あなたがカレンの防波堤になってやってくれ」
そう言って、ライオスはカレンの肩越しにカレンの背後を見上げた。
その瞬間、カレンは背後から伸びてきた腕に抱きしめられた。
「君に言われずともそのつもりだ」
「ヒエッ、ゆ、ユリウス様……!?」
カレンはとっさに逃げ出そうとしたものの、ユリウスの腕はビクともしなかった。
「カレンの元婚約者である俺にあなたも思うところがおありだろうが、俺も王国騎士団の一員としてダンジョン調査に参加予定なので、ダンジョンではよしなに頼みたい、ユリウス殿」
「君がカレンを手放してくれたおかげで私はすべてを手に入れた。君には礼をしないといけないと思っていたぐらいだよ、ライオス。子ども時代におままごとのような婚約をしていたからといって、思うところなどありはしないさ」
「……実際に、その女とは何もなかったので」
ライオスは嫌そうに言うとユリウスの腕の中で顔を真っ赤にしてジタバタしているカレンを睨みつけた。
「おまえのせいでこの男に睨まれるのはひどく理不尽に思えるんだが!?」
「睨んでいるつもりはないが私の不興を買いたくないのであれば、私の恋人に対する態度を改めてもらいたいかな」
「……善処いたします。これにて失礼いたします」
ライオスは食いしばった歯の間からそう言うと、サッと身を翻して去っていった。
カレンもどさくさに紛れて去ろうとしたが、ユリウスががっちり掴んで離さない。
「逃がさないは私の台詞だよ、カレン」
先程カレンが酔っ払って言った言葉のことを言っているのだろう。
たちの悪いことに魔力酔いの間の記憶は酒と違って鮮明である。
「私は君を決して逃がさないし、そのために遠慮もやめることにした」
「え、遠慮とは一体?」
カレンがユリウスを見上げて訊ねるも、ユリウスはにっこり笑って応えない。
「覚悟しておくといいよ、カレン」
代わりに何らかの宣告を受けたカレンはごくりと息を呑んだ。