炎上
「これを君に伝える前に、これは決してグーベルト商会の差し金ではないと、グーベルトの名にかけて誓わせてもらいたい」
「……何があったんですか?」
「君の家が火事になっているそうだ――今暮らしている錬金工房ではない。以前暮らしていた、君の実家だ」
時折掃除に訪れるだけで、長らく火を使っていない家で失火が起きるわけがない。
「火付け――! 失礼します!!」
「消火のために魔法使いを派遣する! グーベルト商会の仕業などと思われては敵わないのでな!」
「ありがとうございます! 冒険者街のアパートなんで! 魔法使いは大勢いるので貴重な治癒術師の派遣をお願いしたいです!!」
「肝の太い小娘が! さっさと向かえ!」
追い払われて、カレンは店を飛び出した。
もくもくと火の手があがる火事の発生元から逃げようとしてか道は馬車で渋滞していて、カレンは走ることを選んだ。
駆け出そうとしたカレンをナタリアは引き留めた。
「カレン! 行ってどうするのよ!? ポーションを配りたいなら、一度錬金工房に戻った方がいいんじゃない?」
「そうだね、ナタリアはうちの回復ポーションの備蓄を持ってきてくれない? 在庫、全部持ってきて! 昇級試験の時に練習で作りまくったのがまだ残ってるから」
「あなたはどうするの!?」
カレンは答える代わりにナタリアに手を振った。
ナタリアはしばらく足踏みしていたが、やがて振り切るようにグーベルト商会を挟んで正反対の方角にある、カレンの錬金工房に駆けていった。
「おばさん! 怪我人はいる?」
カレンは隣の家の夫妻を見つけてほっと息を吐いた。
日中だから仕事に出ているだろうとは思ったものの、万が一家にいて火事に巻き込まれていたらと思うと気が気じゃなかった。
「――大丈夫よ! 少し火傷している人はいるけれど、みんな避難しているはずよ」
カレンの名前を呼びかけて口を噤んだおばさんは朗らかな笑みを浮かべた。
見上げればアパートの出火場所は明らかにカレンの家だった。
五階の角部屋から、一際黒い煙がもくもくと吐き出されている。
そこから更に火が広がって、五階が燃え、それ以外の階の窓からも煙があふれている。
この火災の原因はどう考えてもカレンだとわかっているだろうに、責めようとしないおばさんに、カレンはきゅっと口を噤んだ。
「迷惑かけてごめんなさい。あとで弁償はするから」
「気にしないでいいのよ。火事なんてよくあることじゃない」
それは確かにそうではあった。
この世界、魔法があって、才能がある子どもが火系の魔法を暴発させて起こる火災や、魔石の誤使用、魔道具の暴走など、色々な原因で火災が発生する。
「だけど、どうしてまだ消火できてないの?」
「トレントの実の油が撒かれているみたいよ。そこに、魔石も加わっているみたい」
「あの天然の火炎瓶か……」
トレントという木の魔物は、枝を鞭のようにしならせて冒険者を殺害しようとする他、木の実をぶつけようとしてくる。
この油が取れる木の実は、冒険者に着弾すると天然の火炎瓶のごとく燃え上がる。
たとえ水を浴びようとも、トレントの木の実の油に宿る魔力が尽きるまでは転げ回っても水の中に飛び込んでも燃え続けるのだ。
天然の、凶悪な火炎瓶。前世で言うところのナパーム弾のようなものだ。
トレントの油が食用油として市場に出回る時には、この危険な魔法性質を消すために混ぜ物をすることが義務付けられている。
とはいえ、前世の印象ほど凶悪でもない。
魔力で身を守れれば、火はそこまでの脅威ではない。
対抗策は魔力で身を火傷から守りつつ、魔力をこめた水を浴びて魔力の宿る炎を相殺すること。
とはいえ、体の表面を魔力で守ることができても、炎からあがる煙を吸い込んで亡くなる人も大勢いる。
気道には魔力をまとえずに焼け爛れてしまったり、内臓まで魔力でおおえても、一酸化中毒はどうにもならないらしい。
体は綺麗なまま死んでしまうということがある。
「今、近所の魔法使いたちが水魔法を打ち込んで消火してくれているわ」
現場に向かおうとしたカレンを、おばさんが引き留めた。
「ここにいなさい。地元の人たちはみんなあなたが悪い子じゃないってわかってる。誰にでも親切な、とってもいい子だってね。だけど、そうじゃない人もいるわ。最近、ダンジョンの様子がおかしいからって、あちこちから冒険者が集まって来てるでしょう? あなたを悪く言うのはそういう余所者たちなのよ」
「……このあたりの人がやったわけじゃないの?」
しばらく空けておく家に、燃えやすいトレントの油や魔石を放置しておくわけがない。
誰かがカレンの家にトレントの油を撒いて、火を付けた。
しかもすぐに火が消されないよう、トレント油の魔力を保持するために火の魔石まで一緒に撒いた。
ここがカレンの家だと調べられるような人間なら、カレンが家にいないことは知っていただろう。
それでも向けられた悪意にカレンはぶるりと震えた。
「もちろん違うわ。私、お昼を食べに一回家に戻ってきたのよ。家を出て、階段を降りる時に見慣れない男たちとすれ違ったわ。あいつらがやったのよ。帽子を目深にかぶっていたけど、あたしは背が低いですからね。傲慢そうな顔が見えたわ。若い男で――」
「そのこと、誰にも言わないでね」
思い当たる節がある気はしたものの、オイゲンはグーベルト商会の名にかけて関わりはないと誓っていたので、思い当たる節が当たっていたとしても単独犯なのだろう。
「そっか。このあたりの人がやったんじゃないなら、よかった」
「そんなわけないじゃない。みんな、あなたのことが大好きなのよ。だから……」
カレンは息を吐くと、おばさんに微笑んだ。
「心配してくれてありがとう。でも、わたしの責任だから、わたしは行くね」
アパートに近づいていく。近所の魔法使いたちが総出で水魔法をぶつけまくってくれている。
おかげで延焼はせずに済んでいるものの、カレンの家の火だけが中々消えない。
そして、延焼はしないがあがる煙をかき消すことはできず、特に五階は灼熱の煙が充満しているようだった。
不利益をこうむることはわかっていたものの、こうして他人にまで迷惑をかけたくはなかった。
だけど、誰にも迷惑をかけたくないから黙っていればよかったとは思わない。
それでは何も変わらないまま終わるだけだろうから――
「中に入れてくれ! うちの夫がまだ中にいるんだ!!」
「もう諦めろ! 火がなくても、煙が危ない。おまえまで道連れになる気か!?」
「そうだ! 動けなくて寝たきりなんだから、仕方ない。いい機会だろう!」
「何がいい機会だ!? 見捨てるいい機会だってのかい!?」
顔を真っ赤にして怒鳴る桃色の髪の筋肉質な女性と、彼女を止める男たち。
冒険者の風体をしていて、今帰ってきたという様子だった。
カレンは彼女たちに近づいた。
「あなたの夫がまだ中にいるんですか?」
「おれたちのことは放っておいてくれ」
「そうだ! あたしの夫がまだ中にいる! 動けないんだ!!」
この女性をカレンは見たことがない。ということは、昔からいた人ではない。
最近引っ越してきたんだろう。
「何階の部屋ですか? もしかして七階の階段をあがって二番目の部屋?」
「そうだよ……なんでわかるんだい?」
女性はやっとカレンの様子に気づいたような目をしてカレンを見下ろした。
あちらも、カレンに見覚えはないらしい。
「そこには長らく冒険者だったおじいちゃんがひとりで暮らしていたから――空くならそこだろうなって。いつの間に、亡くなっちゃったんですね」
カレンは呟くように言いながら女性たちから離れた。
アパートに近づくカレンを、また別の男たちが止めた。町の憲兵だった。
「危険だから中に入るのはやめておけ」
「わたしはカレン。今まさに燃やされているあの部屋の住人で、この火災を引き起こした原因である、Eランクの錬金術師です」
「――あの、Eランクの錬金術師か?」
憲兵たちはカレンを見る目を変えた。
話題の渦中の人物を見る好奇心に満ちた目だった。
「どの、か知りませんが、そうです。中に取り残されている人を助けに行かせてください。これは、わたしの責任ですから」
「だが――」
顔を見合わせる憲兵たちだったが、カレンの背後から声があがった。
「確かにあんたの責任だ! 助けに行け! あんたが悪いんだから!」
「そうだ! Eランクの錬金術師なら死んだって構わないだろう!!」
「なんてことを言うんだ、あんたたち!?」
「おまえはCランクの冒険者だぞ! おまえとは命の価値が違うんだ!」
「アーロンはあの女に助けに行かせればいい」
見知らぬ冒険者の男たちの声を受けて、カレンの燃えさかる部屋に水魔法を打ち込んでいた魔法使いのひとりが手を止めて怒鳴った。
「おまえら、ぶっ飛ばすぞ! この子だって火を付けられた被害者なんだぞ!!」
同じアパートの三階に住む魔法使いのお兄さんだ。
もちろん、幼い頃からの顔見知りだ。
「グーベルト商会に盾突くのが悪い! 足を引っぱりやがって!」
「カレンに言うことを聞かせようと、カレンのとこで働く子どもを殺して脅そうとしたっていうグーベルト商会が悪いだろうが!」
「そうだ!!」
上がった声の多さ、大きさに、カレンは息を呑んだ。
カレンの味方に付く声が、カレンの思っている以上に多かった。
グーベルト商会とトラブルを起こしたカレンのせいでアパートから焼け出された人のほとんどが、カレンのために声をあげてくれていた。