声明発表2
「私は君に礼を言われるようなことをしただろうか? 覚えがない」
本当に覚えがないのだとありありとわかる、困惑のにじんだ口調である。
得体の知れない巨大な存在に見えていたオイゲンが人並みに見え、そういえばマリアンの父親だったことも思いだし、カレンは思わずくすりと笑った。
「発表された声明文を拝見しました。わたしの望んだ謝罪ではありませんでしたが、わたしの意見を一切の誇張なく、不当な改変をすることもなく、そのまま発表していただいたことにはお礼を申し上げたいです」
「何故? 意図したことではないが、我々が事実を発表したことでカレン殿は今困った立場に置かれているように見受けられるが?」
オイゲンはこの声明を発表することでカレンが困って泣きついてくることを狙っていたのだろう。
ナタリアが焦っている様子を見るに、状況が良くないのだろうということはカレンも感じる。
だが、グーベルト商会が発表した声明を読んだ時、カレンが感じたのは喜びだった。
「わたしがこうした意見を持っていることを周りの人に知らしめたくてもわたしには力がないので、この度国家事業に携わることになったグーベルト商会の力で広く知らしめてくださったことがありがたいんです。わたしはいずれ、どのような命も平等であるという考え方を広めたいと思っていたので、その助けになりました」
「……その奇妙な考え方に私は反発するし、私だけでなく他の多くの者たちも反発しているようだが、それはどう思っているのかな?」
「それはそうなるだろうな、と」
「君は状況を理解していないのだろうか? 冒険者は国の宝だ。そして、彼らにとってダンジョンの異変は命を脅かす脅威であり、我々グーベルト商会は彼らのために尽力すると約束している。そんな私たちとの間に問題を抱えることによって生まれる冒険者らからの反発は、君の身辺を脅かしかねない脅威となるだろう」
「荒っぽい人も多いですからね」
カレンは今朝のティムの様子を思い出して眉をひそめた。
ずぶ濡れのティムは通り雨かと聞いたカレンの言葉を否定しなかったが、様子がおかしかった。
そして、カレンに馬車での移動を勧めた。
もしあれが雨の仕業でなかったなら、ティムがカレンに徒歩移動をさせたくなかった理由はこれなのかもしれない。
襲撃以降、カレンはエーレルトと交渉して、カレンの錬金工房という『財産』も護衛してもらえることになった。
ティムやハラルドに対する護衛ではないものの、カレンの財産の一部として、まとめて守ってくれるようになっている。
なので、錬金工房の中にいてくれれば二人の安全は確保できているだろう。
帰ったらティムに謝らなくてはと思いつつ、カレンは言った。
「何にせよ、わたしにとってグーベルト商会の表明がありがたく、感謝の念を抱いたのは事実です。適当に、取るに足らない命といえども子どもの命を奪ったことでわたしが怒っているからと、事の焦点を曖昧にして、謝罪をしてみせることもできたのに……」
「その謝罪には意味がないだろう。君の望みは、無能な存在といえどもその命を尊重しなかったことについての謝罪だろう?」
「ええ、そうです」
「君に対しても無意味だし、周囲の者たちにどんな命でも尊重されるべきなどと我々が考えているという誤解を与えたくはない。我々は確かに、無能な者たちが偶然にも手に入れた貴重な品や発案を我々の名で発表することもある。私は、それを悪だとは思っていないのでな」
「石鹸もそうでしたね」
「君については誤算だったがな――護国のために素速く動いたことは恥ではない。何が護国のためになるのかわからず、大勢を救う技術を持ちながら持て余すことこそ罪である。その技術を用いて救えたはずだが失われた命があるのなら、それはその無能が殺したも同然である」
カレンにとっては耳に痛い話題だった。
カレンが石鹸を生みだして、それを持て余し続けていたならば――その間に石鹸で救えたはずだが失われた命は、カレンが殺したも同然であるのだと、オイゲンは言う。
「我々が国のため、世界のために大業を成し遂げようとする道中に、足元にいた虫ケラどもを踏み潰したとてそれを責められるいわれも、謝る道理もないと考える」
イザークのあれこれが大業を成そうとしていたようにはとても見えない。
だが、裏で糸を引いていたオイゲンにとってはどちらに転んでもいいように立ち回った結果があれであり、踏みにじられかけたティムやハラルドの存在など、大業を成し遂げようとする道中の些末事なのだろう。
「……子どもや、人を殺すのは可哀想、という気持ちはあるんですよね?」
「ああ。子どもや、成人していようとも、女神の祝福に恵まれない者たちへの哀れみはあるとも。だが、私はグーベルト商会として謝罪をする必要はないと思っている」
「そうですか」
人間として、人を害することへの罪悪感は確かにあるはずなのだ。
カレンとしても、この世界の人をそこまで宇宙人のようには感じていない。
だけどそれよりも優先して、この世界では人が人の版図を守るために必死に戦っている。
多分、こういう人がいなくなったらこの世界の人間社会は滅びるだろう。
戦う者たちの足を引っぱるな、という理屈はカレンも納得している。
だが、その理屈が乱用されて、許されざることが許されすぎていると感じるのは、カレンだけなのだろうか。
深呼吸すると、カレンは言った。
「……謝罪をしていただけないこの状況を残念には思っていますが、いずれ思い直していただけると信じています」
「思い直す、か。そのようなことがありえると?」
「いずれわたしがSランク錬金術師となった暁には、この声明が省みられることとなるでしょう。その時にはきっと商会長のお気持ちにも変化が訪れているかと思います」
「……Sランク、か」
「わたしとしては、わたしがまだSランク錬金術師にならないうちにその変化が訪れることを願っています。わたしのランクが上がるごとに、その謝罪の価値は減じていくものだとご承知おきください」
ただ相手が偉くて敵わないから、理解も納得もしていないけれど謝罪する。
そんな謝罪は、カレンにとっては意味を成さない。
それぐらいのことは言わずともオイゲンも理解しているだろう。
「我々がこの声明を発表したことで、私は君を追い詰めたと思っていたが――君がSランクの錬金術師になった暁には追い詰められるのは我々の方になるだろうな」
「そうですね。Sランクの錬金術師の要求に過去、応えなかった商会、ということになるでしょうね」
Sランク錬金術師の要求がどれほどおかしな要求であっても、応えなかった方が悪とされるだろう。
それは強者絶対のこの世界の悪習であるが、誰もが使える手札なのだから、相手ばかりに使わせて自分が使わない手はない。
すでにDランクの錬金術師になれる道筋はついている。
場合によっては前世の記憶があることを明かしてでもSランクに這い上がるつもりだ。
「七年Fランクに甘んじて、やっとEランクになったばかりの錬金術師が、大きくでたものだ」
オイゲンが溜息を吐く。
だが、その口調にも表情にも険はなかった。
「肝の据わった若者は好ましいものだ。たとえ利害が対立する相手であろうともな」
オイゲンがカレンを見る目つきが変わっていた。
かつてホイホイ石鹸を奪われ、反撃することもなく見過ごし続けてきた甘いカレンを見る目から、鋭くもカレンをまっすぐに見すえる目に変化していた。
オイゲンが、カレンという存在を認めた目だった。
「つまり、商会長は謝罪声明を発表してくださる予定は相変わらずないということですね」
「そうだ。君も、我々と和解しにきたわけではないのだな。てっきり、そのために訪ねてくれたと思ったのだが」
「おっしゃるとおりです。ただ、お礼をお伝えに来ました。そして、謝罪の催促に」
「利害が一致しなかったことが残念だが、同時に嬉しくもある」
「嬉しい、ですか?」
カレンが小首を傾げると、オイゲンは笑みを浮かべた。
「君が私という試練を乗りこえて、高みに昇ることを楽しみにしている自分もいるのだ」
それはさながら女神の試練を乗りこえて、階梯を昇るかのように。
「応援しているよ、カレン殿。私は私の利益のために君の邪魔にはなるだろうが、君が本当にSランクとなる未来を期待もしている。君が勝利した暁にはアースフィル王国は優れた錬金術師を手に入れることになるだろう」
「ご期待に添えるように頑張ります」
「ははは! そうなったら我が商会は困るのだがな!」
快活に笑うオイゲンに好感を抱いてしまったカレンは苦笑した。
利害が一致しないだけで、お互いを憎み合っているわけではなかった。
それどころかカレンは認められてしまい、それを嬉しく思う自分もいる。
オイゲンの価値観は、取るに足らない人間の命など無価値だと考えているところから、一ミリたりとも動いてはいないのに。
その時、扉が叩かれ人がするりと部屋に入ってきた。
「何だ」
「それが――」
入ってきた男はオイゲンの傍らまでやってくると耳打ちした。
耳打ちを聞いたオイゲンは目を瞠ると、眉尻を下げてカレンを見やった。
「カレン殿、悪い報せだ」
カレンは時流に逆らおうとしている。
多くの人々の反感を買うようなまねをしていることはわかっている。
報いを受けるのが自分だけなら覚悟はできている。
それでも、カレンはごくりと生唾を飲んだ。