限りある枠
「二階にはわたしの部屋と、あとは師匠が勝手に自分のものをポイポイ置いて寝泊まりしてる部屋があって、もう一個部屋が余ってるから、ハラルドはそこを使っていいよ」
「いえ、遠慮いたします」
ハラルドは心なしか青ざめた顔で断った。
「地階の部屋で結構です」
「えー。確かに地下にも部屋はあるけど、日の光も入らないしー……」
「僕は生まれる前から地下室で暮らすのが夢だったんです」
「生まれる前から!?」
カレンを驚愕させつつ、ハラルドは地下室の一室を住居とすることが決まった。
食料庫や倉庫、洗濯室がある場所である。
確かに使用人用の部屋はある。だが、あまり住み心地はよくないだろうとカレンは思うのだが、ハラルド自身が望んでいるのであれば止める理由もない。
そのハラルドの手の甲には、かつてカレンがヘルフリートによって刻まれたのと同じく魔法契約の幾何学紋様が刻まれている。
ハラルドには魔力がないので他者に魔法契約を結ばせることはできないそうだが、カレンからハラルドに魔法契約をかけることは問題ないそうだ。
「では、部屋に荷物を運び込ませていただきます」
「寒かったり熱かったりしたら言ってね。毛布を用意したり、氷を用意したりするからね。福利厚生の一環だからね!」
「ハイ」
ハラルドはお行儀良く返事をすると一抱えの小さな箱を手に地下に降りていった。
「カレン、久しぶりに錬金術ギルドに来たわね」
「最近はお客様に直接納品することが多いからねえ」
これまでなら自分のペースで作った小回復ポーションを錬金術ギルドに卸値の半値以下の価格で卸すのが精一杯だった。
けれど、最近はエーレルト伯爵家経由での貴族の依頼や、王女ヴァルトリーデからの依頼を直接受けているので、錬金術ギルドには活動の報告書を提出するぐらいだった。
ナタリアは受付でカレンを出迎えると言った。
「まだ報告書を提出しないといけないような時期じゃないわよ。どうしたの?」
「研究のために会ってみたい人がいるんだけど、どうやったら会えるかわからなくて、錬金術ギルド経由で会えないかなと思ってね」
「錬金術の研究のためなら助けになれるわ。なんていう人?」
「名前はわからない――わたし、『暗夜の子』に会いたいの」
ナタリアは顔色を変えると、カレンの腕を引っぱって個室に押し込んだ。
「それって、犯罪組織じゃない!」
「ナタリアも知ってるんだね」
「表で軽々しく口にしちゃダメよ、カレン。『暗夜の子どもたち』は無魔力素材の毒ポーションを扱う組織なの。これまでは言わなかったけれど、口さがない人たちはあなたもあの組織の関係者なんじゃないかという人もいるのよ!」
「わたしも無魔力素材を扱うから?」
「そうよ!」
「そう思われるのも無理ないね。無魔力素材を扱える人がこれだけ少ないんだから」
「……どうして会いたいのよ?」
ナタリアが、ひと気のない個室の中でも声をひそめて訊ねてくる。
カレンは淡々と言った。
「当然、彼らが無魔力素材を扱えるっていう話だからだよ。イザークはダメだったから、無魔力素材のポーションの担い手を見つけるためにも、次の手を考えないといけないでしょ?」
「本当に研究のためなのね」
ナタリアは溜息を吐きつつ頭を抱えた。
「犯罪組織と直接連絡を取ることなんてできないから、会うとしたら逮捕されて服役している人間になるでしょうね。無魔力素材の毒ポーションを扱える人間と会いたいなら、下っ端ではダメね。……会わせるにはかなり難しい条件を達成してもらわないといけないわ」
「どんな条件?」
「Dランク……いえ、せめてCランクの錬金術師にはなってちょうだい。Cランクからは上級錬金術師よ。上級錬金術師の研究は人類の発展のための研究だから、危険な実験をしても許されるし、誰に会ってもとやかく言われないわ。私も動きやすくなるわ」
「Cランク……中回復ポーションかそれと同格のポーションを作れるようになったら上がれるランクだね」
「そうよ。それぐらいのランクにならないと、妙な疑いをかけられたらあなたの身が危ういわ」
この世界の犯罪者は面会も簡単ではないらしい。
カレンの得意技である無魔力素材ポーションがその難易度に拍車をかけているらしかった。
「わかった。Cランクになればいいんだね」
「簡単に言うわね」
ナタリアは呆れたように言って笑った。
そういえばナタリアにDランク錬金術師になるための推薦状について話していなかった。
推薦状をもらった経緯を説明するとなると、ヴァルトリーデの秘密に抵触しかねない。
依頼人の秘密については担当者であるナタリアにも話さない。
守秘義務の一環として打ち明けていなかった。
だが、Dランクへの推薦はカレンの今後の進退にかかわり、それはナタリアにも影響する。
だから、どういうタイミングで推薦状をギルドに出すべきかナタリアに相談したい気持ちもあった。
今のままでは実績が少なすぎることはわかっている。
であれば、あとどれほどの実績が必要なのか、確かめてみたいとは思ったものの――
「冒険者ギルドにサポーター紹介制度の申請しておいたから、人が見つかった連絡が来たら面接をしましょう。必ずいい人を見つけましょうね。優秀なランク持ちの冒険者は頭もいいのよ。彼らは記憶力だってそこらの子どもよりいいし、万が一にも大崩壊が起きた時に、あなたに辛い思いをさせることはないわ」
「……ん。そうかもね」
「Eランク錬金術師のあなたじゃ、逃げる時にハラルドを一緒に連れていってはあげられないのよ」
もしもダンジョンが崩壊して、この町から逃げなくてはならなくなったとき。
近隣の町は今のカレンなら受け入れてくれるだろうけれど、今のハラルドは受け入れてくれないだろう。
だが、カレンがDランクの錬金術師になれば三親等内の家族と仕事に必要なだけの使用人を連れていける。
「あなたがそうしたいなら、雇えばいいわ。でも、あの子を連れていけないから危険な場所から逃げられないなんてことにはならないようにしてちょうだいね、カレン」
ただカレンを心配するナタリアの顔を切なく見つめて微笑むと、カレンは口にしかけていた相談を飲みこんだ。
もしかしたら、ナタリアが勧めないタイミングでDランクの錬金術師にならなければならない日が来るかもしれないから。