楽しい実験
肌に触れるものなので二の腕の内側の柔らかい部分でパッチテストをしてもらったが特に問題なかったので、カレンの洗顔用石鹸を使ってもらった。
「カモミールは逆に肌荒れすることがありますからね」
「鑑定結果に炎症を抑えると出ているのですから、肌が荒れることなどありえないのではありませんか?」
「うん? ……確かに、そうかもしれませんね」
鑑定鏡は別名、女神の目と言われる。
真実のみを教えてくれる魔道具なのだ。
つまり、肌の炎症を抑えるという効果を必ずもたらすものとして、この石鹸は存在しているということだった。
ちなみに、サラは炎症の意味ならわかるらしい。
体の外見に症状があらわれるからだろう。
「カレンは何をしてるの?」
「実験です」
ジークの問いに、カレンは二つの盥に精油を垂らしながら答えた。
浴槽に横たわり、サラに体を洗われながら聞いてくる。
裸を見られる羞恥心は皆無らしい。子どもだからか、貴族だからか。
その体は骨と皮だけになったように痩せ細っている。
身内の子がこうなっていたら、カレンも痛ましくて目を背けてしまうだろう。
「カレン様、鑑定鏡はそちらのワゴンにありますので好きにお使いください」
サラはジークを洗いながら言う。ありがたく借りて鑑定する。
盥その一は鑑定できたが、盥その二は鑑定結果が出なかった。
ラベンダーの薬湯
安眠に誘う
鑑定結果が出たほうはこうだった。
ジークが頭を洗われながら聞いてくる。
「結果はどうだったの?」
「二つの盥でポーションを作ろうとしたのですが、片方はポーションにならず失敗したようです」
「どうして失敗したの?」
「たとえるなら、回復ポーションを使って魔力回復ポーションを作ろうとして失敗した感じです」
「魔力回復ポーションの材料になるのは魔茸だけだよね?」
「おっしゃるとおりです」
片方は安眠効果が出るように、片方は痛みを和らげる効果が出るように作った。
だが、痛みを和らげる効果は現れなかった。
ラベンターには間違いなくその効果があるのにだ。
「精油を作った時点で効果が確定しているのね」
カレンはラベンターの精油を、リラックス効果を求めて作った。
家にお風呂なんて贅沢なものはなかったけれど、盥に垂らして足浴していた。
作った時点で安眠効果に限定されて、それ以外の用途には、少なくとも魔法的には使えなくなっているらしい。
恐らくは、魔力をこめた時点で効果が確定している。
「ふむふむ、面白いね-」
「カレン、楽しそうだね」
「楽しいですよ、錬金術!」
ライオスにかかりきりで時間がなかったけれど、それでも錬金術師ではいたくて細々とポーションを作り続けて、錬金術ギルドに在籍し続けるくらい。
「ふうん」
「ジーク様も錬金術にご興味がおありですか?」
「ううん。そうじゃなくて……楽しそうな人って久しぶりに見たなって思ったんだ」
サラが一瞬ピタリと手を止め、再びジークの洗髪を再開した。
これだけ主人大好きな人たちだ。
弱っているジークの前で楽しくはしゃぐことなんてできなかっただろう。
「ご不快でしたら申し訳ございません」
「不快じゃないよ。ぜんぜん」
むしろ嬉しいようだった。
ジークの心の機微を察してカレンは言った。
「では楽しくジーク様が健康を取り戻すお手伝いをさせていただきます」
「楽しいの?」
「はい、楽しいです。ジーク様が大変な時にすみません」
カレンは一応謝罪したが、ジークはまったく気にしないだろうと思った。
予想通り、ジークは吹き出すように笑った。
「楽しいならよかった!」
「早速なのですが、安眠効果のあるポーションが作れたので、使ってみてもよいでしょうか?」
「えーっ。まだ昼なのにもう寝るの?」
「寝られるのなら寝たほうがいいですよ。最近、眠れていないですよね?」
食べられないし、眠れない。
それなのに膨大な魔力に生かされて中々死ぬこともできない。
だから、じわじわと弱っていく。
前世、眠らせない拷問があると聞いたことがある。
取り調べ室で、警察が容疑者を眠らせないように恫喝しながら取り調べをするシーン、あったよね?
元気そうに見えても辛いはずだ。
だが、ジークは唇を尖らせた。
「眠れてないけど……でも、カレンのポーションを使ったら本当に寝ちゃいそうだよ。せっかく気分がいい日だから、父様に会いに行こうと思ったのに」
「眠れなかったらそうしましょうね」
「あーっ!」
カレンが安眠ポーションをダポダポと浴槽に入れるとジークが声をあげた。
子どもの我が儘をいちいち聞いていたら治るものも治らないからね。
ライオスがその最たる例である。
ちなみに水やお湯と混ぜる分には、ポーションは効果を失わない。薄まるだけだ。
「眠っちゃったら明日にしましょうね」
「カレンの……バカ……!」
「どうしても安眠ポーションの効果が見てみたくて。すみませんねえ」
こういう時にあなたのためだ、と言われると、頼んでいないのに、とひどく苛つくものらしいので、カレンの都合だと言ってあげる。
ジークはまるで麻酔でもかけられたかのように、一瞬で朦朧としはじめる。
そんなジークに、サラが優しく囁いた。
「ジーク様、私からご当主様に明日の面会予約を取っておきます」
「明日は……元気じゃ……ないかも……なのに……」
「きっと元気ですよ。おやすみなさい」
カレンが軽い口調で言うと、ジークは恨みがましげな目をしてがっくりと意識を失った。
すると、すかさずあちこちに隠れていたメイドたちが現れて、手早くジークを浴槽から引き上げ、体を拭いて服を着せた。
大柄なメイドがジークを抱き上げ、大事そうに寝室へ運んでいく。
カレンは精油の瓶を見やった。
「これ、売ったら危ないな」
ほとんど眠り薬だ。
眠り薬という名称のポーションは別に存在する。
それと違って、眠くない人が使っても急に寝たりはしないはずだが、眠くて仕方ない人にはこういう効果が出るらしい。
少なくともカレンが使った時は眠くなるくらいだった。
疲れきった人が一人でバスタイムをしているときに使ったら、溺れて死にかねない。
記録のメモを取り終えたとき、カレンは浴室に残っていたメイドたちの視線に気づいた。
「どうされましたか?」
「カレン様は、希望でございます」
そう言って、狭い浴室に立ち並ぶ八人のメイドたちがいっせいに頭を下げて、カレンはぎょっと退いた。
前に進み出たしかめっ面の年嵩のメイドが、カレンに向かって進み出た。
「私はメイド頭のゾフィーと申します。カレン様、私どもをどうぞ手足のようにお使いください。ジーク様のためになることであれば何でもする所存です」
「人手が必要になったらお願いしますね」
「どうか、何なりとお命じくださいませ。ジーク様のためにできることをしたいのです」
厳めしい顔をしたメイド頭の目元にも赤みがある。
本当に愛されている次期後継者だ。
その命を盾に取るようにユリウスに結婚を迫ったのが知られたら、彼女たちはどう思うのか。
カレンは貼り付けた笑顔のままぶるりと身震いした。