窮鼠と子猫たち2 ハラルド視点
これまでにも何回か、ハラルドが評価されかけたことはある。
元いた町の商人が特別物覚えがよいハラルドを面白がり、色々と教え込んだ。
おかげでハラルドは読み書きだけでなく計算や書類の書き方も一通り学んでいる。
だが、ハラルドは結局、一般的な魔力量を持つ読み書きもできない町の子に敵わなかった。
物事は働いていくうちに自然と覚えられるが、魔力は自然とは増えない。
命をかけた勝負に挑み、女神にそれを認めてもらわなければ、魔力量が増えることはない。
そしてそんな奇跡は、日常的に命をかけて魔物と戦う異常者である冒険者の間ですら、めったには起こらないことなのだ。
だから魔力量が多いだけの、両親がそろっている家の、物事を覚える努力をしようともしない怠け者の方を雇うのだとハラルドは言われた。
魔力量が少しでも増えたらまた商会の門を叩いてくれと温かな笑みで言われたとき、ハラルドは笑顔で応えたが、きっとその顔は引き攣っていた。
人の良い商人の罪悪感のにじんだ表情を思い出すたび、ハラルドは顔から火が出そうになる。
一体自分は何を期待していたのだろうか。
たとえば魔法契約は魔力がないと結べない。
一方的に契約を課される分には問題ないが、ハラルドから誰かに契約内容を守らせようと思えば、その契約魔法を発動させるのに必要なだけの魔力がいる。
だが、ハラルドにはそれがない。
商売において重要な魔法契約の場に、いちいち他人を挟まなければならない商人なんて、誰が信用できるだろうか。
他にも魔力がないと手も足もでない仕事や習慣が山ほどあることは知っていた。
それなのに、ただ与えられた魔力なしにでもできる仕事ができたからと、どうして思い上がれたのだろう。
だから、カレンの昇給の提案にも期待するまい、とハラルドは胸に誓った。
あたりまえの結果に、決してがっかりした顔などしない。
カレンに罪悪感を抱かせないよう、当然の顔をして受け入れてみせる。
もう二度と、あんな思いをすることがないように――
「おい、ハラルド!」
「な、なんだよ」
「お客さんだぞ。しゃんとしろよな」
ティムに呆れたように言われて、ハラルドは顔を赤らめた。
もちろんぼんやりしていたハラルドが悪いのでティムを睨むだなんてことはしない。
ギリギリと自分の怠慢に歯を食いしばったあと、ティムの言う客の方を見やった。
また、怪しげな風体の客人たちだった。
黒い外套を帽子まですっぽりと被って顔まで隠している男が二名。
以前、この風体の客人がカレンの上得意客だったことがある。
失礼はできないと、ハラルドは気を引き締めた。
「いらっしゃいませ。現在錬金術師カレンは不在ですので、僕たちがご用件をおうかがいいたします」
「錬金術師はいつ頃戻る?」
「今日は遅くなるよな? 多分」
ヒソヒソというには大きな声で言うティムを肘で小突き、ハラルドは客人たちに笑顔で応えた。
「本日の戻りは遅くなるかと存じます」
「化粧ポーションを売ってほしいんだが」
「化粧ポーションは王女殿下の許可がなければお売りできないそうです。小回復ポーションならお売り可能です」
取り扱いが簡単な小回復ポーションについては、ティムとハラルドでも売ってよいという許可を得ていた。
「石鹸だけでも売れないのか?」
「申し訳ございません。急ぎ化粧ポーションをご入り用の場合は王女宮府にお問い合わせくださいませ」
もし化粧ポーションが欲しいと言う客がいれば王女を盾にするように、と命じられている。
ハラルドの答えに、客人たちは顔を見合わせた。
「錬金術師が戻るのは遅くなるという話だが、どれぐらいだ?」
「夜にはなるんじゃねーかな……ですかな?」
問われたティムがタメ口で答えようとするのでハラルドが睨みつけると、胡乱な敬語を口にした。
ハラルドが頭痛をこらえていると、二人の客人が溜息を吐いた。
ビクついたハラルドが愛想笑いを浮かべて取りつくろおうとした瞬間、その喉元に短剣の切っ先が突きつけられた。
「声を出すなよ、ガキ。死にたくなければな」
ひく、と息を呑んだ拍子に喉に短剣の切っ先が触れ、ハラルドは震えた。
自分の震えで短剣が刺さるのではないかと恐ろしかった。
「依頼は錬金術師カレンを脅せとのことだが……あっちに手を出すのは無理だ。貴族家の騎士が昼夜を問わずついてる。どうこうするならこっちだが、どう料理する?」
「殺せばいいんじゃないか?」
「孤児の雑役人を殺したくらいで脅しになるか?」
「若い女だから、家に帰ってきたらガキの死体が転がっていりゃ、それだけで恐がるだろう。だが、おまえが心配なら拷問するか? このままだとおまえもこうなるぞ、ってわかるように」
「壁にガキ共の血で書こうぜ。次はおまえの番だってな」
「手が汚れる前にポーションを盗んでおかないとな。特に石鹸だ。依頼人のご所望だからな」
外套の帽子を脱いだ男たちは、夕飯の献立を立てるような気軽さでハラルドとティムの処遇を決めていく。
両腕を背中に回され柱に縛りつけられたハラルドは、冷や汗をだらだらと流した。
「なあもしかして、あいつらって客じゃなかったりするのか?」
「この期に及んで、おまえ馬鹿か!?」
ハラルドの隣で同じように縛られているティムが寝ぼけたことを言う。
思わずハラルドは声を荒らげた。
「いや、だって、態度の悪い客の可能性もあるだろ?」
「あるわけがないだろ……!」
「おまえら、うるさいぞ! ――そっちの馬鹿に馬鹿って言いたい気持ちはわかるけどよ。マジでまだ俺たちを客と思ってるとか、イカれてんのか?」
どこぞの雇われ強盗殺人犯すらティムの言葉に引いた顔をしている。
ハラルドはもはや、呆れ返って言葉も出てこなかった。
「ふうん、客じゃねーのか。ってことは、悪いやつ、だよな?」
「どう見ても強盗殺人犯に決まってるだろ」
「ハラルドがそう言うってことは、それで間違いないんだな」
男たちがこめかみの辺りでくるくると指を回す。
ハラルドは呆れを通り越してティムの度胸に感心した。
「なああんたら、誰の差し金なんだ?」
「おまえらの雇い主が敵に回したお方だよ」
「カレンが敵に回した……ってことは、あのイザークってやつか」
「あんまりガキにベラベラしゃべるなよ、おい」
「どうせ殺すんだからいいだろ、別に」
割の良い仕事は危険がつきものだと、知っていた。
大きな商会ほどその奉公には危険が伴う。
優秀な錬金術師に仕えることになれば、更に危険が伴って当然。
「――ハハ」
「おいガキ、何を笑ってるんだ? 恐怖でおかしくなっちまったか?」
笑いを零すハラルドに、男たちが眉をひそめた。
「こんな卑劣なやり方で潰そうとされるぐらい、すごい方にお仕えしていたんだなと思いましてね」
涙目になり、ガタガタと震えながらも言ったハラルドを、男は鼻で笑った。
「錬金工房に石鹸ポーションと材料らしきもんはあったぜ。論文は見つからなかったが。魔力認証金庫があるから、そこに入ってるんだろう」
「そっちは無理だな。じゃ、とりあえず叫べないようにするか」
男がハラルドの襟首を掴むと、口の中に布の塊を無理やり押し込もうとする。
だが、その力は急に弱まった。
気がつけば、ハラルドと同じように柱に縛られていたはずのティムが縄の拘束から抜け出していた。
そして、その腕がハラルドの口に布を押し込もうとした男の胸に埋まり、背中に貫通していた。